七章『ふたりの距離の概算』
「小鳥遊!」
私は大きな声で彼女を呼んだ。数十メートルほどの距離があったが、声が届いたのだろう、すぐに振り向いてもらえた。
「……響さん」
小鳥遊も二人で行動していたらしい。彼女の隣にいたのは、多賀だった。ちょっと意外だ。
彼女の顔が、少しほっとしたように見えたのは、私の錯覚だろうか。
小走りで二人のもとへ向かう。合流して私たちは四人になった。これで少なくとも、さきほどのような気まずい雰囲気にはならない……はずだ。
「どうだ、成果は?」
小鳥遊と多賀に問いかける。「しかし」というべきか、「やはり」というべきか――小鳥遊も私と同じぐらいのゴミしか拾えていなかった。多賀に至ってはさらに少ない。
「これは……本気で昼ごはんが危うくなってきたな」
「そうですね。ゆゆしき事態です」
四人のゴミをすべて合わせて、袋ひとつがいっぱいになるかならないか、といったところだ。
約一時間でこれだけ。さらに、たくさんの生徒たちが現在進行形でゴミを拾っているわけだから、キャンプ場に落ちているゴミの総量はどんどん少なくなっていく。
制限時間は残りおおよそ二時間。飛鳥と心音と氷室の分があるとはいえ、果たして間に合うだろうか。
「これは……禁じ手を使うことも考慮すべきか……」
「――『禁じ手』?」
私の呟きに、藤倉が反応する。
「持ってきた荷物を、ゴミの代わりとして出す」
「ちょっと、それはいくらなんでも――」
「冗談だ」
藤倉は安心したように息を吐いた。まさかそんなまじめな反応を返されるとは思わなかった。
司や飛鳥だったら、ノったり突っ込んだりしてくれるんだが。
「でもよ」多賀が、頭を掻きながら言う。「なんだかんだ言って、ノルマに足りなくてもどーにかなるんじゃねーの?」
まあ、そうだろう。言ってしまえば元も子もないが、学校だって本気でお昼を抜くなんてことはしないはずだろう。
しかし――。
「柏崎先生の性格上、かなりしつこい嫌味を言われるんじゃない?」
藤倉が言った。
そうだ。その通りだ。
ノルマを設定したのが、柏崎先生である以上、万が一達成できなかったらそれはもう、すさまじいことになるだろう。
その説教のねちっこさから、柏崎先生はたいていの生徒から嫌われている。彼女の手にかかれば――ひょっとすれば本当に昼ご飯を食べる時間が無くなってしまうかもしれない。
「なるほどな……そりゃたしかに面倒くさいことになりそうだ」
多賀も心当たりがあるのか、苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「じゃあ」私は提案する。「こうして一緒にいてもしょうがないし、また二手に分かれないか」
「ん、あー」
多賀がちらりと視線を小鳥遊に送った。視線を受けた彼女は、目を伏せた。
「……行こうか小鳥遊」
「え? あ、はい」
彼女の手を引っ張って、その場を立ち去る。多賀が何か言いたそうに口を開きかけるが、すぐに閉じられた。
「……あの」
二人と別れてしばらくしてから、おもむろに彼女がつぶやいた。言いにくそうなので、私から行為の是非を問う。
「迷惑だったか?」
さきほどの多賀の視線から、私は小鳥遊が彼に迫られているのではないかと推測した。そして、彼女がそれを嫌がっているのではないか、と。
だから、やや強引に、多賀を彼女から引き離すような行動をとったのだ。
「いえ、ありがとうございます」
彼女の言葉に嘘はないように思えた。
だとしたらあの気遣いも、まあ、逆効果ではなかったということだ。余計な心配りだったかと、内心冷や汗だったのだが。
「礼を言われるほどのことじゃない」私は軽く肩をすくめた。「私も、その、藤倉から離れるのに小鳥遊を利用した部分が――無きにしも非ずだったからな」
しゃべっているうちに、通路の途中の休憩所のような場所を発見する。トイレと、柱と屋根だけの小屋。それからベンチが備え付けられていた。ゴミが落ちていそうだな、とそちらに近づく。
「響さんも、その、藤倉君からアプローチを?」
彼女のその言葉に、私は曖昧に微笑む。
「いや、そういう訳ではないんだが――その、男子と二人っきりと言う状況に慣れてなくてな。だんまりに近い状態で、沈黙がつらかったんだ」
「……はあ」
小鳥遊は、すこし目を開いた。
「――意外か?」
私が視線を送ると、彼女は首を振り、否定する。
「……そういうわけでは、ありません」
「いいんだ。遊んでそうだと思ってるんだろう?」
こういう髪だしな、と言って私が金髪をつまむと、小鳥遊が不思議そうに首を傾げた。
「あの、訊いてもいいですか?」
「何を?」
「その、日比野さん、髪を染めてるじゃないですか」
「どうして染めたか、か?」
小鳥遊は頷く。
「……いや、特に理由はない。高校デビューというやつだ」
私は適当にごまかすことにした。金髪にした理由など、そんな大それたものではない。ごく下らない、個人的なものだった。
「さあ、早いとこゴミを集めよう」彼女に笑いかける。「のんびりはしていられないぞ。お昼抜きになるのも、柏崎先生のお説教を聞くのも勘弁願いたいだろう?」
「そう、ですね」彼女も同意した。「頑張りましょう」
今度は小鳥遊と二人で、作業を再開する。
とはいえ、パートナーが変わったからといって、劇的に状況が好転するはずもなく。
そしてゴミ拾いという単調な作業に、集中力が持続するはずもない。
屈みすぎで痛くなった腰を、伸びをすることで休ませる。横目でちらりと小鳥遊をうかがと、彼女は黙々作業をこなしていた。
――来夢ちゃんって凄い綺麗じゃない? あんな子が傍にいて、揺れない男子なんてそうそういないんじゃないかなーって。
朝、心音が言っていた言葉が、脳内で反響する。
言われるまでもないことだ。そんなことは、とっくに理解している。
腰まで伸ばされた、長い黒髪。癖の強い私では、決して映えない髪型だ。しかし、彼女にはとてもよく似合っている。
涼しげな目元。神秘的な雰囲気を醸し出す泣き黒子。長い睫。白い、雪のような肌。
そして、スタイルもいい。身長が高く、足もすらっと長い。いわゆる、モデル体型、というやつだ。胸も大きい。
正直に言えば、勝てる要素がまるで見当たらないのが現状である。
そしてもし、彼女に――『その気』があるのだとしたら、最大の強敵となることは、想像に難くない。
私は、司が好きだ。
それは、多分事実なのだろう。
いくら口で否定しようと、心を抑え込もうと、決してなかったことにはできない感情だ。
いつからかはわからない。ずっと前からそうだった気もするし、ここ最近芽生えたとも思える。
どこが好きなのだろう。
それはたとえば、彼が何の気なしに施してくれた、日常のなかの小さな気遣いかもしれない。
それとも、ふとした時に見せる素朴な笑顔かもしれない。
あるいは、普段は頼りないのに、私が困っている時は一生懸命に助けようとしてくれる、そんな強さかもしれない。
どこが好きなのか。なんで好きなのか。
そういったことを言語化するのは難しい。
『あばたもえくぼ』というのか。
恋に落ちた時は、その人の一部が好きになった時で、そんな時は大抵その人の全部が好きになっているものじゃないか。
もちろん、私は恋愛のなんたるかを語れるほど、人生経験は豊富ではないのだが。
でも、それでも。
私は司が好きだから。
だから、変えたい。
友人、という関係から、恋人へと。
この気持ちを伝えて、彼との距離をさらに縮めたいのだ。
……でも、駄目。
今、彼に想いを告げるのは、卑怯だ。
事故――三年前に、彼の両親と、妹の声を奪ったあの事故。
そのショックからようやく立ち直りそうになっている彼に、彼の傷につけこむような真似だけは、絶対にしたくない。
……想いを告げるという行為から、逃げているだけかもしれない。
どうなのだろう?
わからない。
わからないけれど、そんな、自分の中ですら結論の出ていない状態で、告白なんてできるわけがない。
だから、今の私にできることは、せいぜいが時間稼ぎ。姑息な真似しかないわけだ。
「なあ、小鳥遊」
私の呼びかけに、彼女が中腰をやめ、こちらを振り向いた。しかし、私は彼女に視線を合わせずゴミを探し続ける。あくまで世間話の一環として、会話を続けたかったからだ。
「――その、さっき『日比野さんも藤倉君からアプローチを』って言ったよな?」
「ええ」
「ということは、その、多賀から気のある素振りをされたってことか?」
わかりきった現状の確認。いきなり本題には入らず、少しずれた個所から切り込む。
小鳥遊が、少し黙り込む。
「……多分、そうだ、と思います」
歯切れが悪い。確証が持てないのだろうか。
「多分?」
「あの、お付き合いしてほしい、との要請がありましたので、その……おそらくは」
思わず彼女の方を向いてしまう。
彼女の顔は、本気の『困惑』を示していた。表情に乏しいが、そう見えた。
冗談だとか、嘲笑だとか、そういった感情は一切ない。
……ずれた奴だ、と思った。
『付き合ってほしいって言われた』ってそれ、どう考えても告白だろう。気のある素振り、どころの話ではない。
「それで?」私はゴミに視線を戻しつつ話を続ける。「オッケーは……しなかったんだろうな。こうして別行動してるんだから」
「はい。お気持ちは嬉しいのですが、とお断りをしました」
しかし、多賀か。
「もったいないことをしたかもな」
「え?」
「多賀は、女子に結構人気がある」
「そう、ですか」
「結構、羨ましがられるかもしれないのに」
「日比野さんは、羨ましいですか? 多賀さんに告白されたら」
「私か?」
「つきあいますか? 多賀君に、告白されたら」
横を向く。彼女もこちらを向いていて、目が合った。
「……断る、だろうな」
「そういうことです」
お互い前を向き直る。なんとなく、気まずい空気になってしまった。
「あー……」
「ごめんなさい」
謝ろうとしたら、小鳥遊の方に先を越された。
「嫌な物言いをしてしまって」
「いや、違う。私の方こそすまなかった。デリカシーのない質問だった」
彼女にした質問を、自分がされたらいい気はしない。失言だった。
小鳥遊は、まっすぐだ。短い付き合いだが、それぐらいはわかっていた。そんな彼女に、回りくどい質問なんて、するべきではない。
「その……小鳥遊には、好きな人とかいるのか?」
「えっ」
彼女は少しうつむき、ほんのりと頬を染めた。
「いる、のか……?」少し焦る。
「いえ、すいません。そういうわけではないのですが……」ちょっと口ごもり、言葉を続ける。「その……こういうシチュエーションにあこがれていまして」
「は?」
「えっと、友達と、コイバナ……? を、するっていうのに」
嘘をついているようには見えない。……本気か。
「それで……い、いないのか?」
なんとなく深く触れてはいけないような気がして、聞かなかったことにする。
「ええ」彼女は首肯した「……なんというか、怖いんです」
「怖い?」
不穏な言葉。小鳥遊は、特になんというわけでもないような顔をして、ただ純粋な事実を述べるだけのように、淡々と言った。
「……ちょっと、苦手なんです。男の人が――」
結果からすれば、昼ごはんだとか、お説教だとか、もろもろの心配はすべて杞憂に終わった。
単独行動をしていた心音が、なんとノルマ分のゴミをすべて集めてしまったからだ。
あらかじめ決めておいた集合場所で待ち構えていた彼女は、どこか誇らしげに胸をそらしていた。
「……いや、いや、いや」飛鳥がゆっくりと言葉を紡ぐ。「え? まさか、心音がそれ全部ひとりで集めたの?」
心音は『ふんす!』と鼻息を荒くする。「そうだよー! あれ、みんなちょっと量少なすぎじゃないかなー?」
「心音が多すぎるんだよ」
私は感心した声を出す。彼女のそばに置かれたゴミ袋は、五枚。それも、全ての袋がぱんぱんに膨らんでいる。
この綺麗な公園のどこにそれだけのゴミが落ちていたのか。私たちだってかなり真剣に探したのだが。
「ちょっとみんなたるんでなーい? ゴミに対する愛情が足りないよー」
「ゴミに愛情は……ちょっと……」
藤倉が困ったように笑う。
「まあなんにせよ」氷室が口元を斜めにする。「これで心おきなく昼食にありつけるってわけだ」
「よく言うよ」飛鳥が呆れ声をあげた。「アンタはそんなことを気にするような奴じゃないだろーが」