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ヴァルプルギスの夜の夢  作者: 朽尾 明核
◆◇心中ルーレット ~アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト~◇◆
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十章『マルドゥック・スクランブル』

『秘密』というのは、誰しもが抱えているものだ。


 生きていれば人間、誰にも言えないことのひとつやふたつは出てくる。私だってそうだし、司だって、心音だって、飛鳥だってそうだろう。

 知られたくないことのない人間なんていうのは、ちょっと想像もつかない。


 そしてその秘密には、大小というか、守るべき優先順位というものがある。

 私にもいくつか秘密があるが、「わざわざ言うほどのものでもないから言わない」レベルのものから、知られても大して困らないもの、絶対に阻止しなければならないものまで多種多様だ。


 もちろん、秘密の価値なんていうものは人それぞれだし、他人から見て一概にこうだの言えるものではない。

 自分のなかでは大きなウェイトを占めていた秘密でも、カミングアウトしてみればそれほど重大ではなかったり。逆に、些細だと思っていたことをぽろっともらし、予想以上に引かれたりしたこともあるだろう。



 しかし――とはいえ。



 私はおそらく、彼女の――小鳥遊のもつ秘密のなかでも、最も重大なものに触れてしまったという自覚がある。


 背中の傷跡。あれは、『絶対に知られたくない秘密』だ。

 昨日見た、彼女の火傷の映像が、脳裏によみがえる。


 あまりの残酷さに、目を背けたくなる青紫の片翼。……いや、背けていた。あれが――あんなものだと知っていたならば、私は決して見たりしなかった。

 しかし、現実に私は見てしまった。そうとは知らず、小鳥遊の心の一番デリケートな部分に、無造作に触れてしまった。


 ……いったい誰が。

 下世話な思考は止まらない。記憶は消せない。考えないようにすればするほど、余計に考えてしまう。


 ふと、小鳥遊の言葉を思い出す。



 『……ちょっと、苦手なんです。男の人が――』



 あの言葉を聞いたときは、一般的な意味かと思った。


 下品だったり幼稚な話題で盛り上がるクラスの男子についていけないとか。あるいは、胸の大きな女性にあるであろう、男の性的な視線が苦手であるとか。そういった意味で発された言葉だと思い込んでいた。

 だが、あの傷跡を見た後では、その意味は変わってくる。意味合いが変わってくる。正確にいうならば、変わっていなくても(・・・・・・・・・)変わって受け止めて(・・・・・・・・・)しまう(・・・)。――そう推測してしまう。


 つまり、小鳥遊にあんなことをした、具体的な『男』がいて。――それゆえ、男性全般に強い恐怖心を抱いているのではないか、と。


 そう、『男が苦手』というより、『男が怖い』のではないか……。



 ……いけない。


 考えては、いけない。

 これ以上立ち入るな。構うな。ほじくるな。ふれるな。さわるな。すり寄るな。


 ――小鳥遊来夢は孤立していた。司が誘うまでは、昼食をひとりで食べているほどに。それは、なぜ?


 考えるな。


 ――小鳥遊来夢は距離を置こうとする。敬語をはじめとして、誰に対してもあまり積極的にかかわろうとしない。それは、なぜ?


 考えるな。


 ――小鳥遊来夢は語らない。中学・小学校やそれ以前の話を。それは、なぜ?


 考えるな。


 考えるな。考えるな。考えるな。


 私は見て、そして知った。知ってしまった。彼女の秘密を知ってしまった。

 すると、彼女の生き方。スタイル。仕草。言動。そういったものを、すべて『秘密』に結び付けて考えてしまう。

 孤立しているのも、距離をとるのも、語らないのも、――すべてはあの傷が原因なのでは? と。


 最悪だ。下種の勘繰りにもほどがある。そうやって、あることないこと想像する人間というのは、私が最も軽蔑する人種ではなかったのか。

 真実も知らないまま、勝手に結論を出し、偏見をもつ。そういうやつにだけはなりたくないと、思っていたはずなのに。


 考えまいとしてるのに、下品な想像は止まらない。

 布団をかぶり、目をつむり、胎児のように足を抱えても。まったく眠れそうになかった。




 止まってしまえばいいと思う時ほど、時間の流れは速く感じる。

 気が付けば、朝だった。他の三人はとっくに起きていて、私が一番目覚めるのがおそかった。

 布団を畳み、着替え、朝食へと向かう。朝早いため、みなテンションは一様に低い。


 並べられた朝食は、ごはんに焼き魚、おひたし、海苔、豆腐、温泉卵に味噌汁といったものだった。

 食べながら、横目で小鳥遊の方をうかがう。表面上、いつも通りに見える。まるで、何もなかったかのように。整った顔立ちには、自身の最大の秘密を知られてしまったという焦燥も、絶望も感じられない。本当に、昨日の事など夢だったのではないか、と。そう錯覚すらしてしまうほどに。


 知られてしまった小鳥遊より、知ってしまった私の方が動揺している。


 がたん、と。

 温泉卵の入った容器を、掴み損ねる。中身がこぼれ、テーブルを汚す。


「あ」

「大丈夫?」


 心音が布巾を差し出す。


「ああ、ありがとう……」礼を言ってから、受取る。「まだちょっと、寝ぼけてるみたいだ」

「お寝坊さんだねー」


 彼女の優しい呟きが、妙に心に響くのを感じた。





 オリエンテーリングというのは、地図とコンパスを用いて行われる、野外競技の一種である。

 指定されたチェックポイント通過し、ゴールまでのタイムを競うというものだ。


 少し意外に思えるかもしれないが、レクリエーションというよりはむしろれっきとしたスポーツであり、野外で行われるマラソン、いってみればクロスカントリーのイメージに近い。

 オリンピックの種目に加えようという動きもあるほど、本格的なものなのだ。


 とはいえ、今日行われるのはそういった類のものではない。

 新しいクラスメイトたちとの絆を深めあう――そういったゲームである。




「ルールを確認しよっか」

 一通りの説明が行われ、班ごとに分かれたあと、一番最初にそう言ったのは藤倉だった。


 今回のオリエンテーリングは、七篠グリーンパーク近くの里山で行われる。『コントロール』と呼ばれるチェックポイントの数は、総数十六個。十分おきでクラスごとに出発する。

 十六個の『コントロール』のうち、最初のひとつはあらかじめ、班ごとにどこに行かなければいけないかが決められていた。


 各班はそれぞれA~Fに指定された班別コントロールを除く十個を巡り、最終的なゴールへと戻ってくる――それまでの合計タイムを競うというルールだ。指定されたコントール以外はどの順番で辿っても構わない。つまりルートを考えるのもこのスポーツの重要なファクタなのだ。


 人数分の地図とコンパス。スタンプを押すためのカードと、万が一の時のための携帯電話が配られる。

 私たちのクラスはB組のため、十分後にはスタートとなる予定だ。しかし、それまでに大筋のルートを決めておきたい、というのが藤倉の主張だった。

 まったくもっての正論で、異論はあがらない。


「やっぱり、登ったり下りたするのは厳しいんじゃないか?」


 氷室が言う。


「最初に上がって、あとは降りるだけにするのが理想ってことか」


 飛鳥が相槌を打つ。


「でも結構分散してるから、そうすると結構距離が長くなりそうだね」


 藤倉。


「全部くだりにすると、どれくらいの距離があるんだ」

「大体、二・八キロメートルだねー。途中、通れなさそうな場所があるから、迂回しなきゃいけないし」

「……計算が早いな」

「ちなみに最短だと、二キロぴったりくらい。とはいってもこれは直線距離だから、実際はそうもいかないみたいだけど」

「スタート地点が固定だからね。だとするとその付近のコントロールを取りつつ、一番高いコントロールを目指すって形になるのかな」

「そうなると、最初のほうがちょっとキツイ感じになるねー」

「それに、あんまり他の班と被るのは避けたいし――」

「でも人数的に難しいんじゃ――」

「それと――」






 私は上の空だった。


 班のみんなが、オリエンテーリングの作戦を立てている時も、いざ出発したときも、最初のコントロールを通過した時も。どこか頭の中では別の事を考えていた。


 別の事、とはいうまでもなく小鳥遊の事なのだが。


 私は今日、彼女と一度も言葉を交わしていない。それどころか、目を合わせることすらできなかった。

 怖かった。彼女の瞳を見ただけで、自分の浅ましさがさらされてしまうような気がするのだ。下種な自分の勘繰りが、白日の下にさらされてしまうような、そんな気が。


 だから、ちらちらと、表情を盗み見るのが精一杯だった。そしてオリエンテーリングが始まってからはそれすらもままならないでいる。細い山道では、一列になって歩かなくてはならない。彼女は私の後ろにいるため、その様子を伺うことはできないのだ。


 しかし、それゆえ――か。視線を感じる気がする。


 ……気がするだけだ。後ろを振り向いて確認したわけではない。


 私の負い目が生み出した錯覚かもしれない。いや、そうに違いない。


 右、左、右と。足を動かす。機械的に。何も考えないように。無心で、ただ足を動かす。

 基本的に急勾配な斜面を歩いていくため、十分も歩くと額から汗が流れてきた。首にかけたタオルでぬぐう。


「響ちゃん、大丈夫?」


 前を歩く心音が、振り返って尋ねてきた。


「え――?」


 反応が、遅れる。下を向き、黙々と歩いているだけだったからだ。ある程度の山道はあるけれど、基本的に険しい道のりのため、みな口数が少ない。


「大丈夫って、何が?」

「今日、様子が変だから」心音は背負ったリュックを担ぎなおす。「全然喋らないし、何か考え事してるし、体調悪いのかなーって」

「いや、いや」私は首を振る。「そんなことはない」

「本当?」

「ああ。本当だ。大丈夫」

「そう……、ならいいんだけどー」


 そう言いながらも、納得した表情は見せない。しかし、嘘はついていないのだ。体調が悪いわけではない。


「あれ?」


 先頭をあるく氷室が、妙な声をあげた。


「どうしたの?」


 藤倉が問う。


「いや……次のコントロールについたんだけど……」


 氷室の困惑する理由は、彼の指さす方向を見ればあきらかだった。

 通過することが義務付けられたチェックポイント――『コントロール』には神原高校の教師か、グリーンパークの職員が待機している手はずだ。そこで配られたカードにスタンプを押してもらって、不正をせずにたどり着いたことの証明になる。現に一つ目のコントロールには、担任の教師である柏崎先生がいた。


 ところが、目の前にはコントロールポストこそあれど、そこにいるはずの人間の姿が見えない。木々の開けたスペースは、もぬけの空である。


 ざっと風が吹き、木々の揺れる音が響く。

 それだけかと思ったが――耳を澄ますと、その音に混じって、人の声のようなものが聞こえる。


「……おーい」


 聞こえる。

 今度ははっきりと。私たちはいったんお互いの顔を見回し、それから示し合わせたようにきょろきょろと視線を巡らせる。


「こっち、こっち」


 声のする方へと足を動かす。


「ストップっ、危ないっ」


 叫び声が大きくなり、びくりと足を止める。一見目立たないが、よく見ると、木と木の間――地面がぱっくりと割れていた。どうやら声はその下から聴こえてくるようだった。

 下を覗くと、二メートル近い崖のようになっており、底で地面に男性が腰を下ろしていた。目が合う。


「ああ、良かった。ようやく来てくれた」


 大柄の男性だ。グリーンパークの制服を着ていることから、従業員だろう。浅黒い肌に、ラグビー選手のような体つき。どこかで見たようなきがして――彼がキャンプが始まるときに、挨拶をしたあの人だということを思い出した。確か名前は――関口(せきぐち)さん、だったか。


「大丈夫ですか?」


 藤倉が心配そうに問いかける。


「ああ、なんとかね」関口さんが答えた。「足を滑らせて落ちてしまった。その拍子に足首もやっちまったみたいで上がれない。――すまないが、誰か呼んできてもらえないか?」


 飛鳥が頷き、支給された携帯電話を取り出す。


「とりあえず、柏崎先生にでも連絡すれば――って、圏外? 壊れてんのかな、……心音、あんたのは?」


 心音も鞄から、電話を取り出す。「……駄目、私のも圏外だよ」

 その言葉に全員が自分の電話を取り出すが、結果は同じだった。私のも、アンテナが表示されるべきところに『圏外』という文字が浮かんでいる。


「じゃあ、故障ってわけじゃなくて電波が来てないの?」


 藤倉が呟く。氷室が首を傾げた。


「うーん、出発するまでは弱くてもあったんだけどな」潔く電話をしまい、続ける。「こうしてても仕方ないし、さっきのコントロールまで戻ってみるよ」


「一人で?」藤倉が心配そうに言った。「ちょっと危ないんじゃない? なんか、霧も出てきたし」


 その言葉に、あたりを見回す。

 先ほどまで晴れていた空は、いつの間にか曇り、うっすらと霧に覆われていた。湖が近いから、その影響もあるのかもしれない。


「全員で行くのも大変だしな……、よし、じゃあ俺と藤倉っちと多賀で戻ろう。女の子たちは、ここにいてくれ」


 わかったと頷く。彼らだけにいかせるのも心苦しかったが、陸上部で鍛えている飛鳥ならともかく、体力のない私なんかがついていっても足手まといになるだけだろう。それに、もしかしたら他にもこのコントロールを通る班が来るかもしれない。そうなったとき、誰もいないという事態は避けなくてはならない。


「すまない」崖の下の彼が謝る。「私の所為で台無しにしてしまって」

「いえ……」私は首を横に振った。「それより、怪我は大丈夫ですか?」

「ああ、足首を挫いただけだ。多分、骨はやってない」


 …………。安心する。それならば、よかったと。大きな怪我をしていないなら大丈夫。出血が激しいなど一刻を争う事態でなく、一安心だ。私たち四人と、関口さんで、救援の到着を待つ。

 男子三人だけならば、かなり早く柏崎先生のコントロールにたどり着くだろう。もちろん、先生が一人来るわけではないから多少は時間がかかるものの――全部含めて三十分ぐらいだろうか。

 

 しかし、その予想は大きくはずれることになる。


 ――一時間を過ぎても、誰も帰ってこなかったのだ。




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