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ヴァルプルギスの夜の夢  作者: 朽尾 明核
◆◇心中ルーレット ~アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト~◇◆
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十五章『マヨヒガ』


 結論から言ってしまえば、私たちが体感した現象は、決して勘違いだとか方向音痴だとかが原因で起きたものではなかった。

 そういった、私が十六年と少しの間で経験してきた『常識』の一切及ばない、奇妙な超常現象であると判断せざるを得ない。


 確認のため、まず私たちは来た道を引き返すことにした。

 新しく発見したコテージから、辿ってきた道を逆走する。そして三十分ほど歩くと、再びコテージを発見できた。それは当然というか、なんというべきか、やはり私たちが元いたコテージであった。確認の為にと新しいコテージのテラスの一部に筆記用具で印をつけたのだが、それも同じ場所に書かれており、もはや完全に私たちがたどり着いた二つのコテージは同一のものであるということが証明されたと言ってよかった。


 最後の確認として、できうるかぎり避けたかったのだが、別行動をとることにしてみた。つまり、テラスの部分に来夢を待たせて、私ひとりで道を歩くというものだ。


 コテージを出て歩き続ける。別のコテージを発見したと思い近づいてみると、そのテラスにはすでに来夢が腰かけていた。立場を入れ替えてみても結果は同じだった。私がテラスに座り、歩いて行ったはずの来夢が、三十分もすると同じ道から帰ってきたのだ。


「これで、もう間違いない。コテージがふたつあるのではなく、この道を歩くとなぜか元の場所へ戻ってしまうんだ」

「不思議ですね」


 途中で三十分のインターバルがあったとはいえ、二時間近く歩き続けるのはかなりきつい。私たちはテラスに並んで座り、休憩がてら現状を確認し合うことにした。


「いったいどういう理屈で起きているのかはわからない。しかし、歩いている途中でいつの間にか180°回転してしまっているのだろう」

「本当に、いつそうなったのかはわからないですね。何度歩いても、ただの道にしか思えません」

「まったくだ。回ったという自覚はない。周囲の景色が見えていれば話は別だろうが、この霧ではな」


 霧はいまだ一向に晴れる気配はない。しかし、それ以上に不可思議な事態に遭遇しているからか、さほど驚くべきことではないようにも思えた。そもそもこの霧自体が、いつの間にか戻ってしまう道のギミックのひとつなのかもしれない。


「まあ、ざっと確認したいのは、ふたつ」

「ふたつ、ですか」

「まず一つ目は、この現象が他の道でも起こり得るかということ。道は今のところ一つしか発見できていないから、『他の道』という表現には語弊があるかもしれないが――」

「わかります。つまり、この道以外の場所でもいつの間にか戻ってしまうのか、それを確認したいということですね」

「そう。そして二つ目は、いったいどこで進んで来た方向への転換がおきるのかということだ」

「ふむん」


 来夢は口に手を当て、少し考える素振りを見せてから、言った。


「つまり、くるりと回転する地点を把握しておきたい、ということですか」

「そうだ」

「……どのように?」

「方法は二種類考えている。まず、道に何か目印を着けながら進んでいく方法」

「目印、ですか」

「そう。たとえば、木の棒か何かで地面に線をつけながら進んだとしよう。そうすると、ある一点で自分の書いた覚えのない線とぶつかることになる。そうやって判別する」

「ああ、なるほど」

「そしてもうひとつは、――幸いにも私たちはふたりいる。私と来夢が時間差をつけて歩いていく方法だ」

「ひとりが、もうひとりの後を追うように?」

「そうすれば、先を歩く一人が回るのを、後ろの人間が観察できる、はずだ」

「わかりました」


 私は考える。もっともらしく言ってはいるが、これは現状の確認にすぎない。つまり、一つ目の確認でこの道以外も閉鎖されていた場合、たとえ二つ目の確認で転換地点を把握したとしても、何の解決にもならないのだ。ホラー映画のような状況に閉じこめられているという状況を、より一層理解するだけにすぎない。


 真の問題は、その先に待ち構えている。

 すなわち、いったいどうやってここを脱出すればいいのか、という問題だ。


 いや、そもそも脱出なんてできるのだろうか。

 こんな理不尽で、常識はずれな状況を抜け出すことなんて、不可能ではないのか。


 そういった不安が、重くのしかかってくる。どうしようもない袋小路ではないのかという、絶望が。

 だけど、それと正面から向き合ってはいけない。だから、直面するまでは、考えないようにしているのだ。考えてもしかたがない。感情が、マイナス方向にふれるだけだ。


 人はいつか死ぬ。私は夜寝る前、ときどき意図せず自分の死後について思いを馳せてしまうときがある。死は、消滅なのだろうか。もしそうならば、消えてしまう。観測し、考えることすらできなくなる。恐怖。それについて想像すると、叫びだしたくなるほど胸が苦しくなる。どうしようもなく横たわる未来について絶望するのだ。だから、考えない。別のことを考える。明日の予定だとか、そういった他愛のないことを必死で思い浮かべて誤魔化す。


 いま、そんな気分だ。


 本当に、ここから逃げられるのか?

 後味の悪い怪談のように、ずっと、ここに閉じこめられたままなのではないか?


 ずっと?

 ずっとって、いつまで?

 死ぬまで――?

 死――?

 死ぬのか?

 ここで――?


 考えないようにしているのに、それはせき止めている堤防を突き破り、意識に流れ込む。


 それは暗く、どろどろとしていて、おぞましくて、耐え難い、粘着質な思考。カタチを持った、影。不安、恐怖、鬼胎、絶望、憂苦――そんな負の感情をにこごりにしたようなモノが重くのしかかる。


 呼吸が浅くなる。嗚咽をかみ殺す。


 いやだ。

 死にたくない。こんなことろで、何の意味もなく消えてしまうなんて、いやだ。

 いやだ。いやだ、いやだ。

 死にたくない。


 ――助けて。


「響さん」


 そっと、手に暖かい感触。

 驚いて隣を見る。来夢が、私の手を包んでいる。さきほど、私がしたように。


「大丈夫です。帰りましょう」

「え……?」

「帰れます、絶対に。みんなのところへ」


 そう言って。彼女はまた笑った。


「あ――」


 じんわりと、包まれた手のひらがあたたまる。彼女の体温はひんやりとしているのに、とても、あたたかい。

 自分は一人じゃない。そのことが、多分なによりの幸運に違いない。もし、ここに迷い込んだのが私ひとりだったなら、きっと、心はとっくに折れていただろう。


「うん、そうだな」

「ええ、そうです」


 私も、笑った。彼女の微笑みに、応えるように。

 そして、立ち上がる。そのとき、ふと来夢がすんすんと鼻を鳴らした。


「どうした?」

「いえ……」彼女は自分の身体の匂いを確認し始める。「なんか、変なにおいがしませんか?」

「そうか?」


 つられて私も息を吸ってみる。汗のにおいだろうか。しかし、特に何かを感じることはできなかった。


「服、でもなくて、生ごみ……? が腐ったみたいな――いえ、すいません。気のせいでしょう」

「来夢、おまえ鼻がよかったりするのか?」

「わかりません。そういえば、視力検査や聴力検査はありますけど、嗅力(きゅうりょく)検査ってありませんね」


 彼女の冗談に、口の端をあげる。彼女がそういう冗句を言うのは珍しい。


「たぶん、花粉症の生徒が不利すぎるからだろう。――それを言うなら、味力(みりょく)検査や触力(しょくりょく)検査だって必要じゃないか?」

「どうやって計測するんですか?」

「目隠しをして、高級な肉がどちらか判断したり、箱の中に何が入っているか、手探りで当てたりすればいい」


 来夢は、鈴の音のような笑い声をあげた。






 まず調査の一つ目、「最初にたどった道以外をすすんでも、ここに戻ってきてしまうのだろうか」という疑問を調べることにした。


 とりあえずは先ほどまでと反対方向。道のある方角からコテージをはさんだ逆側に向かうことにした。さきほどまでのように歩道を通るわけではないが、コテージの周囲は芝生が整えられていたので、想像していたよりも歩きづらくはなかった。運動でもするための庭、と言えるかもしれない。また、うっすらと芝生が薄いところが道のように伸びており、普段ここを歩いている人間の存在を感じさせる。


 緩やかな下り坂になっており、すこし進むと、一本の川が横切っていた。助走をつければ飛び越えられるほどの細い川だが、丸太をいくつか組み合わせてできた橋がかかっている。


「……あれ」


 その橋の上に。


 ――ひとりの男性が佇んでいた。



 当初、というべきか、まだ私たちが異常現象に巻き込まれたのだと理解する前は、ひとつの行動の指針としては、「他の誰かを探す」というものが第一にあった。


 最初にこのコテージにたどり着いた時も、今朝外に探索に出かけた時も、目標としては誰か人に会うというのが大きいといってよかっただろう。言うまでもないことではあるが、誰かがいるということは連絡する手段があることを示すわけだからだ。


 しかし、私たちが迷い込んだのがただのコテージではなく、そう、高橋さんが語る怪談にでてきた――『マヨイガ』のようなものだということがわかってからは、第三者に会う事は諦めていた。もうそういった次元の話ではないというのが、心のどこかにあったのかもしれない。


 ところが。

 そうやって、諦めたときに限って、ぽろっと望んでいたものが転がり込んでくるものだ。

 私たちはようやくここで、私たち以外の人間と出くわすことができた。



 その男性はまだこちらに気付いていないようだった。


「……あの!」


 私たちは急いでかけより、声をかける。

 近づくと、思っていたよりずっと若かった。二十代前半か、そのくらいに見える。髪の毛を染めているのか、燃えるように赤い。身長は少し高めで、春だというのに黒いコートを着ていた。目つきは鋭い、というよりもむしろ悪い。私たちの存在を認めてからも、じっとこちらを睨みつけるようにしている。


 正直、奇抜な髪色や格好からして、街中で出会ったならば絶対に声をかけない部類だ。不良、というか、ヤンキーというか。まあ、金髪にしている私がとやかくいえた義理ではないのかもしれないが。

 なんにせよ、そういった諸々の身体的特徴に気付けるぐらいに近づいてから、足を止めた。彼のその、猛禽類のような瞳に見据えられ、ほんの少しだけ威圧感を覚えたのだ。

 四、五メートルほどの距離で向かい合う。


「あの、えっと……」


 そして、言いよどむ。いったい何を話せばいいのだろうか。

 あまりにも唐突だったので、喋る準備ができていないまま近づいてしまった。しかし、何にせよ今の現状を説明しなければならないと、言葉をつむぐ。


「え――」

「お前らか?」


 彼が口を開いた。遮るように放たれた声は、目つきと同じで、やはり何かに苛立っているような、そんな音だった。


「はい?」

「そうは見えねぇけど、まあ、そうやって油断させるつもりなのかもしれねぇし。女子どもだからっていうのは、関係ないのが相場ってもんだしな……」

「あの――」


 何か言おうとする私を遮るように、男性は右の手のひらをこちらに向けた。


 次の瞬間。


 私は何かの力により引っ張られ、後ろに倒れた。受け身もとれずに地面に尻を付き、そして後ろにいた来夢が引きずり倒したのだと少し遅れて理解した。


 なぜそんなことを? 


 ――などと思う暇はなかった。


 男の手のひらから放たれた『何か』が、私が先ほどまで立っていた空間を通り抜け、少し後ろの方の地面へと突き刺さった。私の頭上三十センチ上通った時に、ちり、と何かが焦げるような音が聞こえた。少し遅れて熱風が吹き抜けた。


 声が出す暇もなかった。ぶつかったかと思った何かは、鈍い衝撃音を放ち地面を抉る。


「嘘――」


 驚いた。


 遭難。コテージ。霧。マヨイガ。


 そんな異常事態に巻き込まれながらも、私がいま感じた驚きは、それらをぶっちぎりで追い抜いた。



 ――手から、火の玉を撃つ男なんて、ありえない。



 しかし、驚いたのは男も一緒だったようだ。何に、とは言うまでもない。来夢が私を助けたことだろう。私だって少なからずびっくりした。


 ゆえに、その後一番早く動けたのは、彼女だった。


 来夢は一切の迷いなく、地を蹴り男のもとへと跳ぶ。慌てた男が逆の方の手を彼女に向けるが、その時にはすでに来夢の横蹴りが、男の膝をとらえていた。

 蹴った膝から足を離すことなく、脛を滑らせてそのまま男の足の甲を踏み抜く。痛みに顔を歪める男。第二射の準備が整ったのだろうが、来夢に手首を掴まれて二発目の火球はあらぬ方向へと飛んでいった。

 防御の為に掴んだ手首をそのまま回し、踏んだ方とは逆の足を払うことによって、密着したまま二人が体勢を崩す。そして、来夢の身体が凄まじい勢いで一回転したかと思うと、不安定な格好にもかかわらず、ゼロ距離からの後ろ回し蹴りが、男の顎へと正確に叩きこまれていた。


 橋の上で倒れた二人が、そのまま小川へと落ちる。水音。慌ててかけよる。膝程度の高さの水深であったが、落ち方がまずかったのだろう、全身びしょ濡れになった来夢が、岸へとよじのぼってきた。


「来夢……」


 水からあがった彼女を、呆然と眺める。


 展開が早すぎて、脳がついていけなかった。だからだろうか、次に私が放った言葉は、自分でも間抜けに思えた。


「つよいんだな……」

「護身術のようなものを、習っていますので」


 護身術、というのだろうか。とはいえ、それに救われたことは事実である。私は改めてお礼を言った。

 いや、それにしても。

 手から火を出す男。そう、手から火を出す男である。

 次々と訪れる奇妙なできごと。そこで直面した新たな問題に、私は頭をかかえた。いったい、何が起こっているというのだろうか。


 何か私たちの想像を超える異常な世界に足を踏み入れてしまったような――そんな気がしたのであった。



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