六章『360°マテリアル』
バスを降りると同時に、さわやかな緑の香りが私の鼻孔をくすぐった。
霧雨が草木を湿らせているのだろうか、思わず深呼吸をしたくなる。
眠気をはらす目的もあり、おもいきり息を吸い込んだ。途端にバスの排気を吸ってしまい、むせ返る。間抜けか、私は。
「大丈夫ですか」
心配そうな視線を向けてくる小鳥遊に、大丈夫だということを伝える。
バスを降りた私たちは、駐車場の一角で班ごとに整列する。他の客の迷惑になりそうな行為だが、今日はキャンプ場の休業日らしい――駐車している車は、私達が乗ってきたバスのほかにはニ台しか無かった。
学年主任の諸注意のあと、キャンプ場<七篠グリーンパーク>の従業員が挨拶をはじめた。
四十台ぐらいだろうか、浅黒い肌とがっちりした体格が印象的だ。その体つきはラグビーの選手を思い起こさせる。
彼の話もそこそこに、早くも班別行動が開始となった。
人数分用意された軍手に、大量のゴミ袋、さらにトング。すでに私たちはジャージ姿なので、立ち姿はどこからどう見ても立派な清掃員である。
お昼ごはんまでは三時間。ノルマは各班ゴミ袋三つとのことだ。
キャンプ場は広い。しかし、特に担当場所などが決められてはいなかった。柏崎先生いわく"生徒の自主性を育む"とのことだが――。
「……サボってくださいと言わんばかりだな」
「でもノルマを達成しないと、お昼食べられないよー」
私のつぶやきに、心音がほがらかに答える。たいへんに面倒なゴミ拾い作業だというのに、彼女は楽しそうだ。トングをカチカチと鳴らして、早速空き缶をひとつ拾っていた。
「つーか実際どうなんだ?」同じ班の――多賀が口を開く。「俺たち全員がノルマを達成できる分のゴミなんて落ちてるのか?」
「計算してみればいいじゃないか」
飛鳥がおざなりに言った。
「大体1クラスに6つの班があるとすると、3×6で18」氷室が指を折りながら計算する。「全部で7クラスあるから、18×7で――7×8、56……126袋、かな」
「多いような、そうでもないような、微妙な数だね」
藤倉が困ったように笑った。
「数も問題だが、分別をどうするかも重要じゃないか」
「と、言うと?」
私の言葉に、藤倉が続きを促す。
「燃えるゴミと、燃えないゴミ、空き瓶、空き缶、ペットボトル――この五つの内からどれを三つえらぶか」
「体感だと、燃えるゴミが一番落ちてるような気がするけどねー」
言いながらもうひとつ空き缶を拾う心音。
「だけどキャンプ場ってことを考えると、ビールの空き缶とか、ペットボトルなんかも捨てがたいんじゃ」
氷室が付け加える。
「いーんじゃねーの、テキトーで」とは多賀の弁。
その後も、ビンは重くなるだの、燃えるゴミと燃えないゴミの区別はどうするべきだだの、色々と意見を言い合う。
これといった最善手が見つからず、議題が迷走し始めたころ――それまでずっと黙っていた小鳥遊が手をあげた。
「あの――袋はたくさんありますし、とりあえず、全部拾えばいいのではないでしょうか?」
至極まっとうで当然の意見だった。
なぜそんな単純なことに気付かなかったのか。その事実に彼女以外の六人は押し黙った。
――人間は時にしてシンプルな解ほど見落とす。
そういうことに、しておこう。
七人、というF班の人数に対し、配られたゴミ袋は三十枚。ひとり四枚ずつ分けたとしても、二枚余る計算だ。
だとしたら、全員で固まる必要はないだろう。一人ずつ個別に集め、タイムリミットの十二時前に集まればいい――という流れになった。
その案自体は実に合理的なのだが、仮にも『交流キャンプ』という名目のイベントで、団体行動を真っ向から否定するような行動をとる、というのはいかがなものだろうか。
そうも思ったが――仕方のないことだろう。人は空腹には勝てない。交流は、昼ごはんにはかえられないのだ。
「……ふぅ」
ため息をつく。
散開してから三十分ほど経過したが、成果は芳しくなかった。
拾えたのは空き缶が六個と、レシート、コンビニのビニール袋と、割り箸が数本だけだ。
広大な敷地面積を誇る<七篠グリーンパーク>は手入れや清掃が行き届いており、ゴミなどそうそう落ちていない。
広くて綺麗――というのはキャンプ場としては素晴らしい事なのだろうが、ことゴミ拾いに関してだけいえば、マイナスこのうえない。……マイナスなのに『このうえない』というのがひっかかるが。
「日比野さん」
振り返る。――藤倉が立っていた。
「どう、成果は?」
「思わしくないな」正直に答える。「藤倉はどうだ?」
「僕も、あんまり……」
彼はそう言って、手にしたゴミ袋を掲げる。
――ビール瓶が二本に、コンビニ弁当の空き箱。それから煙草の吸殻が少々。
「やっぱり、そんなものか」
「うん。これは、思っていたよりも大変かもしれないね」
藤倉が頬を掻く。
「とはいえ、やらないわけにはいかないだろう」
「そうだね、がんばろう」
気合を入れなおす。そう、いくらゴミが少ないとはいえ、集めないわけにはいかない。美味しいお弁当のためにも――やるしかないのだ。
……などと決意したところで、ゴミが増えてくれるわけでもなく、さらに三十分経っても私たちは大した成果をあげられないで。
「…………」
重苦しい空気が私たち二人の間に漂う。
ゴミが拾えないことだけが原因ではない――かれこれニ十分近く、私と藤倉の間に会話がないのだ。
沈黙が場を支配するというのは、とても気まずいものがある。
無論、私たちが作業に熱中できるだけのゴミが落ちていてくれれば、雰囲気をいくらかは和らげることができるというものだが、そうもいかない。
そもそも、どうして藤倉は私と一緒にいるのだろうか。せっかく個別に散開したというのに、これでは元の木阿弥ではないか。サボっておしゃべりに興じるという目的ならばわからなくもないが、会話はすでに滞ってしまっている。そもそも私はトークにそれほど自信があるわけでもないし、藤倉とはそれほど親しくもない。雑談の相手として適当な人物だとは思えない。
だとすると、考えられるのは――。
"――そういう行事の前とか最中ってカップルできやすいのよねー。どう、響もニ、三人くらいからモーションかけられてりしてない?"
希姉さんの言葉が、頭の中で反響する。
これは――そうなのか?
藤倉は、私と、その、恋人になりたくて近づいてきているのか?
昨日、一緒に下校しようと提案したのも――つまり、そういうことなのか?
身体のなかから、カッとした何かが湧き上がるのを感じる。
ちらりとばれないように藤倉に視線を送る――。
……目が合った。
私は慌てて目を逸らす。
なんでこっち見てるんだよ。
――これは確定か?
私に惚れているのか?
いや待て、落ち着け。まだ断定するのは早い。ただの早とちりの可能性だって無きにしもあらずだ。
そう自分に言い聞かせる。しかし、人間というのは不思議なもので、一旦そうかもしれないという疑いの目で見てしまうと、もう、『そう』としか見えなくなってしまう。
今、若干藤倉は赤くなってなかったか? とか。
目が合ったのは私のことをずっと見ていたからではないか? とか。
そうなってくると、この沈黙が一層気まずい。
なんとかして今の重苦しい状況を改善しなければ――。
「なぁ」
喉から声を絞り出す。心なしか、少し上ずってしまったような。
「どうしたの?」
気づかれなかったようだ。
しかし、兎に角沈黙をなんとかしようという一心で放った言葉なので、続ける科白を考えていなかった。馬鹿か。私は馬鹿か。
「あー、えっと、ほら、あそこなんかゴミ、落ちてそうじゃないか?」
そう言って目についた適当な場所を指さす。
――このキャンプ場<七篠グリーンパーク>は、大小合わせて十二の広場が森の中に点在しているような作りになっていた。広場は川が流れていたり、子供が遊べるような遊具があったりするらしい。そして各広場をつなぐ経路は森の中の突っ切るような形に整備されている。
私が指をさしたのは、その経路の横にある森のなかだった。
「……そう、かな?」
私の行動に、藤倉は困惑した表情を浮かべた。
「……いや、そうでもない、な?」
同意を得られず、即座に前言を撤回する。
客が通る目的で作られた通路とは違い、植物がなるべくそのままの形であるように保たれた森は、奥に入ることが困難だ。ポイ捨てをする輩だって、わざわざ無駄な労力をかけるはずがない。
自らの発言のいたたまれなさに思わず顔をうつむける。
「…………」
再び訪れる沈黙。気まずい空気の再来。
どうすればいいのだろう。
正直に言えばすぐにでもひとりになりたい。
しかし、今まで何も言ってなかったのに、ここまで来て別行動を切り出すのも、なんというか、不自然ではないか。
考えすぎだろうか?
いや、そもそも藤倉は、本当に、その、私に好意を寄せているのか?
自意識過剰な早とちりではないか?
向こうも解散を切り出したいけど、言い出せずに惰性で行動をともにしているだけではないか?
だとしたら、お互いになんと不毛な気の使いようだろう。
ぐるぐるとループする思考。
ゴミが集まらないという焦燥。藤倉の真意がはかれないという混乱。
どうすればいい……、どうすれば……。
不意に、私たち以外の誰かの話し声が鼓膜を震わせる。思わず顔を上げた。
――私の視界に、見知った姿が飛び込んできた。