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ヴァルプルギスの夜の夢  作者: 朽尾 明核
◆◇心中ルーレット ~アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト~◇◆
41/59

四章『キミの記憶』


 バロック。


 水柿京子の質問は、"バロック"という言葉を聞いたことがあるかどうか、というものだった。

 私は一度間を取り、考える素振りを見せてから、彼女の目を見て答える。


「知らないです」


 その返答に、彼女は口の端を釣り上げる。


「ダウト」彼女は言い切った。「汗をなめるまでもねーな」

「…………」

「おらおら、さっさと吐いちゃったほうが身のためだぜ」


 仕方ない。私はごまかすのを諦めて、自分の知る事実を正直に説明することにした。


「……確か、建築とか音楽とか文学とかの美術の様式でしたっけ」

「そうだね。バロック建築とか、バロック音楽とかは有名かもな」


 水柿は手のひらを上に向け、四本の指を"くいくい"と数回曲げる。もっと喋れ、というサインに見えた。


「あとは……歪んだ真珠、のことをそう呼びますよ、ね」


 そう。真珠は本来正円が美しいされ、好まれる。だが、歪んだ真珠もまた独特の趣があるとされるのだ。そしてその歪んだ真珠のことを、『バロック』と呼ぶらしい。宝石業界の用語のひとつだ、多分。


「うんうん。女の子だからね。宝石とか好きだろう?」


 それは偏見というものだろう。嫌いじゃないが。


 ……しかし、バロック、か。

 確か司から、聞いたことがある。


「それと、これは友だちから聞いたのですが――」

「なに?」


 期待に満ちた目をしている水柿に、最後の心当たりを告げる。


「バロックという名前のゲームがあるそうです。プレステで」


 何かを期待していたらしい彼女は、大げさにずっこけて見せた。縛られた黒髪が、動物のしっぽのように上下した。「ゲームかよ」


「まあ、こんなところでしょうか」


 "バロック"という単語から聞いて連想した事柄は、これで全部だ。嘘偽り隠し立てはない。これでもまだ私に何かを要求するなら、彼女の観察眼はハッタリだったということになる。


 まあ、もしそうだとしたら、そんなものに引っかかる私も私だが。


「ふむ」彼女は顎に手を当て、私の顔をじっと見つめる。「どーやら本当にそれ以上知らないみたいだな」

 そしてヤス――という男性に視線を送った。


「ヤス、この娘もシロだ」

「……まあ、貴女が言うならそうなんでしょう」


 どうやら彼女たちが聞きたかったのは、そういう答えではなかったらしい。


 ――つまり、もっと別の"バロック"という単語がさす名称のモノがあって。


 彼女ら二人はそれを探している、といったところだろうか。

 それが二人の用件ならば、私はもう用済みのはずだ。とっとと帰ってもよかったが――少し気になって水柿に尋ねた。


「あの、"バロック"って、なんなんですか?」

「それは、私達の言うところのって、意味か?」


 私は頷く。

 彼女は少し考えた後、こう言った。


「『消火器』だよ」

「え?」

「言ったろ? 消火器詐欺っつーのがあるって。"バロック"っていうのは、詐欺師が売りつける『消火器』みたいなもんだ」

「……はあ」


 するとスーツの男性――ヤスが、口をはさむ。


「〈蛇〉。うまいたとえを言ったつもりだったなら、だいぶ見当外れですよ」

「ああん?」

「『奴等』が詐欺師と称したのは中々的を射ていますが、〈歪んだ真珠(バロック)〉が『消火器』というのはいただけません」


 彼は眼鏡の位置を直した。


「……まあ、確かに、な」水柿――いや、蛇、と呼ばれた彼女は、彼の言葉を首肯する。「あれはそんな生易しいモンじゃねーな」


 そして「でもよ」と言葉を続けた。


「じゃあ、ヤスだったらなんて説明するよ」


 その問いに、ちょっと考える仕草をしてから、ヤスは答える。


「しいて言えば『不良債権』、でしょうか。――ま、そんなことはどうでもいいです。早く終わらせましょう」


 その言葉を聞いた水柿は、笑みを浮かべた。


「ああ、そのことなんだけどよ。今回の『鍵』、私に決めさせてくれないか」

「……何か考えでも?」

「女の勘って奴だ」


 男性は呆れたように息を吐き出した。


「まあ、いいですけどね」片手で眼鏡の位置を直す。「それで、何にするんですか?」

「ああ。その前に」


 水柿は私に向き直る。


「なあ響ちゃん。生徒手帳かなんか持ってない? 定期入れでもいいけどさ」


 生徒手帳など持っていない。


「定期なら、ありますけど?」

「おっけー、おっけー」


 水柿は名刺を差し出してきた。思わず受け取る。

 名刺。

 それは、企業名も個人名も一切書かれていない、奇妙なものだった。

 ただ一件の電話番号だけが、手書きでぽつりと書かれている。


「なんです、これ」

「私んとこの連絡先。定期券の裏にでも入れておいてよ」


 なんだそれは。なぜ、初対面の怪しい人間から受け取った名刺に対し、まるで恋人の写真のような扱いを強いられなければならないんだ。いったい誰がそんな真似をするか。


 私はそう思いながら、素直に名刺を(・・・・・・)定期券の裏に(・・・・・・)差し込んだ(・・・・・)


 ――あれ?


「さっきも言った〈歪んだ真珠(バロック)〉ていうのはかなりやばいモンでな、もし響ちゃんがこれから先その名前を聞くようなことがあったら、何を優先してでもその電話番号に連絡してくれ」

「――は?」


 いや、待て。名刺? どうして?

 バロック?


「いいな、絶対だ」

「なんで――」

「危険なんだ」彼女は私の言葉を遮る。「いいか、響ちゃん。――自分のことを詐欺師だという詐欺師なんて、いない」


 だから、と強く言い聞かせるように。


「偶然にも〈歪んだ真珠(バロック)〉を手に入れるような場合になっても、間違っても使うような(・・・・・)真似は絶対に(・・・・・・)しちゃ駄目だ(・・・・・・)


 すぐに私に連絡しろ、それだけ言うと、水柿はスーツの男性に向き直った。


「よし大丈夫だ。ヤス、頼んだ」

「……それで?」彼は肩の骨を鳴らす。「結局『鍵』は何にするんです?」

「大体予想ついてんだろ?」水柿――蛇は口許を斜めにした。「『バロック』だよ」


 ヤス、がゆっくりとこちらを向いた。


「あ、そうだ」蛇が私に話しかける。「それで、プルス・ウルトラの話なんだけどさ」


 思わず彼女の方を向いてしまった。


「もともとは"この先には何もない"って意味なんだけど」


 そして、私の意識が彼女の話に向けられた一瞬。


 ヤスの人差し指が私の額に突き付けられた。












「日比野さん?」


 鈴を鳴らすような澄んだ声色が、私を微睡みから引きずり戻す。


「んえ?」


 目を開けると、ブレザーを着た少女――小鳥遊がこちらを見下ろしていた。 


「なに、してるんですか」小鳥遊が言う。「こんなところで寝たら風邪をひきますよ」

「え? あれ?」


 私は商店街に設置されたベンチにもたれかかっていた。腰かけて休憩してる最中に眠ってしまったらしい。

 そうだ。お菓子。明日のためのお菓子を買って、その帰りに。


 ――あれ?


「なんだっけ?」私は首を傾げる。

「どうしました?」

「いや、えっと……」


 いくら私でも、ベンチで寝るなんてことがあるだろうか。

 でも、そうだ。確かにベンチに座って――、あれ?


「なんか、忘れてるような」

「明日の準備ですか?」

「いやそれは完璧だ。今日旅のおともを買ったことにより、もはや一部の隙も無いと言っても過言ではない」


 それはぬかりない。

 でも、何か重大なことを忘れているような気がする。が――まあ、思い出せないということはさほど重要なことではないのだろう。

 私は小鳥遊を見上げる。


「お見舞い、行ってきたのか」

「ええ」彼女は頷いた。

「司は」思わず視線を外す。「小鳥遊に打ち明けた、か?」


 その質問に、彼女は少し時間を置いてから答えた。


「ええ。――話して、くれました」


 私の視線は、彼女のローファーに向けられる。なんとなく、小鳥遊の顔を見るのが怖かった。

 昨日あれだけ司に啖呵を切っておいてなさけない限りだが。


 そうだ。情けない。


 私がくよくよしてどうする?

 一つ気合を入れると、私はベンチの隣を叩く。


「なあ小鳥遊、じゃがりこ食べないか?」

「え?」小鳥遊は目を丸くした。「いいんですか? それ、明日からのおやつでは?」

「心配はいらない。たくさん買ったからな」


 そう言ってパンパンに膨らんだビニール袋を掲げる。みんなで食べる用のスナック菓子から、ガムやグミ。変わり種として胡椒煎餅、かりんとうなどまで取りそろえた、隙の無いラインナップである。普段ならカロリーが怖くて買えたものではないが、しかし、折角のお泊りなのだ。ちょっとくらい羽目を外したって、いいだろう。


 私は小鳥遊の顔を見て、言う。


「それとも何か? 君は私の買ってきたじゃがりこが食べられないというのか?」

「……いただきます」


 彼女は私の隣に、すとんと腰を下ろした。

 私はじゃがりこをひとつ取り出し、べりりと蓋をはがすと、小鳥遊に差し出した。しゃかしゃかとスナックの跳ねる音がした。


「個人的にやっぱりサラダ味が無敵だと思っているんだが」


 彼女は一本取り出し、咥える。固い菓子を砕く咀嚼音が、私の耳朶をうった。


「おいしい、です」

「だろう」


 私も一本取り出し、口の中に放り込む。

 程よい塩気とジャガイモのうまみが舌の上に広がった。

 夕日がビルの谷間に落ちる。

 しばらくの間、私たちはただ黙々と食べ続けていた。





   

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