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ヴァルプルギスの夜の夢  作者: 朽尾 明核
◆◇心中ルーレット ~アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト~◇◆
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十九章『奈落の底にある歪曲』

 翌日。私たちふたりが目を覚まし、身支度を整えて一階に降りていくと、すでにリビングでは鬼一さんがパンを食べていた。傍らに置かれたマグカップには、珈琲がなみなみと注がれており湯気が立っている。いつの間に作ったのかスクランブルエッグも用意してあった。ここがいったいどこなのか忘れそうになるほど立派な朝食である。コテージに、おいしそうな朝ごはん。これが字面通りに楽しめるような状況であれば、どれだけよかったか。


「おはよう」

「おはようございます」

「君たちの分もよければ作るけど?」

「……遠慮しておきます」


 来夢も首を横にふった。カロリーメイトで栄養補給である。正直にいえば食べたい、それはもうとてつもなく食べたいのであるが、しかし最低限の警戒心は保っておきたかった。


 それとも、ここは食べておくべきなのだろうか。傷むのが早いものから食し、保存のきくものをとっておいたほうが、長期的な観点からいえば正解なのかもしれない。もっとも、食料の備蓄が切れるほど、閉じこめられ続けるなどという事態は想定したくないが。最悪のケースは考えておくに越したことはないだろう。


 それに、数日ここの食事を食べている鬼一さんが無事なのだから、それほど神経質になる必要もないのかもしれない。それに昨日は関口さんも餃子を食べていた。彼も食べているのだから、大丈夫だという可能性はある。


 霧は相変わらず晴れる兆しがない。窓の外は依然灰一色で、まるで時間が止まってしまったかのようだ。


「そういえば」私は少し気になったことを尋ねる。「関口さんはどうしているんですか」

「まだ見てないな」 スクランブルエッグを口に運びながら、鬼一さんは淡々と答えた。「部屋で寝てるんじゃないか」

「鬼一さんは今日もまた、あそこの倉庫で【核】を探すんですか」

「そのつもりだ。君たちも、外を探索するのか?」

「ええ」


 それしかできることはないのだ。多少危険な気もするが、そのリスクを冒してでも前向きな行動をしておきたい。じっとしたまま、待ち続けることなど、できる気がしない。


「あの、ちょっと訊きたいことがあるんですけど」

「なんだ」

「えっと、この状況っていうのは、魔法使いの人が作り上げたんですよね」

「俺はそう考えている。君達が信じるかどうかは自由だ」

「その、つまり人為的な現象ということになりますよね」

「そうだ」

「だとすると、いったいこんな【結界】をつくった人は、何が目的で私たちを閉じこめたんでしょうか」


 私のその質問に対し、鬼一さんは卵を食べる手を止めこちらをちらりと見やった。そう、たとえばこれが超常現象だとして、怪談話のような原因不明な現象というならば気にはならない。理不尽な恐怖に対して理論的なはたらきを期待することはナンセンスだからだ。しかしこれは、何者かが意図をもっておこなった隔絶である。だとしたら、そこには必ず人の意志が介在しているはずだ。では、いったい何故。私たちのような一般的な女子高生ふたりをここに押しとどめておく理由はなんだ。


「正直に言うと、見当がつかない。俺にはある程度思い当たる節があるが、君たちがなぜここに閉じこめられたのかは不明だ。おそらく、偶然巻き込まれたのではないかと思う」

「偶然、ですか」

「俺を抑える際に、たまたま遭難して近くにいたから、といったところじゃないか」


 私にはそうは思えなかった。『ある理由』で。




 朝食を食べ終えた鬼一さんを見送ってから、私たちはふたたび探索を始めることにした。結局、関口さんが起きてくることはなかった。私たち二人が寝泊まりしている部屋に戻り、簡単に準備を整える。部屋から出た時、扉の横に置かれている棚が目についた。


「この棚」


 高さは、私の身長を優に超える。木製だが扉の部分がガラスでできており、中に飾られている皿やカップやらなにやらが見えるようになっていた。いかにもアンティークといった風情で、ディスプレイされているティーセットなども含めて、とても高級感あふれている。


「おしゃれだな、なにか、こういう棚を呼ぶ名前ってないのかな」

「キュリオボードっていうらしいですよ」


 ゴムで髪を一つ縛りにしながら、来夢が教えてくれた。へえ、と相槌をうつ。物知りだなと感心した。




 準備を済まして、来夢と一緒にコテージから外に出る。霧はむしろ濃くなってるような気がする。圧迫感で胸がつまりそうだった。

 気分を変えるため、深呼吸をした。隣で来夢も示し合わせたように深く息を吸う。ふと、彼女が顔をしかめた。


「どうした?」

「いえ」彼女はすんすんと鼻を鳴らす。「やっぱり……変なにおいがします」


 そうだろうか。私も注意してにおいを嗅ぐが、よくわからない。そういえば、昨日も来夢は同じようなことを言っていた。しかも今回はずいぶんと、確信があるらしい。


「響さん、花粉症気味ですか?」

「そういわれれば、少し……」極力意識しない様にしてたのに。言われたとたん、目がしぱしぱしてくる気がする。


 ふむん。私は、思案する。


「なあ来夢、そのにおい、どこからただよってくるかわかるか?」

「どうでしょう。でも、結構はっきりしてるので、わからなくもないかもしれません」くんくんと匂いを嗅ぎながら。「においのでどころを、探すんですか?」

「闇雲に動くより、可能性はあるかもだからな」


 もしかしたら、ゴミをまとめておく場所があるのかもしれない。発見できれば、何かこの状況を脱する手がかりが……ありそうにも思えないが、それでも当てもなく霧中を散策するよりはいいはずだ。いいと思いたい。


 いったいどこからにおいがするのか。ぐるりとコテージを一周したが、特に匂いがつよいところは無いらしい。後半になるにつれて、来夢自身「ひょっとしたら気のせいかもしれません」と自信がなさげになってしまった。それくらいかすかなものらしかった。


 しかし、収穫がなかったわけでもない。コテージの裏――最初にあるいた道を東と仮定し、鬼一さんと遭遇した場所を西とした場合、北にあたる部分――は林になっている。いや、むしろ森と言うべきだろか。鬱勃としているため、迷う訳にはいかないと入るようなことはしなかったのだが、すこし調べると、一か所だけ明らかに誰かが出入りしているような跡がついていたのだ。


「足跡、だよな」

「それに何か、ひっかいたような跡もついてますね」


 そのようだった。さらに、近くの樹の低いところに、何か『しみ』のようなものも付着している。手のひらサイズで赤黒く、こすり付けたようだった。


 出入りの痕跡は、森の奥の方へと続いている。枝が折れたりしているため、わかりやすい。


「行ってみますか?」


 来夢が尋ねてくる。私は少し考えた後、結局頷いた。



 森の中を進むのは、予想以上に困難だった。木の根が地面に張りだしていて歩きにくいし、枝が邪魔をしていたりもする。木々が結構な密度で生い茂っているため、ただでさえ霧で視界は悪い状態なのに、さらに狭まっているのだ。オリエンテーリングのときも大変だったが、それでもきちんと整備された道だったのだなと実感した。


「痛っ」

「どうしました?」

「いや、ここ、木の根っこが尖ってるから気を付けた方がいいぞ……って来夢、おまえこそどうしたんだ」


 後ろを歩く彼女の眉間にしわが寄っている。


「あの、なんというか、においが強くなってる気がするんです」


 言われて、私も大きく息を吸ってみる。かすかに、変なにおいがした。


「ほんとだ、なんだこのにおい」


 悪路に悪戦苦闘しながらすすんでいくと、一件の物置が立っていた。その周囲だけ木が無く、広場のようにひらけている。


 私たちがいたコテージや、鬼一さんが見つけた山小屋に比べると、あきらかに異質な建物だ。そもそも木造ではなく金属製で、本当に掃除用具やらなにやらを入れておくためだけの物置といった感じである。百人乗っても大丈夫そうだ。


 そこにたどり着くころには、もうすっかりにおいがひどくなっていて、私と来夢は自然と袖を鼻に当てていた。なんと形容すればいいのか、夏場に数か月も放置したあとの三角コーナのような刺激臭がするのである。もうほんとうに、ここに生ごみをためているのではないだろうか。だとすれば、ここへと出入りしている人物は、つまり、私たちを閉じこめている『犯人』の可能性が高い。


 物置の扉には鍵穴があった。試しに取っ手を掴んでスライドさせると、ほんの少しだけ横にずれた。鍵がかかっているわけではなさそうだ。


 開いた隙間から、すさまじい腐臭が流れ出て来た。「けほっ」っと咳き込む。来夢にちらりと目をやると、涙目になっていた。腐臭と共に、蝿が二、三匹ほど飛び出す。思わず眉をひそめる。


 来夢に扉の反対側を持ってもらった。錆びついているのか引っかかっているのか、スムーズに開かないのだ。せーの、と軽く掛け声をかけて、同時に扉を開いた。



 一段と強くなる腐臭。光が入ったことにより物置の中にいた蝿が飛び出してきた。


 ソレら(・・・)は、中で整列をしていた。


 最初は人形かと思った。


 いや、よくわからなかった。


 ただ、そう、人の形をしていた。


 していたのだ。しかし、それは、あまりにも。


 だって、ちがう。髪が伸びている。頭のようなところから。


 六つ。全部で、六つ。


 手と足を投げ出すようなかたちで、壁にもたれかかっている。出て来た蝿の何

匹かが、顔にあたる。うっとおしいとも思えない。


 裸だった。腐っている。


 黒ずんでいる。肌が。一部分だけ骨が露出している。腐り果てた肉の下から、肋骨が顔をのぞかせている。なにか動いていると思ったら、それはそう、虫だ。蛆虫が全身を覆っているのだ。うごめいている。年代がばらばらだった。割合人間の原型を残しているものもあれば、完全に骨だけになってしまったものもある。一番ひどいのが、その中間だ。中途半端に腐っている。向かって左があたらしく。右が古い。数直線のようだ。女性のカタチをしている。髪は全て長い。顔はよくわからない。人の顔と呼べるようなものをもっているのは、せいぜいが左から二番目までだ。三番目の顔にあたる部分は、蛆に覆われている。開けた振動か、別の要因か、それが、ごとりと、下に落ちた。べしゃりと音をたてて、蝿が焦ったように逃げて、またもどる。一番左の顔は、目が白目をむいてて、口がだらしなく開いている。口から、なにか、おおきな、ナマコのようなものがはみだしていた。強烈な腐臭が、私の脳髄をひっつかんでかきまわす。



 そこまで見て、そこまで観て、ようやく――私の脳は、理解した。目の前の光景を。



 つまり、六人の女性の死体が、物置につめこまれているという事実を。



 膝をついた。うずくまった。



 腐り果てた死体の放つにおいが、映像が、現実が、強烈な衝動となって襲い掛かってきた。いけないと思っても、遅かった。気付いたときには、胃の中のものを吐き出してしまっていた。苦しく、息ができない。それでも、止めることができなかった。胃からせりあがってきたそれは、ブレーキをかけることなく逆流し、口から飛び出した。水音をたてて、地面に吐き出される。息ができない。吐き出されたものが放つすっぱいにおいが、第二陣を誘発した。



 視界がにじむ。いつの間にか泣いていた。


 吐瀉が収まると、私は地面をはいずるように物置から距離をとった。咳と、嗚咽が止まらない。


 近くにあった木にすがりながら、ゆっくりとたちあがる。


「響さん、大丈夫ですか」


 振り返ると、来夢が心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。ゆっくりと、背中をさすってくれている。


 強いな、と思った。


「もう、いや……」


 一瞬、その言葉が自分の口から漏れたものだと気付かなかった。無意識に、弱音を吐いてしまったのだ。なんということだろうか。彼女は、来夢は、私を気遣う優しさまで見せてくれているのに、それに比べて私は。


「響さん――」



 来夢が何か言おうとしたとき、甲高い炸裂音が響いた。


 そして、私たちの隣にあった木が、嫌な音を立てて抉れた。ぱぁん、とはじけた。



 次の瞬間、ぐい、とひっぱられた。つよい力で。


 来夢が、私の手を引っ張った、のだ。


 強引に、そして、物置のあるひらけた場所から、森の中へ。十メートルほど引っ張られつづけた。転びそうになりながら、なんとかついていく。

 どさ、と。


 一本の木の影に屈まされた。


「今のは――」


 言葉を出そうとする私の唇に、彼女の人差し指が押し当てられた。静かにしろ、ということらしい。


 来夢は、私がぎりぎり聞き取れるくらいの声で囁く。


「おそらく、銃声だと思われます。私たちを狙ったものです」


 絶句した。声も出なかった。


「響さん。いそいでコテージまで戻ってください」

「そんな、おまえは――」


 つまりそれは、銃なんてものを持った誰かが、私たちを狙ったということに他ならない。それなのに、なぜ、私一人で逃げなければならないのだ。来夢も一緒に逃げるべきだ。


 いや、そもそも銃って。なんだそれ。なんでこのタイミングで。


 銃?


 死体?


「早くっ!」


 有無を言わせぬ口調、で混乱している私を押す。そちらに、いけはやくにげろ、ということらしい。


 なんでこんな――こんなことになったんだ?


 言われるがまま、私は走った。転んだ。


 わけがわからない。どうすればいいのだ。


 兎に角、コテージまでいって――そうだ、鬼一さんに助けを求めるのだ。彼の炎なら、対抗できるかもしれない。


 立ち上がった。再び走りだした。


 また転んだ。

 



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