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「あっ、このへんでいいです」


 男がそう伝えると修一は車を道路脇に止めた。ちらっと、車窓から外を覗くとそこには大きな屋敷があった。ドラマに出てくるような、メイドが何人も待ち構えていてもおかしくないくらい立派な屋敷だった。


 修一がメーターに表示してある料金を伝えると、男は財布から一万円札を差し出してきた。

 「お釣りはいいですよ」そう言って男は颯爽と車から降りていった。その後ろ姿は自信に満ち溢れ、いわゆる勝ち組特有の雰囲気が醸し出ていた。しばらくすると修一はその姿に魅入ってしまっている自分がいることに気がついた。


「くそっ!」そう吐き捨て、修一は乱暴にアクセルを蹴りこんだ。



 彼はいま港区の住宅街を車で走っている。さっきの男を家まで送っていったのである。無論親切心で送ってやったのではない。仕事である。彼は個人タクシーを経営している。街でどこにでも見かけるそれである。本当は、数年前までは一流商社に勤めエリート街道をひた走っていたのだが、先年のリーマンショックのもたらした不景気のに波により、あっけなくつぶれてしまった。一寸先は闇とはこのことだ。その後路頭に迷い、いい会社とはめぐり合えず、なんとか自営業である個人タクシーの運転手にこぎつけたというわけだ。もう今年で三十四歳を迎えるが、収入は年齢とは不相応なものであった。


 すでに時計は夜の十一時を回っていた。修一はいつも仕事終わりがこんなに遅いというわけではなかった。自分のルールとして、一日で稼いでおきたいノルマがあるのだが、今日は特に客がつかまらなかった。つかまったとしても買い物帰りの主婦や駅まで急いでるサラリーマンくらいで、それではたいした稼ぎにならなかった。節約志向でタクシーではなく公共機関で我慢するひとが増えたのだろう。営業時間を延ばしてもいい客は来ず、今日は赤字か、と諦めているとさっきの男が乗り込んできて、五キロも走ってないのに一万円札を置いていった。そのおかげでなんとかノルマは達成できたというわけだ。


 だがそれでも修一はいい気分じゃなかった。ああいうばりばりに金を稼いでいそうな奴を見ると今の自分の姿と比べてしまい、どうにも情けない気持ちになってしまうのだ。前の会社が健在であったなら、課長ぐらいにはなっていたはずである、と彼は思っている。


 しばらく走ると最寄駅である朝霞駅が見えてきた。もう十分も走れば彼の住んでいるアパートに着く。そこそこの立地の良さである。


「晩飯はどうするかな」そうつぶやくと修一は片手で助手席に無造作に置いてあるチラシを漁り、いきつけのスーパーのチラシを取り出した。帰りが遅くなるといつもそこで惣菜を買って夜は済ましていた。彼女がいたときはよく御飯を作りに来てくれたのだが、修一が失職するや否や、別れを切り出され去って行ってしまった。それ以来彼女は作っていない。もっとも、この甲斐性ではなかなか女は寄ってこないだろうということは彼が一番よくわかっていた。


 駅前を抜けて住宅街へぬけようとすると道路脇でなにやら女が手を上げていた。どうやら乗せて欲しいらしい。


「回送の文字が見えねえのかよ」一瞬そのまま通り過ぎようとしたが、明日もとうていノルマは越えられそうにないんだから今日稼げるだけ稼ぐか、と修一は考え、車を止めた。そして乗車席のドアを開けた。


 しかしなかなか女は乗ってこない。


「どうしたんですか?」車窓を開いて問いかけるが女は動かないままだった。修一がどうしようかと困っていると急に女は後ろへ向き直り、すたすたと路地裏へと歩いていってしまった。


「なんなんだ・・・」そうつぶやいてる間に女は暗がりへと消えていってしまった。


 無視するか、と思ったが、実は修一はあの女に興味が涌いていた。行動自体が意味不明なのもあるが、なにより容姿が綺麗に見えたのだ。はっきりと彼女の顔を見たい。そう思うと彼の足は路地裏へと動いていた。





 路地裏を進んで角を曲がればその女はすぐ見つかった。紫のワンピースの格好で、頭には同じく紫色のスカーフを垂らしていた。あまり普通の格好とはいい難い格好だと思った。しかし彼女は立っているのではなく、椅子に座っていたのだ。机もあり、そこにはなにやら分厚い本が数冊置いてあった。そして大きく〔占い〕と書かれた紙が吊るされていた。


「こんばんは。さあどうぞ」そう言って女は椅子を引いて座るよう促した。


「こんばんはって・・・。いったいこれはなんなんだ?」


「なにって、見た通り占いですけど」


「そうなのは見ればわかるが、なんでわざわざ俺の車を止めたんだ?」


「タクシーでしょ? 手を上げれば止まってくれるもんだと思ってたけど」そういって女は真顔で見つめてきた。やっぱりなかなか綺麗な顔だ、とそのとき修一は思った。若く見えるが大人っぽい雰囲気も醸し出していて、今まで見てきたどの女性よりも魅力的に感じた。


「いやしかしだね、止めるのはかまわないが、そのままどこか逃げてしまうってのはどうなんだい」修一は女の目を見れずに話していた。面と向かって年頃の女性と話すのは久しぶりだった。


 完全に向こうのペースだな、と思い、彼はこめかみをかいた。


「ごめんなさい。あなたとふたりっきりで話してみたかったの。妙なことをしてごめんなさい」そういって彼女は頭を下げていた。


「いやべつにそんな気にしなくていいんだ」そういって笑うが、修一はもうなにがなんだかわからなかった。修一がそう言うと彼女は頭を上げて答えた。


「あらそう。でね、ぜひあなたを占いたいと思ったの。一回いかが?」そういって彼女は満面の笑みを浮かべている。笑顔も修一好みであった。


(なんだ、近頃は初対面なのにこんなたかり方が通用しているのか? 悪い子じゃなさそうだけどなあ。まあ夜も遅いしさっさと巻いてしまうか)


「いや、生憎だがこの通り金はぜんぜんないんだ。ごめんな」そう言って修一は財布の中身を女に見せた。売り上げは車の金庫にあるため、ろくに金は持ち合わせていなかった。

           

 しかしそれを聞くと彼女は首を振った。


「お金なんていいのよ。あたしが占いたいだけなんだから。はい、手だして」そう言って彼女は机の中からでかい虫眼鏡のようなものを取り出した。


「わかったよ。利き手か?」修一は苦笑いを浮かべながら椅子に座った。


「左手でお願い」そう聞くと修一は左手を机の上に置いた。すると女はまじまじと虫眼鏡で観察し始めた。


 けっこうプロっぽいな、とそのとき修一は思った。


「うーん、あなたってけっこう天才肌だけど一度つまずくと逃げるタイプじゃない?」修一の手をみながら彼女は言った。それを聞いた修一は驚いた。たしかによく聞くタイプだが、修一は典型的なそれであった。


「うん、当たりだよ。どうして・・・」


「ほんとに? やったあ。 あと生まれつき運が悪く、努力でカバーでしてきた頑張り屋さん?」 そういって女は微笑んできた。


「うん、当たり・・・」修一はこの女が怖くなってきた。このとき彼は、中学、高校受験ともに、インフルエンザや交通事故などで満足に試験が受けられず、公立中学、ヤンキー高校で授業を受けながら一流大学を目指さなければならなかった過去があったのを思い出した。


「なるほどね。 あら、あとあなた少し前に今までの努力を全部水に流されるような事件があったんじゃない?」


 おそらくリーマンショックにより失職したことを言ってるのであろう。なんでわかるか修一には理由が思いつかなかった。ここまでくると彼女の綺麗な笑顔が不気味にしか映らない。


「当たりだよ。なんだ、俺の身辺調査でもしたのかい?」どうしてか考えたが、修一にはそれしか考えられなかった。いくらなんでも手相を見ただけでここまでわかるわけない、と思ったのだ。


「そんなことしなくても占い師なんだからわかるに決まってるじゃない」


「いやしかし・・・」修一にはなにか超常じみたなにかによるものが彼女にはある、としか考えられなかった。占いでこんなに具体的に当たるわけない。


「まあべつに信じなくてもいいわよ。でもあなたの今までの運の悪さを克服するためにひとつだけ忠告をしておくわ」そう言って彼女は人差し指を口元に置いた。不覚にも可愛いと思った自分がいた。


「な、なんだい・・・?」


「あなたはきっと明日外に出たとき何かにさわるわ。その一番最初にさわったものを一日全力で守りなさい。それがきっとあなたが失ったものを取り戻すのに役立つわ」


「最初にさわったもの・・・?」修一は想像してみるがどう考えても最初にさわるものといえば車の鍵しか思いつかなかった。明日も仕事に出るので当然車はつかうはずだ。


「車の鍵しか考えられないんだけど、鍵なんかが俺をどうにかしてくれるのか?」


「そんなのあたしだってわかんないわよ。占いでそう言ってんだもの。それに明日外に出てなにが起こるかわからないじゃないの」


「それはそうだが・・・」


「あっ、あともうひとつ出てるわ。どうしようもないときにはだれかと交換してもいい・・・だって!」


「交換? 鍵なんて交換できるわけないだろ」当然これが無くなれば仕事ができない。


「だからそれは明日考えなさいよ。 考えがあれば交換してもいいけど、無償で盗られるのはだめってことね」そう言うと彼女はまたにこっと微笑んだ。


「うーん、納得できないな」


「納得なんてしなくていいわよ。ただ明日一日守りぬけばいいのよ。そうそう強盗なんて来ないでしょ? まあこのご時世だからわからないけど」そういうと彼女は机から水の入ったペットボトルを取り出し飲みだした。


「ううん、まあ気をつけるだけ気をつけてみるよ。君の言うことは当たりそうだし。 あ、できれば俺にも飲み物くれないか?」ひさびさに女性と会話をして修一はのどが渇ききっていた。


「ええ、いいわよ。はい」女は机から同じパッケージのペットボトルを取り出し、修一に渡した。


「ありがとう」受け取ると修一はそのペットボトルを開けようとした。開けた感じから一度開けられた痕跡があるように思えた。間接キスかな。そんなことを考えながら彼はそのペットボトルを口に運ぼうとした。すると女が止めるように話してきた。


「ちょっと待って! あなたの名前を聞いてなかったわ」


「ああごめん。俺は修一、高田修一だよ。君は?」そうして彼はそのペットボトルを口に運んだ。


「修一ね、覚えておくわ。 そうね、あたしの名前は―――」


 そのときすでに修一は意識を失っていた。





「うーん・・・」修一は起き上がると両腕を伸ばし、ストレッチをかけて起き上がった。


そのときに初めて自分が地べたに寝転んでいたことに気づいた。


「えっ、俺はなにを・・・」そうつぶやいて修一はやっと女とのやり取りを思い出した。周りを見ると女も机も全部なくなっていた。


「あの女まさかっ!!」そう叫び修一はポケットから持ち物を取り出した。しかし想像とは裏腹に、財布も携帯電話も車の鍵も、なにもあの女に盗まれてはいなかった。


 ふと時計を見ると夜の二時をまわっていた。意外と一時間くらいしか寝てなかったことになる。


「なんだったんだ・・・」そうつぶやき、修一は路地を抜け、車に乗り込み、なにも考えないようにして家路へと急いだ。







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