五章 『始まりの未来は終わり』
世の中には二種類の人間がいる。『片づけが得意な人間』と『片づけが得意ではない人間』だ――――。
そして峰子さんは間違いなく前者だろう。あらかたの後始末を終え、俺が自分の部屋に戻る頃には、もう午前二時を回っていたが、それでも陽が昇る前に終える事が出来たのは、間違いなく彼女の功績によるところが大きい。
きびきびと動き、少しの無駄の無い動きで掃除を行うその姿は、俺に「きっと峰子さんは家政婦とか、メイドとかにも就職できるのではないだろうか」と思わせるのに充分だった。……もっともこのご時世、そんな需要があれば、の話だが。
「とはいえ、今日はグレートにヘビィな一日だったな」
また癖になった独り言を吐き出しながら、ベットに倒れこむ。ダイブである。
――異物感。
不思議に思った俺は部屋の明かりをつける。
部屋の主である俺より先にベットを占領していたのは――今日、変なお姉さんに押し付けられた、ハンドバックだった。
一階を片付ける際に、荷物になって邪魔だからだと、ベットに置いておいたのを思い出す。
(……まさか、爆弾って事はないだろうけど)
俺は中身を確認する事にした。もちろん、次に何かの機会があったら返すつもりだし、人の荷物をあさる事に、罪悪感を覚えるだけの良心は持ち合わせているが――如何せん、正体不明の物を、自分の部屋に置いておくのは、いささか気味が悪い。
「……これ、結構な値段の鞄じゃないか」
中身に注意を向ける前に、ハンドバックそのものも、高級なものだと気付く。装飾品だとか、そういったものに興味が無い男子高校生である俺が判るくらいに、有名なブランドだった。気が、重くなる。
ひとつ息を吐くと、俺は鞄を開けた。
中には化粧品とか、財布とか、そんな類の物が入っているのだろう。そう、思って。
その俺の予想は、外れた。
(【ぼうけんのしょ】? ――――なんだ、これは)
鞄の中にはクリアファイルが一冊だけ、入っていた。良く文房具店で見かける、ルーズリーフを束ねて、本のように保管する、それだ。
透明なオレンジ色のプラスチックで出来た表紙が、部屋の明かりを反射する。
サイズは普段俺が使っているものより、少しだけ、小さい。
そして、一ページ目、表紙の直ぐ下の一枚は硬質な紙で出来ていて――本来なら『数学』とか『英語』とか書くべきであろうスペース――そこに、習字のお手本のような綺麗な字で、【ぼうけんのしょ】と、書かれて、いた。
「日記帳、かな。こんなものを他人に渡して、何がしたかったんだろう……」
そうおもってクリアファイルのページをぱらぱらとめくる。しかし、俺の予想はまたしても、外れた。
クリアファイルには、何も書かれていなかったのだ。
【ぼうけんのしょ】と書かれた紙の右下の部分に筆記体で『Level 1』と記されてはいたが、それ以降のページには何一つ書かれていない。
……さらに奇妙な点は、ファイリングされているルーズリーフが、普段使う物とは違っていたところだ。
その紙には罫線が一切引かれていなかった。
かわりに中央に四角い太枠で何かを記入する欄が印刷されている。
さらに紙の上部には1~3までの数字が記されており、また、下部に何かサインか――テストの点数でも書くような線が一本、入っているだけだった。
……いよいよ訳が分からない。
最初から最後まで、全てがその奇妙な紙で構成されていた。何かのスポーツのスコアでもつける用紙だろうか。
しかしそれにしては随分シンプル過ぎる構成の気がする。
まあ、これが何なのかまるでわからないが、こちらが危惧するような危ない品でなかったのだ。次に会ったら返すのだし、それほど気にするものでもないだろう。
俺はファイルを元通り鞄の中に戻すと、着替えもせずに、身体をベットに沈めた。制服が皺だらけになってしまうだろうが、まぁ、いい。今日は、もう、疲れた。
夢を、見た。
酷く、蒸し暑い、夏の日、だった。
視界がぼやける。黒と、白の、帯。
中学生の学ランを着た俺が、立っている。
喪服に身を包み、嘆き悲しむ人達。
――気の毒に、ねえ。
どこからか聞こえてくる、声。
――まだ、中学生、だってよ。独りになっちゃったらしいじゃない。
覚えている。葬式の日の出来事だ。
――それにしても、妹さん、恵理香ちゃん、でしたっけ。
恵理香は俺の傍に、居ない。この時は、まだ、入院していた。
――こういうこというのも、アレですけど、ねぇ。これで『三回目』らしいじゃない。
俺はまだ、何も知らない。その言葉が意味するところが、解からない。
――私も、迷信とかは信じないクチだけど、こうも不幸が続くと、ねぇ。
解からない。何も、知らない。
――司くん、だって、言わば『一緒に居なかったから』助かったわけでしょう。
知らナイ。
――知ってるのかしら、血は繋がって、無いって。
聞こえナイ。
――それどころか、誰が本当の親なのか、もう、判らないって。
思イ出サナイ。
目覚ましが起床予定時刻を知らせるよりも、少し早く、自発的に目を覚ます。
寝汗がじっとりと俺を不快にさせる。目覚めは、最悪の部類に入った。体中を鈍痛が襲う。間違いない。筋肉痛だ。
痛む身体に鞭を打ち、寝返りをした俺は、夢の内容に思いを馳せる。
ここ最近は見る事が無かった、葬式の時の、夢。実体験と寸分違わず再生されるその夢は、間違いなく悪夢だった。どうせなら夢らしく、故人が生き返ったりだとか、新手のスタンド使いが襲ってくるだとか、文字通り『夢のある』展開になってくれれば良かったのに。
(……それはそれで虚しい気持ちになる気もするけどな)
それにしても、一体どうしてオバちゃんと言われる部類の人間は、当事者の耳に入るか入らないかギリギリのところで噂話をするのが好きなのだろうか。運悪く、入ってしまったとしても、その後のフォローは一切、しない癖に。
「それなりに、ショックだったんだからなー、ちくしょー」
冗談めかして天井に文句を言ってみる。天井は返事をくれない。
口数が――ひとりごとが増えたな、と日比野は言う。その通りだ。だけど、それに反比例するように内容は薄くなった。どうしようなくしょうもない冗句や、気持ちの入っていない言葉が増えた。
「それなりに、ショックだったんだろうなー、ちくしょー」
再び寝返りを打ち、今度はベットに向けて訴えかける、先ほどとは微妙に異なる嘆き。ベットは沈黙を貫いた。
そこで俺は、昨日制服のまま床についてしまった事を思い出す。
ああ、クソ、昨日の俺の馬鹿野郎。ワイシャツはともかくスラックスはちゃんとハンガーに掛けとけよ。
悪夢に、自分の怠惰。筋肉痛の三コンボにやられて、陰鬱な気分になる俺とは対照的に、外はこれでもかという程に、良い天気だった。
雲ひとつ無い空は、どこまでも吸い込まれそうな蒼さを宿し、燦然と輝く太陽の光が、薄いカーテンの隙間から俺を照らす。
まったく、今日は、良い日になるといいな。