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第一章① 少女と傭兵その1

 とある国の国境付近、豪雨とも言うべき悪天候の中、それぞれ四頭の馬に牽かれた乗り合い馬車五台は、二頭ずつ馬に乗った護衛に囲まれ、足早に草原の道を駆けていた。


 ここ最近降り続いている雨のせいで、道の状態は非常に悪く、古くなった馬車達の車輪が、車体が揺れる度悲鳴を上げる。しかし、馬車達は己の進む道の先すらろくに見えぬ中を、速度を緩めぬまま走り続けていた。


「だから、あたしは外を見たいの! 少しくらい良いじゃない、ライズのバカ!」

「お前な、何度も言うけど、今外を見たら濡れて風邪引くぞ? 雨も降り続いてるし、そもそも危ないから駄目だって」


 そんな、何かから逃げているかの様にすら見える馬車達の最後尾、一番古く揺れも大きい、今にも壊れそうな馬車に乗った二人の人間が、何事か言い争っている。


「あたしは風邪なんて引かないから大丈夫だもん!」


 一人は年端も行かぬ少女だ。腰まで届くかという長さの金髪に、幼い割に人形のように整った、綺麗な顔つきに澄んだ青い瞳をしている。透き通るような陶器のように白い肌。一見して貴族のそれと分かる、高価そうな絹で出来た、白を基調とした衣服を着ている。


「つい二日前まで腹痛で寝込んでたガキが言う事じゃないな」

「うるさい! バカライズ!」

「……良いから座ってろ。あと一時間もしたら次の町に着くんだから」


 もう一人は、少女とは不釣り合いな程がたいの良い、ライズと呼ばれた初老の男だ。白髪の混じったぼさぼさに立てられた黒の短髪に、長い年月を太陽の元で戦いに興じていたのであろう、日焼けと古傷だらけの、彼の年齢にしてみたら深い皺が刻まれた顔。銀色の瞳に、左目にはゴツい片眼鏡モノクルのような物を着けている。


 服装は単純な麻布の服に、簡易で装飾も少ない皮製の胸当てや肩当て、足を守るガード等、動き易さに重点を置いた、しかし防御にも定評のある、腰に帯剣もできるように作られた武具を着込んでいる。少女が雇った傭兵である事を示す白い帯を、太い右腕に巻き付けていた。


 唯一の武器であろう、古いが手入れの行き届いている事が分かる長剣が、鞘に入れられ、胡座をかいて座る彼の横に無造作に置かれている。揺れる馬車に合わせ、時折跳ねて音を出すが、ライズは気にもしていないようだ。


「ふん、だ。いいもん。今日のライズのご飯はデザート抜きに――わわっ!?」


 と、少女が腕を組み、得意気に言おうとした時だった。


 馬車が道端の石でも踏んだのだろうか。がくん、と車体が傾いだ。その衝撃自体は大した物ではなく、すぐに何事も無かったかのように、今までと同じ軋みや揺れに戻ったが、立っていた少女はそうも行かなかった。


「――えっ?」


 少女が体勢を立て直そうと、大きくたたらを踏む。が、その方向が良く無かった。外に出ても良いという許可さえおりれば、いつでも出れるように馬車の後部、幌を開けられる場所にいた事も災いし、少女の身体はその勢いのまま、馬車の外に投げ出されそうになる。


「む……!」


 そこから、ライズは速かった。


 自分も急な馬車の揺れを体験し、更には胡座をかいていたにも関わらず、少女がたたらを踏み初めた瞬間には、左膝を付くような体勢で、腕を伸ばしていた。


 しかし、それでも届かないと判断したのか、そのまま右足を大きく踏み出し距離を稼ぐ。ライズ自身も後部に座っていた事が幸いし、足を踏み外した少女の身体半分が、馬車の外に出た所で腕が届いた。すぐに袖を掴んで引き戻す。そして、抱き抱えるようにして、安全な馬車の中心部へと移動した。


 その間、僅かコンマ数秒。もし、この馬車に他に乗客がいて、今の一連の出来事を見ていたとしたら、馬車から投げ出されそうになった少女が、いつの間にか傭兵の男に抱き抱えられ、安全な場所へと移動したように見えただろう。


「……ふぅ」


 ライズは安堵のため息を吐き、呆気に取られたような表情をしている少女の目を見た。


「で、何か言うことは? ルーミィ・ロディア・フェンリルお嬢様?」


 あえて正式名を呼んだライズに、ルーミィはつい今しがた感じた命の危機からの生還にようやく気付く。


「……ごめんなさい」


 ライズは無言で、目に見えて意気消沈したルーミィを降ろし、一瞬とはいえ豪雨で濡れた少女の身体を布で拭いていく。みるみるうちに少女の濡れた身体は元通りになった。


「……えっと、ライズ?」


 無言のままのライズに、ルーミィは恐る恐ると声をかける。


「あの……助けてくれてありが――」

「デザート抜きは、これで勘弁して貰えるか?」

「――とう……え?」


 予想だにしなかった言葉に、先ほどとは違う意味で呆気に取られたルーミィは、思わずライズを見た。


「俺が、どれだけ食後のデザートを大切にしているか、分かってるだろ?」


 ライズは、じっとルーミィを見詰めた。端から見ればまるで、いい歳をした大の男が、年端も行かぬ少女に、求婚をしているかのように真剣そのもの、といった表情で。


「……はぁ」


 思わずため息をつき、ルーミィは肩を竦めた。しょうがないな、と首を小さく左右に振り、呆れと諦めが入り交じった言葉を発する。


「分かった。デザート抜きはやめといてあげる。……助けてくれてありがと」


 その言葉を聞き、ライズは初老とは思えないほど純粋な――小さな子供が大好きな玩具を手にした時のような――笑みを浮かべ、小さくガッツポーズを取った。そして、すぐに初老の男らしい真顔に戻った後、咳払いをしルーミィに背を向ける。


「お前が死んだら俺の報酬は無くなるからな。助けるのは当たり前だ。危険なのは分かっただろ。座っとけ」


 そう、何事も無かったかの様に告げ、ライズは元の場所に戻り、また胡座をかいて座り込んだ。しかし、些か、先ほどまでより全体の雰囲気がそわそわしているように見えるのは、気のせいであろうか。


 ルーミィはそんなライズに、小さく、くすりと笑った後、ふと思い付いたのだろう。ライズのもとに駆け寄り、顔を覗き込んだ。


「……なんだ」


 ライズは、目の前に立つ、胡座をかいてようやく背の高さが合うルーミィに問い掛ける。が、満面の笑みで見詰めるルーミィは答えず、じっと見つめ続けた。


「…………」


 そうして数十秒経ち、さすがにライズが痺れを切らして視線を外した。その瞬間だった。


「……おい」


 気付くと、胡座をかいて座る自分の上に座っていたルーミィに、ライズは思わず抗議の声を上げる。しかし、ルーミィは鼻歌を歌い、男の言葉を無視したまま男に身体を預けた。一層、ルーミィの重み――と、言っても凄く軽いのだが――と何か甘い匂いを感じ、ライズは顔をしかめる。


「座るなら、ちゃんと床に座れ」


 何故わざわざ俺の上に座る。と、背を向けて自分の膝に座っているせいで、頭のてっぺんしか見えないルーミィにライズは訴えかけた。


「いいじゃない別に。こっちの方が安全でしょ。それとも、あたしが落ちて怪我しても良いって言うなら、離れるけど」


 ふふん、と得意そうにルーミィは言う。そのまま離れそうにない様子に、ライズはため息をついた。


「お前な。それとこれとは話が別だろ。わざわざ俺の上に座らんでも、お前が動かずにその辺に座っていれば問題はない訳だし、それに、この状態じゃ何かあった時に反応が遅れるんだが?」


 ライズは馬車の揺れによって少しずつ自身から離れていた長剣を引き寄せ、ルーミィに見せるように振る。


「それなら、あたしを退ければいいじゃない」


 ルーミィはライズの膝をぱしぱしと遊び叩きながら言うと、頭の上にある顔を見上げ、にぃっと笑った。


「む……」


 ライズは唸り、更にそのしかめっ面を深めた。ルーミィから視線を逸らし、不機嫌そうに口をつぐむ。


「ふふん。出来ないでしょ。非常時以外は勝手にあたしに触らない約束だもんねー」


 ニヤニヤとからかいの笑みを浮かべ、ルーミィは足を投げ出して全体重を男に預けた。


「あたしは別にいいんだよ? その代わり今日のデザートは無しになるけど。ね、ライズ?」


「……ルーミィ、頼むから少し黙ってろ」


 ライズは心底うんざりしたように言うと、長剣を置いて目を閉じた。


「あ、ちょっとライズ」

「俺は少し寝る。町に着くか、何かあったら起こ……ん?」


 が。


「わわっ」


 言い終わる前にライズは目を開け、倒れそうになる身体と、ルーミィを支える事となった。急に、馬車が止まってしまったからである。


「あ、ありがと」

「ルーミィ、ちょっと離れてろ」

「……わかった」


 ルーミィが離れると、ライズは長剣を手にして立ち上がった。同時、幌が開けられ馬車隊の護衛を勤めていた一人が顔を覗かせる。


「どうした?」

「申し訳ありません。この先、川が氾濫していまして。先頭からの話では、橋が落ち流れてしまっているとの事でしたので」


 申し訳なさそうに報告する護衛に、ライズは眉根を寄せた。


「落ちた? あの竜神橋がか?」


 竜神橋。


 今馬車隊が向かっている町まで川を跨いで掛かる、この近辺では唯一の石橋である。竜神という名前が付いているのは、橋の掛かる川に棲むと伝わる水を司る神、竜神の名を借りて加護を受けた為だ。


「アレは氾濫くらいでは落ちないはずだぞ?」

「はぁ……ですが、実際に……」


 聞いて、ライズは少し考えこんだ。ルーミィが心配そうに声をかける。


「ライズ……?」

「ルーミィ、隠れとけ」

「う、うん」


 ルーミィは頷き、荷物置き場の裏へと潜り込んだ。ライズはそれを確認後、護衛へと向き直る。


「すまないが、警戒を強めてくれるか?」

「は……?」


 護衛はそれだけでは意味が分からなかったのか、何故そんな事を? と首を傾げる。そんな護衛を、ライズは手で押し退けると、雨に濡れる事も構わずに馬車から降りた。


 豪雨で視界が悪い中、目を凝らして何かを探すように辺りを見回す。しかし、とりあえずは、目当ての物は見えなかったのか、少しだけ安堵したように護衛に向き直った。


「橋は、落とされたのかも知れん」

「な、つ、つまり……この馬車隊が狙われていると?」


 護衛は、ようやく理解したのか、焦りを見せた。ライズがしたように、自分でも辺りを見回す。


「可能性の話だ。普通なら落ちないであろう橋が落ちたのなら、誰かが落としたのかも知れないっていうな。まだ、襲われていないから違うかも知れないが。一応、警戒を強めてくれ。馬車隊が全滅したらお前達も只じゃ済まないだろ?」

「分かりました。伝えます。あの……、万が一の場合は」


 護衛は、ライズの持つ長剣に目をやり、申し訳なさそうに問う。


「すまないが、俺は既に第一線を退いた老傭兵だ。しかも実質、流れ身のな。戦力としてはあまり期待しない方がいい。この長剣も、半分は見せ掛けの為に持っているような物だ」


 長剣をぽんっ、と叩き、ライズは苦笑する。


「そうですか……では、なるだけ、御迷惑をお掛けしないよう善処します」

「そうしてくれ。で、町への回り道はどうするつもりだ?」

「あ、はい。上流の方に、木製ではありますが橋が掛かってますので、今そちらの方へ物見を送っています。しかし、何分この雨ですので」

「まぁ、落ちているだろうな」

「はい……」


 困った、というように護衛はため息をつく。


「他に、道は無いのか?」

「一応、ここから下流に、船で2日近く下った所に、石橋が掛けられてはいますが、そこに向かうには、グラハウまで戻る必要があるんですよ」


 ライズはそれは駄目だと言うように、首を横に振った。グラハウとは、この馬車隊が発った町の名であり、途中乗車である男達が発った町より、更に前の町の事であったからだ。


「それじゃあ一週間は余計に掛かる。そんな事をしている時間は無いんだろう? この馬車隊には。俺達も、そんなに暇ではないしな」


 ライズは言いながら、考え込む。


「あ、あの。とりあえず、私は警戒にあたるよう、伝えて参ります」

「……ん、そうだな。頼む」


 護衛が伝令に走るのを見送り、ライズはもう一度周囲を見回すと馬車の幌を開け、ルーミィを呼んだ。


「ルーミィ。準備しろ。出るぞ」

「えー、さっきまで濡れるから駄目だとか言ってたのに?」


 ごそごそと荷物の間から顔を出し、ルーミィは若干不満そうに答えた。しかし、外に出れる事が嬉しいのかすぐさま外套を羽織ると、自分の荷物をからって、ライズの荷物を手に取った。


「はい、ライズ。あれ、そういえば外套は着ないの?」

「ん、すまない。そうだな、もう濡れているが……着とくか」


 受け取った荷物から外套を取りだし羽織ると、ライズはルーミィの頭に外套のフードを被せ、自分のフードも被った。


「よし、それじゃ行くぞ」

「あ、馬車はどうするの?」


 ルーミィは馬車を降りると、少し名残惜しそうに馬車を見た。ライズはルーミィの頭をぽんっと叩き、答える。


「お代は勿体無いが、仕方ない。状況が変わったからな。竜神橋が落とされたのか、それとも落ちたのかは分からないが、早く行かないとまずそうだ。奴等に追い付かれる前にな」


 ピクッ、とルーミィが反応し、不安そうに男を見上げた。


「……他のお客さん達は?」


 前方の馬車に乗っているであろう客の身を案じ、ルーミィは呟く。しかし、ライズはルーミィに対し、事務的とも思える口調で淡々と告げた。


「お前を守るので精一杯だ。悪いが、囮に使う。護衛も、客もな」


 聞いて、ルーミィは悲しそうに下を向いた。


「そう……、また、顔も知らない。名前も知らない人達に迷惑かけるんだ。あたし」


 ライズはその呟きに、無言で答える。


「…………分かった。行こう、ライズ」


 ルーミィは暗いながらも、今から自分のする事に対して、決意の籠った声で宣言した。

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