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ヴァルプルギスの夜の夢  作者: 朽尾 明核
◆◇心中ルーレット ~アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト~◇◆
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十一章『幻実アイソーポス』

「――遅い」

 木にもたれかかった飛鳥が、眉をひそめながら、イライラした様子で呟く。「いくらなんでも、遅すぎる」

 男子たちがここを離れ、先生たちを呼びに行ってからかなりの時間がたった。時計を確認する。針は、十一時半を少し過ぎたところだった。二時間が経過している。誰かを呼びに行くどころか、余裕でオリエンテーリングをクリアできるぐらいの時間がすぎていた。


「確かに」私は頷く。「何かあったのかも」

「何か?」


 心音が首を傾げた。


「二重遭難……っていのとは微妙に違うけど、氷室たちも道に迷ったとか」

「ここでー?」


 考えにくい。それもそうだ。オリエンテーリング用のエリアは、万が一のことも考えられてロープで区切られているはずだった。つまり、地図を持たなくても一方向に進んでいけば、どこかしらに辿りつけるのだ。にもかかわらず遭難などありえるのだろうか。もちろん、関口さんのようになんらかのアクシデントがあった可能性もあるが。とはいえ三人全員が、動けなくなるような怪我を負ったとは考えにくい。


 それに、もうひとつ奇妙な点があった。


「あの……」黙っていた小鳥遊が口を開く。「氷室さん達のことも妙なのですが……、他の班が一切このコントロールに来ないのは、何故なんでしょうか?」


 そう、それだ。

 このオリエンテーリングでは、班別にしてされている最初のひとつを除き、全てのコントロールを回ることが必須条件になっている。

 そして、もうすでにクリアする班が出てもおかしくない時間が経過している以上、ここのコントールにたどり着く班がでてくるはずだ。いや、未だに一つも班が到達していないというこの状況は――はっきり言って異常である。


「関口さん――」飛鳥が、崖の下に向けて声をかける。「あの、私たちが来る前って、何班くらいここに来ました?」

「いや、君たちが最初だよ」


 私たちは顔を見合わせる。――私たちが最初で、そのあと一人もここを訪れる班がないということは、私たちだけしか来てないということになる。

 どういうことだ。オリエンテーリングが始まって二時間半が経過しているというのに、誰もこのコントロールに来ていない、とは。


 おかしい。不自然だ。


「どうして……?」


 心音が、不思議そうに呟く。


「このコントロールが、間違ってるんじゃないか?」私はひとつの可能性を示す。

「間違ってる?」

「そう。――本来のポイントとは別の場所にコントロールが設置されている。だから、誰もここに来ない。私たちはたまたま、同じように間違えたから、ここに着いてしまった。氷室たちは、今度は間違えずに正しい場所に向かってしまっているのかもしれない。だから、いつまでたっても来ない」

「うーん」心音は私の言葉に腕を組み、唸る。「それなら、大ごとになってるんじゃ」

「だろうな。きっと大問題だ。何せ、正しい場所に行ってもコントロールが無い。下手をしたら、迷子になる班だってでてくるだろう。この想像が正しければ今頃、先生たちもてんやわんやになっているに違いない」

「だよね」

「それに、霧も濃くなってきてる」


 私は周囲を見渡す。さきほどから出てきた霧は、晴れる様子を一向に見せない。むしろ、どんどん濃くなっている。数メートル先の木の幹すら、ぼんやりとかすみ始めていた。


「だったら」私たちの会話を聞いていた飛鳥が、立ち上がる。「このままここでじっとしているわけにもいかないだろ」

「一理ある。このままだとあと何時間待たされるかはわからないな」

「私が行くよ」

「行くって?」

「間違った場所にコントロールがあって、地図に頼っちまうから、ここがわからなくなるんだろ。だったら、誰かを呼んだあと、純粋に道順を辿れば大丈夫なはずだ」

「それはそうだが……」


 危険でもある。さっきとは違って、霧も出ているのだ道のりを覚えるのだって大変だ。迷ったりでもしたら、それこそ二重遭難になってしまう。


「私、待つの嫌いなんだよ」飛鳥はシニカルな笑みを浮かべる。「それにさ、割と記憶力には自信があるんだ」

「でも、危ないよー。霧もすごいし、待ってた方がいいって」


 心配そうな声をあげる心音。それもそうだろう。


「じゃあ、心音も来いよ」

「え?」

「一人で迷うとヤバいけど、二人ならなんとかなるだろ」

「ええ? 何その理論っ」


 危ないという心音の言い分ももっともだが、飛鳥の気持ちもわからないでもない。もう二時間だ。しかし、体感的にはその倍はあるように感じた。ただ、何もせずに呆然と待ち続けるのはつらく、長い。ならば自分で動かずにはいられない。飛田飛鳥というのはそういう性格だ。


「いいさ。行ってきなよ」ふたりに促す。「さすがにここに一人もいなくなるわけにはいかないから、私は残るが――小鳥遊はどうする?」


 そう言って私は今日初めて――真正面から小鳥遊の顔を見た。彼女は何度か目をしばたかせてから、首を振った。


「私も、残ります」

「……そう、か」

「オッケー。そんじゃ、パッと行ってすぐ迎えに来るよ」


 飛鳥は心音を連れて、霧の中へと歩み出した。その後ろ姿を見送りながら、私は自身の不安を押し殺す。

 それは、漠然としたものであって、確証があるわけではない。――しかし、ある『違和感』はぬぐえなかった。

 私は先ほど、「コントロールが間違って設置されたのではないか」と仮説を立てた。だから、他の生徒も氷室たちや先生たどりつけないのだと。


 ――本当にそうだろうか。


 偶然設置場所を間違えたとして、そして私たちが同じように間違えるなどということがあるのだろうか。偶然にしては、できすぎている気がする。それにあのルートは七人が確認しながら進んできたものだ。ミスなんてするだろうか。

 ……いや、なんだかんだ言っても私たちはオリエンテーリング初挑戦だ。コンパスと地図の使い方の説明を受けていたとはいえ――誤る可能性は十分すぎるほどある。


 だけど、それでも――。

 何か、別の『要因』が存在しているような気がした。言葉では説明できない。確固たる確信も根拠もない。それは、異常な事態に対する私の恐怖心が産み出した錯覚なのだろうか。

 私の心に飛来したぼんやりとした不安。そしてある『違和感』。

 どう折り合いをつけたものかと、霧へ消えていく二人の背中を眺めながら思案していると――小鳥遊が声をかけてきた。


「日比野さんも――行きますか?」

「え……?」


 意外な言葉に瞬きを忘れる。そんなに不安そうな表情を浮かべていただろうか。


「いや、大丈夫だ。私は別にそんなに待つのが嫌いじゃないからな」


 そう言って笑って見せる。小鳥遊は心配そうな顔を崩さない。


「それなら小鳥遊だって、ついて行ったってよかったんだぞ」

「でも、それだと、えっと……」


 しどろもどろになっている彼女を尻目に、先ほど見つけたすわり心地の良いポイントに腰かける。


 ――いいやつだな。

 私が一人になることを避けてくれたんだろう。しかし、それを言ったりはしない。でも、隠し事は苦手な性格なんだろう。嘘を吐くのも、きっと下手だ。


「座らないか?」


 隣を叩いて、誘う。


「いいんですか?」

「何が?」

「……いえ、あの」


 何かを言いかけたが、結局私の隣に腰を下ろした。黒髪がさらりと揺れ、ふっと漂う花の香りが鼻孔をくすぐる。

 しばらく何も言わなかったが――私は覚悟を決めると、唇を開いた。


「――昨日は、すまなかった」


 下にいる関口さんには聴こえない様に、小声で。

 小鳥遊は、慌てて首をふった。


「そんな、謝らないでください。日比野さんは、その、別に、だって……」

「いや、謝らせてくれ。そして、できれば許してほしい」


 彼女の目を見て告げる。そのまま見つめ合っていたが、やがて小鳥遊がゆっくりと頷いた。


「わかりました」そして、ちょっと考える素振りを見せてから「でも、ひとつお願いがあるのですが、聞いてもらえますか」と言った。

「ああ。なんでもしよう」


 そして、彼女は視線は外して、ぽつりと呟いた。


「あの……、名前で呼んでほしいんです」

「名前?」

「はい。その、猫宮さんや、飛田さんを呼ぶときみたいに」

「…………」

「……やっぱり、図々しかったですか……?」

「――いや、わかった。そんなことでいいなら、いくらでも」


 そう言って、彼女を下の名で、呼ぶ。

 すると小鳥遊は――来夢は、ほっと。自然に、微笑んだ。


 氷が解けるようなその笑顔を間近で見て。私はああ、綺麗だなと思った。

 きっと、来夢はとても純粋なんだ。だから、そんな顔ができる。多賀や他の男子が惚れるのも無理はない。外見の美麗さとは別な、無垢な(なかみ)。それが産み出すこの微笑みを間近で見るためなら、ひとり占めするためなら、恋仲になろうとする気持ちは、とてもよく理解できる。


 ……司は、どうなのだろう。来夢の笑顔を見たのだろうか。きっと見たに違いない。

 美しい物を共有したいという思いと、何故だか見て欲しくないという嫉妬心がせめぎ合う。

 小さくため息を吐く。複雑だ。まったくもって複雑な心境だ。


 兎に角、これで昨日の事は――重荷は下ろすことができた。なんとか事態は、終着したと言っていいだろう。偶然とはいえ、彼女と二人きりになる状況をつくりだしてくれたアクシデントには、感謝するべきだろうか。


「で――来夢はどうするんだ?」

「え?」

「私の事を、何て呼ぶ? よもや、今まで通りなんてよそよそしいことは言わないよな……?」





 目を開ける。

 いつの間にか、眠っていてしまったらしい。肩に重みを感じ、そちらに目をやると来夢も静かに寝息を立てていた。

 しばらくぼんやりと宙を眺めていたが、少しして、今の自分たちの状況を思い出す。


「起きろ、来夢」


 肩をゆすると彼女は目を覚ました。


「あれ……?」


 既に日が落ちている。携帯を取り出し確認する。午後六時十五分。


 ――飛鳥たちが降りてから、六時間が経っていた。


 その事実を脳が理解したとき、私は震えた。何か、異常な事態が起きているのだと。説明しがたい不安が、かたちを持ってあらわれたのだと。

 六時間という長い間にも、氷室も飛鳥も誰も来ていない。これは、まずい。はっきりいって、おかしい。


「降りるぞ。早くここを離れよう」


 来夢も現在の時刻を確認し、この状況の異常性に感づいたようだった。すぐに頷く。


「関口さん……あれ?」


 彼女は崖下声をかける。しかし、疑問の声をあげた。


「どうした?」

「あの、関口さんが……」


 来夢の指の先には、ぐったりと倒れている彼の姿があった。霧と暗がりで、詳しい様子はうかがえないが、尋常でないことは見て取れる。


「おいおい――」


 まずい。これは、どういうことだ。何が起きている。


「日比野さ――響さん、ちょっと、待っていてください」


 そう言うやいなや、彼女は崖を下り始めた。二メートル近い高さのある傾斜を、わずかなとっかかりを頼りに降りて行く。半分ぐらいまで行ったあとは、軽く跳んで着地した。……すごい身体能力だ。


「もしもし、大丈夫ですか」横になっている関口さんを揺らす。


 私も、と続いて崖に挑む。ふちに腹を着けるような感じで、慎重に。彼女のものとは比べ物にならないくらいゆっくりで不恰好だが、しかたがないだろう。

 ……足が出っ張りに届かない。地面にこすり付けた腹を、少しずつずらしていく。重心が下がりきるまでに、間にあうだろうか。来夢とは、脚の長さが違うのだ。


「ふ、ぬっ……へぁっ」


 何とか足が引っかかるのと同時に、手の力が限界に達した。転げるように無様に落ちる。「痛てて……」尻を打ちつけ、少し涙目になった。

 来夢がこちらを心配そうに見てくるが、手で大丈夫だとサインを送る。


「どうしました、関口さん」

「う、ううう……」


 彼は脂汗をびっしりとかいていた。痛みをこらえるように呻く。右足を抱え込むようにしているため、来夢が彼のズボンの裾を上げて確認する。


 ……ひどい。

 彼の右足首は、素人目にもわかるほど、歪に腫れあがっていた。


「折れてますね」来夢が痛々しそうに呟く。


 先ほどまでは大丈夫だと言っていたが、やせ我慢だったのだろうか。嘘をついていたようには見えなかったが……。


「……担いで、行くしかないだろう」


 まだぎりぎり夕焼けの光が差し込んでいるが、完全に陽が落ちたら危険すぎる。野宿などできるはずもない。

 一刻も早く下山しなければ。

 きっと、もっと取り返し(・・・・・・・)のつかない事態(・・・・・・・)になる(・・・)

 そう、私の直感が告げているのだ。早く、早くここから離れろと。


「立てますか?」私と来夢は、関口さんの両肩を支え、右足に負担をかけないよう立ち上がらせる。

「すまない……」関口さんは、申し訳なさそうに小さく呟いた。

「…………」


 彼を抱えたまま傾斜を登ることは不可能だ。よって、落ちた窪地にある、整備されてない細い道を進む。地図に従えば、こちらからでも下山するためのルートに合流できるはずだ。

 怪我に響かないようゆっくりと、歩を進める。そうして私たちは、立ち込める霧の中へと踏み出していった。


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