2話「子犬と黒髪」
「お前も意地が悪いねぇ、普通になんとかするって言えば良かったじゃん。」
町から出てしばらく無言で歩いていた2人だったがその何とも微妙な空気に耐えかねたシナンは先程の事を言い出した。
「いや、それはあの町の人間に良くないだろ。偶々通りかかった旅人にどうにかしてもらおうという魂胆も気にくわないしな。」
口調に棘があるアルを見てシナンは不思議に思う、何故そこまでイライラしているのかよく分からないからだ。
「何か怒ってないか? 」
「……別に、ただ虫の居所が悪いだけだよ。」
歩くスピードを少し上げこれ以上この話はするなと態度に滲みだしているのを見てシナンは溜息を吐く。
虫の居所が悪いのは門番達のせいもあるが他の町でも頼られる事はありその時も断っていたがそこまで機嫌が悪くなっていなかったのに今回は非常に悪い。
「やれやれってか? 」
そんな道中だったが森へと入る手前の場所になるとシナンとアルは一旦立ち止った。
「んじゃあ今日はここ等で寝泊まりしますか。」
「そうだな。」
今から森に入ると森の中で日が暮れるという事もあり、わざわざ森の中で一夜を過ごすのは神経を消耗するのは良くないと思い森へ入る手前で一夜を過ごす事を決めその準備にとりかかる。
「アルは狩りに行ってくるのか? 」
「ああ。」
「へいへい、飯は俺が作るから日暮れにまでには帰って来いよ~」
「おう。」
まだ機嫌が良くないらしくいつもの憎まれ口すら出さず一言、二言の単語にもならない返答しか出さないアルの様子を見て上手い飯を作ってどうにかするしかないと思うシナンだった。
「さてなら俺は薪を拾いにでも行きますかね。」
アルとシナンは二手に別れて今晩の飯の用意をする事を決めた。
この2人組みに関して言えば食糧は現地調達が基本である。町で買ったものは緊急用の保存が効くものばかりだ。
これは金銭面があまり恵まれていない旅をしている者達にとっては基本的な事である。食糧は生命線でありケガをしたりすると狩りにも行けずに何日も同じ場所へと居続けなければならない事もあるし狩りも失敗することもザラにあるので当然と言える。
「荷物は置いておく。」
アルは大きなリュックを置き、そのまま森へと向かう。
「了解、さてじゃあ早速……」
口笛を吹こうと思ったのか唇を尖らせながらヒュー、ヒュー、と虚しく空気が漏れる音が切なく聞こえ、その場の空気が一瞬止まり風の音だけがやけに大きく聞こえる。
「何してんだ……」
思わず足が止まりアルはその方向へと視線を向けた。
「いや、そろそろ口笛吹けるかなと思いましてね? 」
照れ笑いをしているシナン、どうにも口笛を吹きたいらしく毎度練習をしているのだが全く上手く吹ける様子がない。どうにもアルが時々吹くメロディが気に入ってるらしくそれを吹きたいらしくよく練習しているのだが、まるで駄目だった。
「では気を取り直してっと。」
シナンのズボンから黒い小さな笛を取りだし、大きく息を吸い込み思いっきり吹いた。すると遠くから風を斬り裂く音が聞こえ、その音が段々大きくなってくるのと同時に黒い物体がこちらに向かって駆けて来るのが見えるアル達の手前まで来ると同時に砂埃が舞い上がった。
「ゲホゲホ、勢い良すぎだろう!? 」
「ハハハ、流石はロスだわ。」
あまりの勢いにすっかり苛立ちを忘れてせき込むアルに対してその勢いに思わず笑ってしまったシナン。それぞれの反応していると砂埃が消えて行き黒い物体がいたと思われる場所にいたのは、小さな黒い子犬が1匹そこにいた。
「ワン!」
「よしよし、良い子にしてたか?」
シナンの声を聞くと同時に肩に飛び乗り顔を舌で舐めまわしながら呼ばれたことの喜んでいるのだろう尻尾を千切れんばかりの勢いで振り回している。
ロスと呼ばれたこの子犬は小さいながらも番犬として優秀な能力を持っており、荷物番にすれば間違いなく荷物を守りきってくれる。
「やめろよ、くすぐったいだろ?」
「ワンワン!! 」
あはは、と笑っているシナンと子犬のまるで青春の1ページのようなやりとりをじっと見ていたアルは男達の方へと視線を向ける。
「……お前恥ずかしくないのか?」
「え、何が? 」
「お前に……いや何でもない。」
どうしようもない物を見るような冷やかな目をシナンに向けてすぐにアルは森の奥へと行ってしまった。
「? 何か今日のアルはおかしいよな? 」
「ワオ? 」
子犬の真っ白な瞳を見つめながら子犬と一緒に首を傾げるシナンだった。
◇
「ったくアイツは毎度毎度何をしているんだかな。」
誰に対してか分からない文句を言いながらどんどん森の奥に進んでいくアル、まだ日は昇っているはずなのにも森の奥へと進むにつれて光が薄れていき昼間なのに夕暮れ時のような暗さになっているのだがそれを気にする様子もなく歩いて行く。
そんな折アルは急に立ち止ると背中の剣に手をかけて何かの気配を探っている。
「3匹……いや4匹か。」
何者かの気配を感じ取り身構えると8つの紅い瞳が光りこちらと目が合った、するとその内の1匹が牙を向け襲いかかって来た。
「“イ―ビルウルフ”か、この辺りじゃ一番強い魔物だな。」
“イ―ビルウルフ”ギスカーン大陸のアルハラン地方東北部の森付近に生息する少数の群れで行動する魔物だ。
この魔物のやっかいなところは鉄をも噛み砕く顎の強さ以上に森の中で足音が全くしないという点だ。木の枝を踏もうとも落ち葉を踏もうともまるで音がせず、近寄られた事を知らずに喰い殺された旅人も数知れない。その事から“森の隠密者”の名で呼ばれる程のやっかいな魔物だ。
「コイツの肉は食えるとこが少ないんだよな。旨いんだけど処理が面倒だしなぁ。」
文句を言いながらも右足を軸にしてイ―ビルウルフの攻撃を軽く避け、背中にある大剣に手をかけて攻撃するのかと思えばそのまま手を放した。
イ―ビルウルフは2度目の攻撃に移ろうとするが、後ろ脚の感覚がまるでない。
違和感を感じ自身の後ろ脚の様子をみようと振りかえると、自身の下半身が少し離れているところに落ちていた。そしてその事に気付くと狂った様に吠え、自らの血溜まりの中で息絶えた。
一撃。
正しくその言葉通り仕留めてみせた。その速さは常人には認知できない程である、斬られたイ―ビルウルフが何秒かの間斬られた事に気付かなかった事がそれを物語っている。
「お前等今日の晩飯になりたいか? 」
仲間がどうやって死んだのか分からないイ―ビルウルフ達だったが、フードを着ている人間に殺された事は本能的に理解できこの人物に対する警戒心が一気に増し、野性で生きる為の勘が逃げろと訴えてくるが仲間を殺されて黙って帰る訳にはいかないのか十分に距離を取りながら相手の様子を窺う。
背中の剣に手をかけて魔力を込めるアルに警戒しつつ攻撃の機会を探っているイ―ビルウルフ達、そしてアルが剣を抜こうとするのを見ていた。
それがイ―ビルウルフ達が最期に見た光景だった。
「悪いな、襲って来ない奴は普段は殺さないんだが、今日は虫の居所が悪いんだわ。」
イ―ビルウルフ達とアルとの距離は10歩程の距離があったはずで剣が届くはずなのに斬撃によって頭を刎ねられた。
アルはまだ足跡が付いていないイ―ビルウルフと自分までの道を歩いて死骸を拾う。
「血が付いてるからあんまり高くは売れないかな。」
4匹の死骸の血だらけの毛皮と食べられる肉を剥ぎ取りながら今日の晩飯はそこそこ期待できることに顔をニヤつかせながらお気に入りの曲を口笛で吹き始めた。
「ちくしょう…俺はコイツに勝てるのか…?」
あの後、血の臭いに誘われた魔物を何匹か狩ったり森に生えていた毒のないキノコ等を手に入れたアルは倒した魔物で一番大きかったベアグリズリ―の毛皮の中にそれらを全部入れて危なげなく森から帰ってくると、目に入って来たのは4匹の青いスライムに囲まれている自分の連れがピンチになっている姿だった。
一緒にいたはずの子犬がいないのでその周りを見るとその近くで黒い馬と仲良くじゃれ合っていた。
一体何があったのかまるで分からないが自分の連れが顔を腫れ上がっているのを見るとブルースライムの攻撃にやられたようだった。
「相変わらずだな~ブルースライムだぞ? 村のいじめられっ子の子供がストレス解消に倒すような魔物だぞ? 」
「るっせぃ!! 俺にとっては殺るか殺られるかの一大事なんだぞ!?」
アルが森から帰って来た事を知ってか知らずか、思わず叫ぶシナンにアルはただただ呆れるばかりである。
それもそうだろう、このブルースライムはこのアルシリアンで堂々の1位を誇る弱い魔物だ。
魔物で弱いといえばグリーンゴブリン等が有名だが、子供では絶対勝てない程には強く、大人が装備を整えてようやく勝てるレベルの存在なのだが、このスライムは別だ。
他の追随を許さない圧倒的弱さ、それがブルースライム。生まれたての赤ん坊の方が強いのではないかと言われる程圧倒的に弱い。
そんなブルースライムだが弱い代わりに爆発的に増える事ができる為、戦っている間にも増殖する事さえあるのが厄介といえば厄介な魔物だ。とはいえ、それでも子供が丈夫な木の棒を使って攻撃したら倒せるぐらいのレベルの魔力をまるで持たないザコ。石ころでも当てたらすぐに死ぬ程のザコ。
攻撃方法は直線上に体当たりをするだけ、行動パターンも分裂をするか攻撃をするか逃げるかの3つしかない。体当たりは意外に速く避ける事は難しいのだが非情に柔らかい為普通の人間ならば当たったところで何の問題もなく、ダメージ等皆無だ。
“台所の黒い悪魔”の名称の害虫に習ったのか“どこにでもいる青いザコ”という不名誉な別名さえある。
そんなブルースライムだが噂では天文学的確率で魔王並に強いブリュ―スライムに分裂してしまう時があるらしいが、今まで見た事のある人間がいないので噂でしかないだろう。
「お前は本当に難儀だなぁ……」
アルが呆れているのも仕方ないだろう、最弱とも言えるスライムに対してこうもボロボロになっている連れを見たら誰でもそうなるだろう。
「よっしゃあ!! 勝ったぁ~~!!! 」
一応はブルースライムを一発で倒したらしく、両手を上げて喜んでいるその男の姿を見てアルは長い溜息を吐くのであった。
「何でコイツと旅してるんだろ……」
「ワン? 」
「バウ? 」
何時の間にやらこっちにやって来た子犬と馬が不思議そうに首を傾げているのを見ながらこれからの旅を思うと不安になるアルであった。