Birth of the Cool 2
赤井直人の眼が真っ赤に染まり、生え揃った真紅の鱗が鈴虫の羽のように震えた。大量の汗が流れて、地面に消し炭のような人型を残している。
昼子は雫を背から降して、耳で呼吸を確かめて、顎を上げて気道を確保した。胸に拳を叩き付ける頃には、佳子が直人の体に馬乗りになり、辺り構わず蠱物を呼んで直人の暴走を押さえつけた。溝鼠、ゴキブリ、ハエなど、本来は忌諱される蠱物までいた。
「馬乗りなんて卑猥ね……」
「誰もそんな事思っていないから口に出すな」
佳子は全身から汗を流しなら、苦しそうに暴れる直人を押さえた。
「そのまま押さえていて」
「仰せのままに」
昼子は雫の唇に指をあて、唇をこじ開けて、唇を重ねて、二度息を吹き入れた。拳を力強く胸に叩きつけると、雫は水を吐いて覚醒した。昼子はすぐさま直人に向き直り、宝剣の切っ先で胸を撫でた。
『縁を切る』
親と子の縁を切るように、魔力の線を切る。昼子は宝剣のみで竜と赤井直人との縁を切ろうとした。常人なら土地や建物や祈りの力を借りなければ縁切りなど出来ないだろう。
「ここは?」雫は息絶え絶えに昼子に尋ねた。
「河原だよ。溺れていたんだ」
雫は直人を振り向いて悲鳴をあげた。蛙頭に魚の胴体、魚頭に鳥の胴体、他にも色々な蠱物が直人の上に乗られて、その直人本人も真紅の鱗が生えていて、化物の生簀のように見えた。
「見えるんだ。その才能は枯らした方がいいよ」
「まったく、その通りだね」
昼子は口の端で笑い、眼は宝剣の切っ先を見据えたまま、文字を刻むように動かした。
「まずいな、融着する」
昼子の瞳に汗が流れたが、瞬き一つしない。その目には赤井直人の体は絡まった毛玉のように見えた。
「昼子、首とか股とか心臓も切った方がいいよ」
「自信がない」
「早くしないと、融着する」佳子の声は迷いが無かった。
自信があれば、誰でも明瞭な言葉で話す。勅使河原佳子は淘汰されつつある咒術の使い手だ。時代が違えば、巫女として未来や昼子以上に持て囃されていただろう。
昼子の眼の色が変わった。どんな人間でも自信が無ければ動きが鈍り、蜘蛛の糸に絡め取られた虫けらのようになる。才能も運もある人間の最後の障壁は自信である。
昼子は迷い無く首筋を切り、心臓にとんっと宝剣を突き、股に深々と刺した。血がうっすらと浮かんだが、直人の表情から険しさが無くなった。
「切断した」
「さすが、昼子……」
佳子はほっと一息をついた――が、佳子の体が宙に浮き、直人の右腕が上がり、昼子へ伸びた。
昼子は瞬時に宝剣をたてた。
てろてろの赤の腕が昼子の宝剣に裂かれる。だが勢いは止まらない、真っ二つになった肉片が昼子の顔面に殺到した。顔面に爪が刺さる瞬間に、昼子は頭を横にずらして避け、そのまま手の平に頭突きをした。
頭突きした手の平に皺がより、竜の顔になった。
「オマエガ、シヌシュンカンヲ、ミテイルゾ」
「彼から離れろ」
「ムリ、ナンダイ、フカノウ」
雫の記憶がそこで途切れた――気絶したのだ。
「このだあほがぁ」
「そんなこと言われても」
「今日も平和ねー」
雫の瞼に日差しがかかり、虚ろなまま覚醒した。体を起こすと、柔らかな掛け布団が簡単に動いた。横には布団で寝かしつけられた直人がいた。何度か肩を叩いてみたが、いっこうに起きる気配が無かった。
てろてろの赤い鱗はそこには無かった。
「お母さん、ごはんまだぁ?」
「はいはい、お父さんがいま投げているからね。はい、昼子ちょうだい」
「はい、おばさん」
かちゃ――と小さな音が鳴った。
雫は声がするほうの襖を開けた。
「え?」という声しか出なかった。
そこには全力で食器と物を投げている大人と、それを淡々とキャッチして床に並べている昼子がいた。それと静かに食事をしている双子らしき姉妹と、大人の女性がいた。
「あっ、起きたの?」と昼子はいい、目を向けずに食器を受け止めた。「おじさん、いい加減機嫌直してよ」
「この娘が例の子か?」
「違うよ。この子は隣にいた子。名前は――」
「初瀬雫です」
「私に間違われて襲われたの」
「似てないな」
――どうせ、私は美少女には程遠いですよ。というか襲われた?
「襲われたって、あの川に何かいたんですか?」
――ワニとか。
昼子は皺を寄せ、同じく皺を寄せたおじさんに耳打ちをして、縁側の方へ消えてった。部屋の中には雫と、大人の女性と似た顔をした二人の少女だけになった。
「まあ、とりあえず食えば」
明るそうな表情をした少女がご飯をよそって、雫の前に置いた。ご飯粒がつやつやと輝いており、神聖な念を込めたような圧力があった。
「いいんですか?」
「やっぱり見えている……」
眉尻を下げた少女がぱくぱくとご飯を食べ始めた。
「それはね。お盆に備えるための神米なの」大人の女性が喋り始めた。どことなく体調が悪いようで肌色が悪く、化粧も施していないようだ。「昔から伝わっているお米で作っているからそんなに美味しくないのよ。でも、お供えをするのにいっぱい出来ちゃったから皆で食べているの。お口に合わなかったら言ってね。食べ盛りの子はいっぱいいるから」
「はあ」
――そんなに由緒あるもの食べていいのかな。
すると――小さな馬が畳を歩いてきた。
――小さな馬……うまぁ?
「きゃああ!」
快活そうな少女は、私の放り投げた食器をキャッチした。
「見えてる……」
気の弱そうな少女は溜息を吐いていった。
「やっぱり駄目だ。昼子! 昼子!」
元気いっぱいの少女は雫に食器を押し返した。
「あらあら、どうしましょうね」
小さな馬が膝の上に乗り、食器のご飯を食べ始めた。
「簡単に言うとね――私たちは超能力者なの」
常盤木昼子は膝の上に小さな馬を乗せて猫じゃらしでポンポンと頭を叩いた。
「ここにいるおばさんは普通の人だけど、初瀬さんが見えるように蠱物くらいは見える。いま、初瀬さんがいる領域は、おばさんの領域と同じと言うわけ。で、問題なのが――見えると今まで見えなかった連中が襲ってくるのよね」
「私も大変だったわ――でも、その時、お父さんが助けてくれて、それ以来ラブラブ……」
「そう……出会いもあるよ!」
「気にしないで、この二人、ふざけているだけだから」
昼子は雫の手を握ると、縁側まで連れて行き、二人っきりになった。
「ごめんなさい。許してと言っても言い足りないよね」
昼子は両手をつき額づいた。
「そんな私は何がなんだが」
「いや、初瀬さんは分かっていない。死ぬかもしれないわよ」
背に冷たい汗が流れ、血の気が失せた。
「才能があるものは、その才能から逃れることは決して――できない。おばさんもそうだったらしいの。見えるけど、抵抗する手段が無い、透明な蚊にたかられるようなものなの」
「透明な蚊……」
――それは嫌だなぁ。
「それに、あの男の子。初瀬さんも問題だけど、深刻なのはあっちね」
「そうだ……直人はどうなったの?」
「彼は……」
襖が切り裂かれ、直人が中から這い出してきた。肌には赤い鱗が生え揃い、両目が蛇の瞳になっていた。ふらふらと、縁側から飛び降りて、緑の葉が揃った桜の木に体当たりした。
昼子は雫の前に立ち、片腕を真っ直ぐ伸ばしていた。
「昼子。下がっていろ」
おじさんが居間から歩いてきて、箸を逆手に持っていた。
直人は牙を生やし、おじさんに飛びかかった。
漆塗りの箸が牙を押さえ、箸で弾き返し、直人の頬を両方に引っ張って、そのまま高々とあげて、にかっと笑わせた。
――この後、どうしていいか分からない。
「おじさん、何しているの?」
「うーん」
「あががががが」
「てーい」
おじさんは直人の腹に強かにアッパーを打った。
「ひどっ」昼子。
「児童虐待だ」雫。
「相手は子供とはいえ、レッドドラゴンだぞ」
「レッドドラゴン?」
「黙示録に出ているよ」
昼子は嫌そうに言った。