プロローグ
夜闇に乗じて放たれた火は、孤児院全体を瞬く間に包みこんだ。石と木が組まれただけの簡素な造りも災いし、子供達の唯一の居場所は逃げ惑う悲鳴と共にガラガラと崩れ去っていく。満天の星空、その優しき瞬きさえも消え去る程燃え盛り、煙が鈍く赤く炎の光を反射しながら立ち上っている。
「何故……こんな酷い事を」
煙を吸い込み倒れてしまった子供を抱き抱え、シスターは涙を流しながら仁王立ちの男を睨んだ。
「何故……? 分かっているのだろう、シスターレイア」
男は見下したように笑う。
「貴様等は俺との約束を守らなかった。相応の制裁を加えたまでだ」
「そんな……私達はちゃんと」
「これっぽっちでか?」
男はシスターの言葉を遮り、足元へと小さな袋を投げ捨てた。その衝撃で袋の口が開き、中に入っていた幾つもの小さな光輝く石が地面に散らばる。
「一ヶ月も猶予を与えて、この程度、と?」
「こ、子供達も必死に集めて……」
シスターは身体を震わせながら反論する。が、男はスッと目を細めた。
「ほぅ……餓鬼共も使ってこれだけか。……俺の情報網を舐めるなよ? 貴様は一週間前、領主共にこの五倍の量は献上していただろう?」
男は胸元から葉巻を取りだし火を点けた。口にくわえ、大きく吸い、煙を吐く。そしてシスターのすぐ目の前まで来ると、目線を合わせるように少しだけ屈み、睨み付ける。
「なぁ、シスターレイア。俺は何も貴様等を取って食おうなんて、思っちゃあいないんだ。寧ろ、貴様等を他の危険な奴等から守ってやろうと、善意で俺の子分と共に近辺の護衛を申し出てやったんだ」
男はそこで言葉を切り、もう一度葉巻を吸い、煙を吐き出した。
「なのに、だ。その護衛の報酬、領主共に献上する税と同じだけの石を、俺に渡すという約束を貴様等は破った、というわけだ」
シスターは子供をぎゅっと抱き締め、声を震わせ答える。
「で、でも、それじゃ私や子供の生活が……成り立たなかったんです……ひっ」
男がシスターの髪を掴み、引き上げた。
「痛っ……」
「なぁ、シスターレイア。俺や俺の子分が、生活が苦しくなって死んでもいい、と?」
「そ、そんな事、思っていません……痛……止めて下さい……うっ」
「そうだよなぁ。俺達が死んだら貴様等を守ってやる奴が居なくなるものなぁ。なら、残りの石を出せよ」
男は、ぐいっと強くシスターの髪を引っ張った。
「あ……ぐ……」
シスターは必死に耐える。髪の毛が、頭皮ごと剥がされてしまうのではないかという程の痛みに。
「石は、何処にある」
「う……貴方達が……燃やしてしまったでは……え?」
燃やしてしまったではないですか。そう言い切る前に解放され、シスターは呆気に取られたように放心してしまった。
「あ……あの……?」
「…………」
男は手を離した後、じっとシスターを見詰めたまま黙っている。そして、火を点けたままの葉巻を地面に落とし、踏みつけて揉み消した。
「シスターレイア」
男は静かに一言、シスターの名を呼んだ。底冷えするような冷たい響きに、シスターは思わずひっと声を上げる。
「……はい」
「俺は、非常に残念だよ……」
男は、『何故か非常に優しい言葉で』シスターに語りかけた。
「あ……う……」
シスターの震えが、これまでのそれとは明らかに違うと分かる程大きくなった。
「貴様はもう少し頭の良い女だと思っていたのだがな」
いつのまにか、男の周りに子分が集まって来ている。何人かは、捕まってしまったのであろうぐったりとした子供を、後ろ手に縛り脇に抱えていた。
「次に、嘘を吐いて見ろ。貴様の大切な餓鬼共、一人一人、喉をかっ切る。あぁ、安心しろ。気絶したまま逝かせはしない。大好きな貴様を、最後に見せながら死なせてやるさ」
男は、子分に子供達の目を覚ますように告げた。
「そ、そんな! 子供達に罪はありません! お願いです、どうかそれだけは!」
シスターは必死に懇願する。が、男に指示をされた子分に身体を抑え込まれ、身動きも取れなくない。
「先ずは、一人」
男は、不運にも最初に目覚めてしまった女の子をシスターの目の前に乱暴に立たせた。
「うぁ……せ、先生」
「エミリー! だ、大丈夫よ、私が絶対に助けてあげるからね!」
シスターはもがく。しかし、がっしりと掴まれた身体は、女の子の元へ駆け寄る事は出来ない。
「先生……お願い、逃げて」
捕まった時か強制的に起こされた時か、女の子の顔は殴られ青く腫れ上がり、口の端は切れてしまっていた。
「ククククク。泣けるな、え? シスターレイア。こんなになってもこの餓鬼は貴様の心配が出来るようだ」
男はさも可笑しそうに笑う。
「さて、エミリー、と言ったか?」
男は女の子の肩に手を置くと、優しく語りかけた。
「先生を離して!」
女の子は肩に置かれた手を振りほどこうとしながら、男を睨む。
「おやおや、これは嫌われたもんだ。俺は良い人だってのに。なぁ、シスターレイア?」
肩をすくめ、シスターに笑いかける男。しかし、その目は笑ってはいない。
「お願い、その娘を……子供達を離して……」
シスターは懇願する。その目には涙も浮かんでいた。
「もう一度聞こう。エミリー、と言ったか?」
「それが何よ! 先生を離してよ!」
「君は、レイア先生が好きかい?」
「……ッ! 当たり前でしょ! いいから離して!」
と、男はまた冷徹な笑みをシスターに向けてから女の子の頭を掴み、シスターから目が離せないように固定した。
「そうか、なら今の内に良く見ておくんだな」
「い、痛い!」
「え、エミリー! お願い、止めて!」
シスターは堪らず声を上げた。男がナイフを取り出す。
「さぁ、シスターレイア」
そして、女の子の首筋にあてがった。切れ味の良いナイフが触っただけで、首から一筋火事の灯りでもそれと分かる血が流れる。
「うあ……先生」
「え、エミ――」
「石は、何処だ?」
やり取りを遮り、男は命令にも等しい詰問を始める。
「先生、言っちゃダメ。こんな奴の言う事聞いちゃ」
「何処に、ある?」
男は、ナイフを更に首筋に食い込ませた。
「言います、言いますからエミリーを!」
「良いから早く言え。それとも、すぐにこの餓鬼の命が散るのを見たいか?」
「うう……」
「ダメ……先、生」
と、必死に自分の事ではなく、シスターの安全を訴える女の子に、シスターは涙目で笑いかけた。
「あなたを死なせる訳にはいかないわよ、エミリー」
「先――!」
「ここから、東に少し行った所の池、一番小さな木の根元に、箱と共に埋めてあるわ」
シスターは男の底冷えするような目から視線を逸らさず、言い切った。嘘は言っていない、だから女の子を離して、と。
「…………」
男はたっぷりと数十秒、シスターの言葉と表情に嘘がないかと探る。
「……本当のようだな」
「本当です。さぁ、約束通り、エミリーと子供達を離して」
シスターは憔悴しきったように弱々しく言った。
「約束? シスターレイア。いつ、俺が、貴様が本当の事を言ったからと言って、餓鬼共を離してやると言った?」
「そん、な――」
シスターの顔が絶望へと変わる。
「さぁ、エミリー、シスターレイアの顔は存分に見たかな? そろそろ、さよならの時間だ」
「い、いや、離し……先――か、ふっ……」
「エミリー!?」
シスターの絶叫が響き渡った。同時、女の子の身体が一瞬強張った後、糸が切れたように崩折れる。
「うぁ……あぁ……」
血溜まりが広がる中、痙攣し動かなくなって行く女の子に走り寄ろうにも、シスターは身体を動かす事も出来ない。
「ククククク。いい表情だな、シスターレイア? 餓鬼共が大事ならば約束を守れば良かったのさ」
ナイフに付いた血をぬぐい去り、男は冷笑を浴びせる。
「もう言葉も出ないか? ……まぁいい。これで懲りたら、今度からはちゃんと、同じだけ払うんだな。でなければ、また可愛い餓鬼共が一人死ぬ事になるぜ?」
シスターの前で倒れたままの子供を見やり、男は告げる。
「あぁ、それと、この死ななくてすんだ幸運な餓鬼共は、俺が貰っていく。今回の迷惑料だ。餓鬼共は、高く売れるんでな」
「え……あ……」
「……ふん、また1ヶ月精々頑張んな。そうすりゃ、これ以上尊い犠牲って奴は無くなるんだ。ククククク」
男は、もう動かなくなった女の子を放心状態で見詰めるシスターに一方的に言うと、踵を返した。
「行くぞお前等。撤収だ」
――これが、全ての始まり。孤児院で起こった悪夢の、一部分である。