九話『二重の進展』
山上クン大活躍の回
突如として彩城条花と山上総司の前に現れた人影はそこに突っ立ったまま動こうとしない。ただ明確なのはその人影がはっきりと殺意を放っていること。彩城条花はコートのポケットにあるガーベラの花の彫刻が施された刃渡り15センチのナイフを右手で握っていた。山上総司が落ちていた太い木の棒を拾おうと屈みこんだ時、人影が猛然と走った。その右手に光るのは長く伸びた三本の爪。振り下ろされるそれを彩城条花はコンマもないスピードで引き抜いたナイフで受け止める。すかさずつき込まれてきた人影の左拳を左の裏拳で弾き、お返しにボディブローを一発くらわせると右肩からぶつかるようにして突進し、距離をとる。その時、山上総司が叫びながら先ほど拾った木の棒を人影に振り下ろした。残念ながらその一撃は爪に弾かれ、蹴りを顔面に受けて山上総司は派手に地面にぶっ倒れた。
「まったく・・・役に立たないな君は」
彩城条花はため息をつきながら人影の攻撃の後の隙をついて接近し、たたきつけるような縦方向の斬撃を繰り出す。しかし、直前で間に合った人影の爪と衝突し、火花を散らすだけに留まった。
「鉄で出来ている…?」
彩城条花はナイフを爪からはがすと横向きにナイフを振った。だが跳ね上がった人影の蹴りを受け、攻撃を阻害されただけでなくバランスまで崩される。人影の長大で殺意に満ちた爪の一撃が襲来する!
それを視界の隅で認識しながら彩城条花は地面に片手を突き逆立ちの要領で、それを軸にして体を回転させた。ぎりぎりで爪による攻撃を避ける。彩城条花はその姿勢を維持したまま足を広げ、人影の頭を挟み込むようにして固定し、体を思いっきりひねった。全体重の乗った回転に人影も巻き込まれて地面に倒れる。ワニの獲物を殺すときの動き、俗に言う『デスロール』の応用版で人であれば無事では済まないほどのダメージを受ける技だ。彩城条花はすぐさま固定をはずすと2メートルほどの距離を取ってから立ち上がった。
だが人影は何事もなかったかのようにゆっくりと体を起こした。首の骨はどう見ても完全にへし折れているのにもかかわらず、平然と走ってさえいる。彩城条花は何度も繰り返される爪での攻撃を受け止めつつ時折反撃しながら打開策を模索し始めた。こいつの動きを止めるにはどうすればいいのだろうか。
そうしているうちにガードに緩みが生じ、中段蹴りを受け止めきれなかった彩城条花は続く左のパンチをまともに食らって吹っ飛んだ。ただでさえ軽いその体躯である。たっぷり十メートル以上地面を転がっていった。彩城条花はそのままぴくりとも動かない。
「この糞野郎!ぶっ殺す!」
山上総司が再び木の棒を振るった。それは剣道で言う突き技。ねらいはまっすぐ人影の喉目掛けて踏み込んだ。アスファルトに響く鋭い踏み込みの音。続いて山上総司は頭部に集中的に攻撃を当てていく。いかなる生物でも頭部が弱点でないことはない。絶え間なく続いている面打ちはダメージを与えているようだ。
突然、痺れを切らしたかのように人影が爪を振るう。山上総司の持つ木の棒を見事に輪切りにし、続く殴打で転ばせる。振り下ろされた爪を転がって回避し、運良く近くに落ちていた鉄パイプをつかんで起き上がるのと同時に人影の足にスイングした。骨にひびが入るいやな感覚と共に人影が方膝を突いて崩れるように倒れた。その隙を突いて山上総司はさらに距離を取り、鉄パイプを竹刀に見立てて中段に構えた。人影は足を引きずりながら立ち上がって爪を構えて近づいてくる。その見た目は狂気としか形容の仕様がない。
山上総司は湧き上がる恐怖を理性で押さえ込み、呼吸を整えた。勢いの衰えない爪の一撃を鉄パイプで受け止め、つばぜり合いに持ち込む。脚に怪我をしている人影はうまく踏ん張れないだろうと見込んでの行動だ。一秒と持たない時間で人影は押し負け、山上総司は気合と共に鉄パイプを振り上げる。一撃で殺されかねないような爪での一撃を鉄パイプで受け、即座に振りかぶり、山上総司の得意技の一つである『返し胴』が人影の胴体へ叩き込まれた。
山上総司は剣道県大会で1位を記録するほどの実力者である。その胴打ちは音速すら超越するといわれている。直撃を受けた人影は音もなくその場に崩れ落ちた。
「はぁ…はぁ…やった・・・」
山上総司は鉄パイプをその場に投げ捨て、彩城条花のもとに駆け寄った。うつぶせに倒れている彼女を抱き起こし呼吸をしていることを確認すると軽く揺さぶった。程無くして薄く彩城条花は目を開けた。
「う・・・山上・・・?」
「ああ。オレだ。どうにかしてやっつけた」
「そうかい…油断するなッ!」
彩城条花は山上総司を突き飛ばし、襲いかかる爪を再びナイフで受け止めた。だがさっきと違って人影の方が力をかけやすい。さらに必死にナイフをもつ条花に異変が起きた。
「ぐうっ・・・」
突如として彩城条花は苦しみを耐える表情になった。彼女の眼に例の乱視が発生したのだ。その光景を山上総司が見ていた。彩城条花の眼はいつもの夕日を思わせる紅の色からすべてを見透かすような、それでいて刃物のように凍てついた銀色に変わっていく様を。
山上総司は彼女を助けるべく素手で人影に殴りかかった。彩城条花に夢中になっていた人影の顔面に山上総司の鉄拳が炸裂する。そのままもつれ合い、マウントポジションをとった山上総司が攻勢に打って出るのを比較的痛みの弱い右目で彩城条花は見た。ふらつく動作で彼女は立ち上がり近くにあった木に寄りかかって体勢を整える。視界が狭まったり、上下が反転する現象に耐え、思わず目を閉じてしまう。
「まだだ・・・ボクは、あきらめないッッ!」
カッと目を見開いた彼女の視界はすべての色が反転し、いわゆるネガ写真のような景色が広がっていた。一瞬のみ驚くがすぐに冷静さを取り戻し、ぶっとばされた山上総司の方角を向きなおす。心なしかいつもより物の動くスピードが遅く感じられる。この”眼”のせいなのは確実だ。
静かに、そしてさっきまでの不安定な動きを忘れさせるような凛とした動きで走り出す。そしてさえぎるものを総て断ち切るかのようなすさまじい斬撃が繰り出された。直線的であるその攻撃はいとも簡単に人影の爪に受け止められる。しかし、その爪をたたき折るだけの力を持っていない彩城条花であるのにもかかわらず、爪はまるでガラスのように砕け散った!
ギシッと自分の体が軋む音を彼女は聞いた。たぶん長くはこの状態を維持することが出来ない。彩城条花はそのまま次の人影の懐に潜り込んだ。リーチの短いナイフと体の小さい彩城条花だからなせる技である。そしてナイフを両手で持ち全力で人影に突き込んだ。体の軋む音が大きくなっている。だがそれでまだ攻撃を終わらせる彼女ではなかった。根元まで埋めたナイフを回転させ、内臓もろともダメージを与える。トドメにナイフを食い込ませつつえぐるようにして切り裂いた。
「――――――」
人影は何も言わず力なく両手をたれ、脚から灰と化して朽ちていった。
* * * * * * * * * *
痛い。ただただ全身が痛いというこれだけのことにすぐ気を失ってしまいそうだ。あの”眼”を使った代償がこれである。そして激しい疲労。ボクはまともに立つことも出来ずにその場に倒れようとした。
「おっと。大丈夫か彩城」
山上がボクを支えてくれた。もう立ち上がる力も残っていないので山上に体重を預けることにする。
「ぜぇ・・・はぁ・・・けほっ。すまないね。・・・迷惑、かけて」
「いーや。迷惑だなんて思っちゃいないよ」
「ふふ・・・君はいい人だ・・・」
はたからみれば抱きついているように見えないこともない姿勢でボクはそう言った。今日のこの山上の行動で考えていることがボクにもようやくわかった。言うのがなんだか恥ずかしいけど、山上はその、なんというかボクのことが好きなんじゃないだろうか。実を言うとボクが人影にぶっ飛ばされた時、まだ意識はあった。そのときに山上が人影に殴りかかったのをちゃんとみている。
ボクだって別に山上のことが嫌いなわけじゃない。ただそんなに山上総司という人間のことをあまりよく知らないからだ。ただ少し怖がっていてそれを知られたくないからさんざん冷たい態度をとってきた。
自分も馬鹿だった。申し訳ないこともたくさんしてしまった。でも、ボクは素直にごめんって謝れないんだ。だからこれから言うことはその代わり。
「山上。君はボクのために体を張ってくれた。人のために尽くせる君は信頼できる。・・・ボクも言動をどうにかしてみようと思うから・・・えと、その・・・」
「なんだ?」
「ボ、ボクの友人になってくれ!!!」
緊張の空白。ボクはじっと山上を見つめつづけた。その顔に表れた表情は困惑と衝撃だったがすこししてからふっと笑みをこぼし、僕の手を握った。
「・・・!」
いつもだったら真っ赤になって罵倒しているところだが、それを押しとどめて山上の手を握りなおした。山上の手は少しごつくて大きかったけどそこに確かな温かみが宿っている。なぜだかとてもいい気分だ。しばらくそのままだったが山上のほうから手を離した。山上と眼を合わすのが無性に恥ずかしくなり、ボクはうつむいた。
「今日はやめておいた方がいいんじゃないか?」
「・・・不本意だけどしょうがないか。こんなざまじゃ山上の足手まといだ」
しばらくの沈黙。
「悪いけど、家まで送っていってくれないかい?とても立てそうにない」
「かまわないぜ」
あのマンションの捜索は明日の昼間あたりにやっておこう。今回の人影が出たということはこのマンションが正解だって言う意味に他ならないんだから。
「あ、山上怪我してるじゃないか!手当てしないと」
「いやいいってば。平気だ」
「じゃあ帰ってからするよ。いいね?」
「・・・わかった」
そんな会話をしながら。
現段階で条花ちゃんはまだ”眼”の力の三割も引き出していません。つまり、まだまだ強くなるということ。