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ヴァルプルギスの夜の夢  作者: 朽尾 明核
◆◇心中ルーレット ~アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト~◇◆
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三章『嘘喰い』


「あのさ、消火器詐欺って知ってる? 紺色の制服っつーか作業着っつーか来てさ、ピンポーンってチャイム鳴らすわけ。んで、出てきた住人に対してこう言うわけだ"すいません消防署の()から来ました"ってさ。そしたら消火器を売るの。当然相場とは全然違う、高い値段で売りつけるわけ。あるいは一般家庭じゃなくてビルなんかの施設に対して、見せかけの消防点検なんかをしてから売りつける、なんてケースもあるらしい。当然詐欺だから犯罪なんだけどさ、そいつらってなぜか"消防署の者です"とか"消防署から来ました"って言わないで、"消防署の()から来ました"って言うんだって。あくまで消防署の()だから嘘は言っていないって理論らしいんだけどさ、ぶっちゃけ意味わかんなくね? 人を騙くらかそうって奴が、今更そんなちっちゃいことうじうじ言うなっつー話だよな。小学生の屁理屈レベルっていうかさ。いや、私は法律とか全然詳しくないから、もしかしたらちゃんとそれで罪が軽減すんのかもしれないけどさー」


 その女性はべらべらと喋り続けていた。


 最初はひとりごとかと思ったのだが、その声量などから判断するに、明らかに誰かに向かって話しかけているのだと察せられた。


 だから私は思わず足を止めて、彼女の方に顔を向けてしまった。


 年齢は十代後半から、二十代前半ぐらいだろうか。長い髪を後ろで一つに束ねている。フードつきの白いシャツに、黒とピンクのピンストライプジャケット。グレーのネクタイがアクセントになっている。白のレザーミニスカートから伸びる長い脚はタイツに包まれ、深く組まれていた。


 咥え煙草から紫煙がたゆたう。猛禽類を彷彿とさせるような切れ長の瞳は、こちらをにらんでるようにも見える。

 彼女は気だるげにベンチに腰掛けていたが、私と目が逢った瞬間、にいっと口角を上げた。


「おいっす」


 片手を挙げて、親しげに挨拶をしてきた。

 しかし、彼女の顔に見覚えはない。どうやら人違いのようだ。早く帰ろう。


「いやいや、君だよ君。そこのおじょーちゃん」


 商店街。街頭に設置された休憩用のベンチ。そこに腰かけた女性をもう一度見やる。すると彼女は笑みを浮かべ、手を振ってきた。


「そうそう、そこの金髪ハニワスタイルのお嬢ちゃん」


 私、か。

 いや、でも。本当に見覚えがない。女性の方も私の名前を呼ばないということは、多分面識はないはずだ。


「ういうい。大丈夫、大丈夫。初対面だから」


 初対面の知らない人はあまり大丈夫とは言い難いのではないだろうか。そういう人に声をかけられてもついて行ってはいけないと小学生のころからずっと教えられてきた。

 しかし、なんとなく放っておけなくて、私は口を開いてしまった。


「……どちら様でしょうか?」

「人に名前を尋ねるときは、まず自分からって教わらなかったかい?」


 無言で踵を返す。背中から慌てたような声が追ってきた。


「待ってっ。ごめん、ごめん、調子に乗ってましたすみません。京子(きょうこ)、私の名前は水柿(みずかき)京子ですっ」


 ゆっくりと振り返る。


 ――何をしている? 自分の行動が理解できなかった。とりあうな。まともじゃない。関わるな。歩を巡らせ。

 しかし体はなぜかいう事をきかず、水柿とやらの言葉に耳を貸してしまっている。


「君の名前は?」

「ひび、の――」


 水柿が訪ねてくる。反射的に答えてしまった。

「ひびき」

 フルネームを教えてしまった。

 水柿は「なるほど、響ちゃんね」などと言いながらこちらをじろじろと見つめている。

 帰りたい。今すぐ逃げ出したい。彼女は底が知れない。不気味だ。そう思っているのに、足は地面に根を張ったように動かない。


「なあ、響ちゃん」

「なんで、しょう」


 この人は、怖い。この人は、危ない。

 だけど彼女の言葉を聞いていると、そんな恐怖心さえいつの間にか消えてしまいそうになる。

 一刻も早くこの場を立ち去りたいのに、ずっとここにいたいと思ってしまっている。

 得体のしれない人間と会話なんてしたくないのに、彼女の話をずっと聞いていたいと思っている自分がいる。


「ちょっと訊きたいことがあるんだが、いいかな」


 少しかすれたハスキーボイスが、心地よく鼓膜を撫でる度に、脳みそに砂糖水がしみこんでくるようなきぶんになるのだ。


「いいです、よ」


 答える。ききたいことってなんだろう。


「その前に約束してくれないか?」


 やくそく?


「――いや難しいことじゃないんだ。これからする質問に、"嘘"を吐かずに答えてくれる、ただそれだけでいいからさ。簡単だろ?」


 なんだ、そんなことでいいのか。

 それは、とってもかんたんだ。


 だからわたしはゆっくりとうなずく。


「いいで――」



 ――"嘘"?


「どうしたの、響ちゃん」


 みずかきさんがだまりこんでしまったわたしを覗き込んでくる。


 うそ、嘘。


 その言葉が思考を急激に加速させる。


 もやがかかったような気分が晴れる。頭から冷や水を浴びせられたような感じだ。


「――いやです」


 きっぱりと言い切る。そうだ、そう、これでいい。

 水柿が目を丸くする。「ありゃりゃ」と呟いた。


「なんで駄目なの?」


 彼女はいたずらのバレた子供のような表情をしながら尋ねてきた。

 意識を集中させて、言葉を紡ぐ。


「だって、貴女が嘘をついたから」


 そう、彼女は嘘を吐いた。だからだ。


「……いつ、嘘を吐いたって?」

「名前」彼女の目を見る。「名前、偽名でしょう? 水柿さん(・・・・)

「――へぇ」


 私の言葉に、水柿は片方の眉毛を少し上げた。


「わかるんだ、そういうの」

「まぁ……なんとなく」


 彼女は吸っていた煙草を携帯灰皿に押し込むと、話を切り替えるように語りだした。


「プルス・ウルトラって知ってる?」


 私は首を傾げる。プル――なんだって?


「プルス・ウルトラ。ラテン語で"もっと向こうに"とか、"更なる前進"を意味する、スペインだかどこだかのモットーなんだよ。この言葉の語源はローマ神話にまでさかのぼるわけなんだけど、もともとはジブラルタル海峡に建てられている『ヘルクレス柱』に刻まれた言葉がもとになっているんだ。当時はそこが世界の果て、終焉だと考えられていたから、その柱には"ネク・プルス・ウルトラ"――"この先には何も無い"っていう警句が刻まれていたんだとさ。だけど――」


 そこまで喋ってから、彼女は急に口を閉じた。


 どうしたのだろう。


「――やめた」


 水柿は大きなため息を吐いた。


「やめだ、やめ。私、この娘のこと気に入っちまった」

「――は?」


 何を言っているのだろう。急に話しかけてきたかと思えば、嘘を吐くなと言ったり、質問しようとしたり、雑学を披露しようとしたり。


 彼女の行動には一貫性が見られない。 


 そしたら今度は私のことが気に入ったなどと意味の解らないことを言い始めた。

 そこで、ひっかかる。


 今、何と言った?


 その言い草だと、まるで私以外の人間に話しかけているみたいではないか――。



「何を言っているんですか、貴女は」


 唐突に。後ろから声が聞こえた。その声発生源がとても近かったので、慌てて振り返る。

 一人の男性が立っていた。

 グレイのスーツ。すらりとした身長。シンプルショートの黒髪に、ノーフレームの眼鏡。年は三十にいくか、いかないかといったところだろう。

 しかし、彼の接近に対しここまで気が付かなかったのは、どういうことだろう。

 男性は私の後ろ二メートルほどの位置に立っている。いくら後ろから来ていたとはいえ、気付かないはずがない。


「なぁ、響ちゃん」


 水柿は明らかに知り合いであろうと思われる男性の言葉を無視して、私に呼びかけた。


「おねーさん、君のこと気に入っちゃった」

「……はぁ」


 彼女は立ち上がると、つかつかと歩み寄ってきた。思わず後ずさりしそうになるが、後ろには男の人がいるので下がれない。


「ウチら、〈図書館(ビブリオ)〉ってとこで働いてるんだけどさ」

「……、ビブ、リオ?」

「そ。ドイツ語で"図書館"は"Bibliothek"。業界じゃ縮めてビブリオって呼ばれてんだ」

「そう、ですか」


 ずいっと近づいてきた水柿が、覗き込んできた。


「それでモノは相談なんだけど、君さえ良かったらウチで働か――」


 そこまで言った水柿は、男性に頭を思いっきり叩かれた。

 スリッパで叩いたような気持ちのいい打撃音が、夕焼け空に響き渡る。


「痛っ」叩かれた水柿は涙目で男性を睨みつけた。「何すんだよ、ヤス」


 ヤス、と呼ばれた男性は、大きなため息を吐いた。


「それは全面的にこちらのセリフです。貴女はいったい何を考えているのですか? それとも何も考えていないのですか?」


 水柿は頬を膨らませる。


「なんだよー、いいじゃん、ケチ。今〈図書館(ウチ)〉人手不足なんだろー?」

「だからって道端であったばかりの女子高生を勧誘するのは流石に思慮が足りないと言わざるを得ないですね」

「こういうのはさ、フィーリングなんだよ、ヤス。ティンと来たんだ」

「……もういいです。さっさと訊き出してください」


 水柿はその言葉に対し、肩をすくめる。


「いやそれが。どうも私の能力(ちから)が利かないみたいでさ」


 ヤス、と呼ばれた男性は、少し驚いたような表情を見せた。


「それは珍しいですね」

「だろ? なかなかいい心を持ってんだよ。だからさ――」

「だったら」ヤスと呼ばれた男性は水柿の言葉を遮り、続ける。「普通に訊き出してください。嘘を見抜くのは貴女の十八番でしょう」


 水柿は「わーったよ」と言うと、再び私の方を向く。


「悪いな響ちゃん。時間とらせちゃって。でも一つだけ訊かせてくれよ」シニカルに微笑む。「どーもキャラ被ってるっていうかさ、アレだけど。私も結構『嘘』を見破るのが得意なんだ」


 一陣の風が吹き抜ける。規則的に植えられた街路樹がざわめいた。


「顔の皮膚を見るとわかるんだ。汗とかでテカるだろ? その感じで見分けるんだ。――汗の味をなめればもっと確実にわかるかな」


 そこで一息いれると、彼女はゆっくりと言葉を発した。


「だから別に嘘をついても構わない。……まあ、素直に本当のことを言ってくれればそれに越したことはないんだけどな――」


 水柿京子はそう前置きして、私にたったひとつの『質問』をした。






「――〈歪んだ真珠(バロック)〉って言葉に、聞き覚えはないかい?」






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