閑話『必要のない幕間』
バスが揺れる。
二年B組の生徒、教師ら四十名弱を乗せたバスは、山あいの曲がりくねった道を器用に進んでいた。
生い茂る木々の合間からみえる街が小さくなり、自分たちがずいぶん遠くまで来たのだということを認識する。
一番後ろの席に座った藤倉直紀は、視線を窓の外からバスの内部へと移した。
朝早い出発だったため、寝息を立てている生徒も目立つ。しかし大半はキャンプに対する興奮からか、大きな声でおしゃべりをしていた。
無意識に“彼女”の姿を探してしまう。しかし、一番後ろである彼の席からでは、彼女がどこに座っているのかを確認することはできなかった。
高い道を一気に登ったからだろうか。耳の奥がぼんやりと痛い。唾を飲み込むことで、それを消そうと試みた。
「――え? 今日泊まるのって旅館なの?」
藤倉の隣に座る氷室幸一が、驚いたような声をあげた。それに対し、彼の隣にいる多賀賢二は呆れた様子を見せる。
――氷室と、多賀。
藤倉と同じF班になった男子二人の容姿は優れていた。そのベクトルは違うが、兎に角。
白い肌に怜悧な顔つき。ヴィジュアル系のような妖しい魅力を放つ氷室。
彼とは違い、多賀はさわやかそうなイケメンだ。言うならばジャニーズ系だろう。
学年――いや学校中見渡しても彼らほど女性にモテる男子はそうそういない。
そんな二人と同じ班になった藤倉は、気後れのようなものを感じずにはいられなかった。
「なんだ、知らなかったのかよ。つーか、何度も説明されたろ? しおりにも書いてあったし」多賀が言う。
「マジか。てっきりテントで泊まるもんだと思ってた」と、氷室が返す。
そして、彼はふとなにかに気付いたように言った。
「でもさ、旅館に泊まってるのに『キャンプ』って言っていいわけ? それに、バスケ部の先輩は、たしかテントに泊まったって話してくれたんだけど」
「それだよ」と、多賀が目を輝かせた。「去年の話、聞いてない?」
多賀の言葉に、氷室はすこし思い出すような仕草をする。
「……サッカー部の馬鹿が女子と青姦してるのが見つかって、退学になったんだっけ」
「そうそう」多賀が口元を斜めにした。「それが原因で、今年から屋外に泊まるのは止めたんだとよ」
「へえ」
意味あるのかね、それ。
そう言いながら氷室はゆっくりと目を閉じた。
「その感じだとさ」二人の会話を聞いていた藤倉は口を開く。「もしかして今日明日の予定とかも知らなかったりする?」
「さすがに、それはねーだろ」
多賀が苦笑を浮かべる。しかし、氷室は目を閉じたまま動かない。
本当に把握していないのか。
疑わしげな多賀と藤倉の視線を浴びたまま、氷室は苦しそうに言った。
「……カレー、カレーを作る」
「まあ、それはそうだけど」藤倉は笑った。「それは午後。今日はゴミ拾いが主な活動だよ」
「なん……だと……?」
氷室は目を見開いた。信じられない、と言った顔つきだ。
「班ごとに分かれて、午前いっぱいキャンプ場やその周辺のゴミ拾い」多賀が追い打ちをかける。「んで午後も五時ぐらいまで続きをやって。カレーつくるのはそれからだな」
彼らの言葉を聞いた氷室は、がっくりとうなだれた。
その様子がおかしく、藤倉はくつくつと喉を鳴らす。
最初は氷室にどことなく近づきがたい印象を抱いていたが、話してみればユーモアもあり、意外と喋っていて楽しい人物だなと感じていた。
「ところで、さ」多賀が、声を潜めて言った。「――藤倉は、誰狙いなんだ?」
「え?」
彼の言葉がとっさに理解できず、目を丸くする。多賀は、意地の悪そうな光を両目にたたえていた。
「とぼけんなよ。F班の誰かに告白するんだろ?」
ニタニタとした笑い顔を浮かべながら、多賀が続ける。
藤倉は彼の言葉に動揺し、顔をそむけた。間に挟まっている氷室が、意外そうな声をあげる。
「そうなのか?」
そういった噂話に疎そうな氷室に対し、多賀が解説をはじめる。
「"キャンプ中に告白すると、絶対に成功する"――『交流キャンプ』にはジンクスっつーかな、そういう感じの伝説があるんだよ」
「なんだそりゃ」
「七不思議のひとつさ。残り六つがなんなのかは知らねーけど」
「絶対は言いすぎだろ。明らかに盛りすぎだ」
半信半疑の氷室。
しかし、藤倉もその噂話を知っていた。だからこそ、それほど親しくない氷室のいるF班へと立候補したのだ。
日比野響のいる、F班へと。
必ず同じ班にならなければならない、という訳ではないが、交流キャンプ中は班別行動が原則である。同じ班になれば二泊三日の間に少しでも親しくなれるかもしれないし、告白する機会もそれこそ激増するだろう。
そういった計算が、心中にあった。つまり多賀の推測は、どんぴしゃり図星だったのだ。
「でさ、誰なんだよ」
多賀が好奇心丸出しで藤倉に尋ねる。
「教えるわけないよ」
焦って答える藤倉。
「そうだぞ多賀」氷室が藤倉をフォローする。「それに、ひとにモノを尋ねる時は、まず自分からだ」
ニ対一。形勢が悪いと判断した多賀は、右手で頬を掻いた。
「じゃあこうしようぜ」
多賀が人差し指を立てる。
「俺が狙っている子の名前を言うから、被ってるかそうでないかだけ教えてくれ」
つまり多賀は、競争になることを懸念しているのだろう。藤倉は、彼の提案を吟味する。
「……それくらいならいいけど、もし、僕が嘘をついたらどうするのさ」
「――どっちにせよ俺は告白する。そうなったら恨みっこなしだ」
多賀の態度からは、藤倉に負けるはずがないという考えが透けて見えた。まあそうだろう。藤倉本人も、男女交際において多賀に勝てるとは思わなかった。経験の差が大きすぎる。
「……わかったよ」
不承不承藤倉は頷く。まあ、特に断る理由もない。要するに、多賀が日比野の名前をあげなければいいのだ。そうすればすべてが丸く収まる。
四分の三。それくらいの確率ならば、なんとかなるだろう。
「それで? 誰なんだ?」
なぜか氷室が問いかける。多賀は自身の携帯を操作すると、二人の目の前に突き出した。
メールの編集画面。ディスプレイには一人の女子生徒の名前が表示されていた。
"小鳥遊来夢"
「被ってないよ」
藤倉が言った。多賀がオーバーな仕草で、安心したと言いたげに、大きく息を吐き出す。
安心したのは藤倉の方だった。もっとも、それを口に出したりはしないが。
氷室が画面を見て、「それは意外だな」と呟いた。
「意外?」
藤倉が聞きかえす。
「いや、印象の問題さ」氷室は薄い笑みを浮かべる。「なんとなく藤倉からは、俺と同じ匂いがしたから」
「匂い? なにそれ?」
「『おっぱい大好き星人』の匂い」口元を斜めにした。「藤倉はむっつりスケベに違いないと思っていた」
悪びれる様子もなく飄々とした口調。
あまりにもあっけらかんとした態度すぎて、失礼なことを言われたにもかかわらず、藤倉は怒る気にすらなれなかった。むしろ、氷室自身ががもろ手を挙げて「巨乳大好きーっ」とか言ってるのを見ると、ほほえましい気分すらしてくるから不思議だ。
「ちょっと待てよ」多賀が焦ったように言葉を紡ぐ。「じゃあ、氷室も、彼女を狙ってるのか?」
その科白に対し、ゆったりと氷室は口を開いた。
「いや、"狙ってた"かな。――勝ち目のない勝負はしない主義なんだ」
藤倉は氷室の言葉に違和感を覚える。それは一見多賀に対して白旗を上げたようにも聞こえる科白だが――彼はそこに別のニュアンスを感じ取った。
それがいったい何を意味するのか、まではわからなかったのだが。
「ふーん」
多賀が氷室にジト目を向ける。そんな何でもない行為ですら、イケメンがやると映えるものだな、と藤倉は思った。
「――まあ、寝取ったりしないでくれよ」
自信に満ちた声。
フラれるという心配を一切していないのが、多賀らしかった。
それからも少し話をしたが、ほどなくしてバスがキャンプ場内の駐車場へたどり着く。
――これから、キャンプがはじまる。
期待に目を輝かせながら、わらわらと降りて行く生徒たち。
藤倉はひとつ息を吸い込み、「よし」と何かを決意するように小さく呟いた。




