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ヴァルプルギスの夜の夢  作者: 朽尾 明核
◆◇心中ルーレット ~アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト~◇◆
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十六章『空の境界』

 腹が減っては戦ができない。


 別に戦をするつもりはないが、何にしても空腹というのはかなりやっかいだ。集中力や洞察力、体力、瞬発力、思考力などありとあらゆるものが低下するうえに、精神状態も不安定になる。私の姉である希姉さんなんかは特にそれが顕著だ。お腹がすくと目に見えてイライラしている。


 最後に食べたのは、昨日の朝食であったため、毎日きちんと三食食べるよう教育された私は、かなり空腹を感じている。丸一日以上何も食べていないのだ。


 だから、私たちは昼食の準備にとりかかることにした。腹ごしらえだ。

 このコテージが尋常なものでないことは既に嫌というほど体験したため、正直にいってここに備蓄されている食料に手を付けるのはかなり抵抗がある。しかし、そうも言っていられない。このままずっと断食をするというわけにはいかないのだ。だとしたら、早いか遅いかの違いでしかない。


 一階のキッチンを覗く。大型の冷蔵庫がどんと設置されている。中を見てみると、牛乳、ビール、野菜、肉、冷凍食品、チーズ、卵、ケチャップやマヨネーズなどの調味料が几帳面に並べられていた。ハムやベーコンなどもあったが、開封されてラップにくるまれている。ざっと賞味期限などを確認してみるが、いずれも痛んでいたりしているものはなさそうだった。

 戸棚の中には食器類や、パスタ、砂糖、小麦粉などの買い置きがあり、とても生活感がある。適度に消費されているため、誰かが住んでいたということには間違いがなさそうだ。


「うーん」


 食料をひととおり確認し、私は悩む。他人の物に勝手に手を付けることに対する罪悪感、というのではない。ここが魔境だと判明したときから、そんな感情はとっくになくなっていた。


「どうしました」


 ひょっこりと来夢が冷蔵庫を覗きこむ。


「いや、こういう生モノな食材には、なんか警戒心が……。缶詰とかそういったものが無いかと思ってな」

「毒か何かが盛られている、と?」

「そんなはっきりした不安じゃない。『何かあるかもしれない』――いや、『何かあってもおかしくない』くらいの漠然としたものだ。もちろん、たとえなんであろうと口にすることには変わりないのだから、気にしすぎのきらいもあるが、できるならリスクをなるべく減らしておきたい」


 しかし、食料は豊富だった。その点は、喜ぶべきことなのだろう。普通に遭難した場合、雨風を凌げる場所も食料も飲み水も手に入らないことがほとんどだ。

 いろいろと吟味した結果、戸棚に山積みされていたカロリーメイトを食べることにした。隣には、ペットボトルのそば茶が大量に置かれているのが目に入る。


「ちょっと待っていてくれ。関口さんにも訊いてくる」


 来夢を残し、一階の寝室へと向かう。ドアをノックしてから扉を開ける。


「あの……」


 関口さんは、部屋の明かりを消してベッドに横たわっていた。ゆっくりと近づくと、彼の首がぐるりと回ってこちらを向いた。


「なんだ」

「えっと、お昼を食べようと思うんですけど、関口さんも召し上がりますか?」

「食べるにきまってるだろう。私だけ飢え死にさせる気か?」

「いえ、そんなことは……」

「何があるんだ」

「あの、カロリーメイトがあったので、それを」


 そう告げると、彼は大きく舌打ちをした。そんなものしかないのか、と吐き捨てた後「はぁ」と、盛大にため息もつく。

 私がどうしようか悩んでいると、関口さんのほうがぶっきらぼうに声をかけてきた。


「なんだ。さっさと取ってきてくれ。まさか私に歩かせる気じゃないだろうね。悪いが足が痛くて一歩も動けないんだ。無理して歩かされたのは、君たちが変なことを言ったあのときぐらいだよ、まったく――」

 嫌味を続けられそうになったので、あわてて遮る。

「そうじゃなくて、あの、お茶がですね、キッチンの棚にあったんですけど……」


 ストックされていたお茶の種類は、ややマイナーであるそば茶だ。そば茶というぐらいなのだから、当然原料には蕎麦が含まれている。香ばしい蕎麦独特の風味を楽しむことができるが、憂慮しなくてはならない事として、『蕎麦アレルギー』がある。


 食物アレルギーは、舐めて考えてはいけない。ときどき偏食はよくないと言って、無理やり食べさせようとする人たちがいるが、大変危険な行為だ。ものの好き嫌いとはまったく別で、下手をしたらアナフィラキシーショックで命にかかわることだってある。


「ああ……大丈夫。蕎麦は好物だよ」


 関口さんがそういうので、私はキッチンへカロリーメイトとそば茶を取りに戻るのであった。





 袋を開け、カロリーメイトを取り出す。指の長さほどのブロックを眺め、端の方をほんの少しだけかじる。フルーツ味という、具体的にはなんの味かわからないそれを口の中で転がす。すぐに溶けてなくなってしまいそうなそれを飲み込み、特に何事もないことを確認すると、来夢の方に向き直り、頷いた。


 毒見、のようなものである。正直、効果があるのかどうかなんてわからないが、まあしないよりはまし、程度の考えだ。


 ぱくり、ともう一口。今度もゆっくりと噛むが、これは噛む回数を増やして、腹持ちをよくしようという魂胆だ。


 甘い。ふんわりとした控えめな甘さが口の中に広がる。おいしい。かつてこんなにカロリーメイトを美味しく感じたことがあっただろうか。

 がっつきそうになるのを必死でこらえ咀嚼する。

 つぶつぶとしたアーモンドの舌触りと、レモンピールがもたらす爽やかな柑橘系の香り、それらとさくさくの生地が混ざり合い、とろけあう。

 急いではいけないと言い聞かせていたのに、あっという間に四本平らげてしまった。


 とても足りたとはいえないが、それでも人心地はついた。どれくらいここに拘束されるのか予想がつかない以上、食料だって貴重になるだろう。無闇に消費するわけにはいかない。


「さて」


 私は立ち上がる。昼食を必要としている人間は、私たちだけではない。


 一階には三つ寝室があった。関口さんが休んでいるのとは反対側の扉をノックする。反応はないが、想定内だ。扉を開ける。


 そこには、両手両足を縛られた男が、ベッドの上で転がっていた。


「おはよう」

「……」


 赤い髪に黒コート。さきほどコテージの裏で出会った、謎の男性である。手から火を出し、私たちに襲い掛かり、逆に来夢にのされるかたちになった彼だ。


 気絶した男性をどうするべきか、というのは大きな問題であった。このまま放っておいて、また襲われるのは勘弁したい。そして、火を出すとはいえ私たち以外の貴重な人間であることに違いはない。だから、とりあえず安全の為に手足を縛って部屋に寝かせておいたのである。縛るためのロープは、一階の物置にあったやつだ。当たり前だが私は今までの十六年強の人生のなかで、他人を縄で縛る経験など一切ない。そのため、都合よく物置にロープがあったものの、どれくらいの固さでどのように結べばいいのかなど見当もつかなかった。私がどうしたものか戸惑っていると、来夢はいともたやすく男を縛り上げてしまった。その手際の良さに、私は目を丸くする。男を倒した時の体術と言い、どことなく普通とは違う部分があるな、と。そう思わずにはいられない。まあ乙女の秘密というやつだ。詮索することもないだろうけれど。


 男の意識は戻っていた。部屋に入ってきた私を目にすると、しばたたかせた。


「驚いた……いや、驚いた」


 男のベッドの横に椅子を置いて、腰かける。そして威圧感を与えるように、上から覗き込む。正直、効果があるかどうかは怪しいところではあるのだけれど。


「気分はどうだ?」

「最悪だぜ。頭はぐらんぐらんするし、口の中切ったし、縛られているし」

「それはよかった」


 男は口の中の血をペッと吐き出した。シーツに赤い染みができる。彼はこちらをじろりとねめつける。鋭い視線だった。彼は芋虫のような体勢であり、抵抗できないはずであるのにもかかわらず、ぞわりと鳥肌が立つ。――抵抗できない、はずである。もし抜け出せるのならば、意識が戻ったときにさっさと脱出していればいい。大人しく転がされている必要はない。


「なぜ俺を殺さない?」

「なぜって……」私は絶句する。「いや、ただの女子高生に、人を殺せっていう方が無理があるだろう」

「ただの女子高生、だと?」彼はあきれ果てたように言う。「ただの女子高生が、あんな格闘で俺をのせるとでも?」

「まあ、それは、そうだが……」

「それともなんだ、拷問する気か? 言っておくが俺は口を割る気は一切ない」


 殺せだの拷問だの、物騒な単語が次々と飛び出し、私は閉口する。なんというか、この男と私の間に相当の――認識の『ずれ』を感じたからだ。隔たりである。前提がそもそもお互いに違う、というべきだろうか。それゆえ会話の応答も、それぞれが頓珍漢な返答になっている。そんな気がするのである。


 これはまずいな、と思った。誤解どころの話ではない。それ以前の問題だ。平行線どころか、同一平面上にあるかすら定かではない、そんなイメージだ。


 だから、まず――私は立たせなくてはならない。目の前の男を、私と同じステージに。持っている情報量は、おそらく彼の方が多い。したがって、私の方から彼の舞台へとあがることはできない。彼の方から、私側へと降りてきてもらわなければならないのだ。


「私は――いや、私たちは、ただの高校生だ」

「…………」

「昨日、高校のキャンプでこの山にやってきて。オリエンテーリングの最中に、どういうわけか『ここ』に迷い込んでしまった、一介の、ごく普通の、ただの女子高生だ」

「そんな都合のいいことを、信じろと?」


 彼の言葉に、首を振る。


「いや、信じなくていい。お前が信じる信じないにかかわらず、これは動かしようのない真実だ。それゆえ私たちはごく普通の高校生としての言動しかとらないし、とれない。だから――」

「だから……?」

「お前もそういう『(てい)』で発言しろ。別に信じなくていいが、目の前の女は、手から火を出すような世界とは無縁の――ただの一般人なのだと、そういう『(てい)』でな」


 彼はじっと押し黙り、しばらく私を観察していた。そう、私の言葉にどれくらいの嘘が含まれているのか、慎重に吟味しているのであろう。

 しばらくそうしていたが、やがて諦めたようにひとつため息を吐く。


「……わかったよ。わかった。そうしよう。今俺と向かいあっているのは、何も知らないごく一般的な高校生だと」

「理解してくれて、嬉しいよ」


 彼は、首をひねるようにして、後ろ手に縛られた腕を指し示す。


「じゃあよ、普通の女子高生さんよ、この縄をほどいちゃくれないかい? 他人をこんな風に縛り上げるなんて、ちょっとごく一般的な高校生がやるには、無理があるんじゃないかい?」

「日比野だ」

「あ?」

「日比野響。それが、私の名前だ」


 私が名乗ると、彼は意外そうに眼を剥く。その反応は少し、不可解であった。まるで名前を名乗るという行為が、とても非常識なものであるかのような。いや、こちらとしてはこれから彼とコミュニケーションをとる、そういうつもりでいるのだから、名前は知らさなければ不便このうえない。いちいち先ほどのように厭味ったらしく呼ばれるのは好まない。


「それから縄については、いまのところほどく気はない。先ほど殺されかけたのを忘れるほど記憶力は悪くないからな。一般的な美少女高校生でも、まあ、それくらいの危機感は持つだろう」

「自分で美少女とか言っちゃったよ、この子……」


 私は、すっくと立ち上がる。


「ところで、腹は空かないか」

「え?」

「台所にカロリーメイトとお茶があった。もしよければ持ってくるが」

「……その心遣いはありがたいんだがな。この縄を解いてくれないかぎり、俺はどうやってそれを食せばいいんだ?」


 そりゃあ、もちろん。


「私がこうやって」彼の前に手を差し出す。「与えるから」

「おいおいおいおいおいおいおい」目に見えて男が慌てだす。「待て待て待て待て待て、冗談じゃあないぜ、お前そりゃ、屈辱ってレベルじゃねーぞ」


 その態度の慌てっぷりに、私は口の端をあげる。


「そういう拷問だと思ってくれればいい」

「てめぇ一般的な女子高生じゃなかったのかよっ」

「お茶は大丈夫か?」

「何が」

「そば茶なんだよ。蕎麦アレルギーだったら、それこそ拷問だろう?」


 彼は大きくため息を吐き、「別に平気だ」と言った。私は部屋の外で待機している来夢と共に、キッチンへ食料を取りに戻るのだった。




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