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ヴァルプルギスの夜の夢  作者: 朽尾 明核
◆◇心中ルーレット ~アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト~◇◆
39/59

二章『睡眠時間』

 パジャマに着替えて自室に入る。


 まだ生乾きの髪をバスタオルで拭きながら、ベッドに倒れこんだ。体をできるだけ楽にしたかった。

 仰向けに寝そべり、携帯電話をいじりながら、息を吐き出す。


 ちらりと目線を横にやる。ベッドのわきには、明後日からのキャンプ用の荷造りが済んだ鞄が置いてある。衣類などをまとめた大きいものと、しおりや水筒、弁当を入れるためのデイバック。当然食料品の類はまだ入っていないが、それさえ用意すれば今すぐにでも出発できる。


 我ながら、子供らしいと思うのだが、こういう行事の事前準備は、かなり早く済ませてしまう癖があった。

 どれだけ楽しみなんだ、と自嘲の笑みをこぼす。


 しかしそうやって冷静になろうとしている自分とは別に、キャンプを待ちきれない自分というのも確かに存在していて。気を抜けば"くふふ"と顔がにやけてしまうのだ。


 心音や飛鳥、小鳥遊といった友人たちとどんな話をしようか。とか、いったいウォークラリーはどういった趣向のものになるのだろうかといった妄想が止まらず、身体がそわそわする。

 ベッドの上でごろごろと寝返りを打つ。


 もう寝よう。


 興奮してあまり眠れそうにないが、兎に角体の疲れだけでもとっておかないと。

 電気を消して、布団にもぐりこむ。


 そして思い出す、今日の司との会話。

 訪れる後悔。あのときは、こう返した方がよかったんじゃないか、とか――そういう類の。ああ言えばもっと彼は笑ってくれたんじゃないのかとか、寝る前に後悔したってどうしようもないのにつらつらと考えてしまう。特に今日は、司の家庭の事情に口をはさむような真似をしてしまった。ちょっと差し出がましすぎたんじゃないか?



 ……司はキャンプには参加できない。

 しかたないとしか言いようがないのだが、やっぱり少し残念だ。

 殺人鬼に襲われて、重症とはいえ怪我で済んだのは幸運なのだろうが、贅沢を言えば怪我ですらしてほしくなかった。――本当に贅沢な話だが。


 谷嶋原先生に殺された二人の被害者。

 二人目は、私達の学校の生徒だ。


 心音が話すには、美術部の後輩だったらしい。彼女は事件の日から、目に見えて落ち込んでいる。

 笑ったり、冗談を言ったり。傍目には普段通りに見えるのだが、ふとした瞬間に見せる表情だとか、放つ雰囲気が、明らかに暗くなった。


 先輩後輩という繋がりの心音でさえあの様子なのだから、もっと親しい人――友人だとか、恋人だとか、家族は――いったいどうなってしまっているのだろう。


 それは一人目の被害者である女性も同じだ。

 彼女にも親しい人は当然いるわけで。


 残された人からしてみれば、ある日突然、親しい人が自分の目の前から消えてしまうというのは、どれほど哀しいことなのだろう――。



 ……司は助かった。でも、彼の意識が戻らなかったあの数日間、私はいったい何を考えていたのだろう。

 よくは覚えていない。でも、とても、とても怖かった。


 過ぎてしまえばあまりにもあっという間で、それでいて永遠にも感じるほどの数日間。

 彼は戻ってきてくれた。


 でも。


 もし、あのままいなくなってしまったとしたら?


 寝返りを打つ。窓の外から雨の音がする。いつの間に降り出したのだろうか。


 ……司は知っている。

 身近な人間がいなくなる悲しみを。その絶望を。

 私は知らない。そんなものは知りたくない。


 それでも、ふと思う時がある。

 その感情を知らなければ、本当に彼の隣に立つことは不可能ではないのか?


 彼を理解したとはいえないのではないか?


 彼との距離は縮まらないのではないのか?


 私は本当に――彼の支えになれているのか?



 寝付けない夜は、布団の中で体を丸めるのが習慣だ。膝を抱えるようにして、頭からすっぽりと毛布をかぶる。そうするとゆりかごの中の赤ん坊のように深い眠りにつける。


 だから今、目を閉じていても開いていても、広がるのは真っ黒な世界だった。 








 帰りのホームルームが終わった。宿泊する部屋割、バスの席順、班、その他もろもろが決定し、いよいよキャンプの準備は完了といえるだろう。出発する時刻は朝の六時だから、間違っても寝坊はしないように注意しなくてはいけない。


 小鳥遊が昼休みに、司の見舞いに行こうと提案してきた。だけど『例の件』もあるし、明日は早いからと断った。


「日比野さん」


 帰路につこうと席を立った私に、クラスメイトの藤倉(ふじくら)が話しかけてきた。


「なんだ?」


 藤倉直紀(なおき)。班決めで同じF班になった男子生徒だ。

 身長は私より少し高いくらいで、男子の中では低めだろうか。無造作に伸ばされた髪の毛と、眠そうな半眼が印象深い。


「あのさ、今日一緒に帰らない?」


 ――思わず"なんで?"と口にしそうになって、さすがに失礼だと口を噤む。

 少し考えればわかる話だ。


 二年生になってしばらくたつが、クラスメイトと交流する機会はあまりなかった。親睦を深めるための交流キャンプだが、イベントを滞りなく進めるためには、あらかじめお互いのことをある程度知っておく必要があるだろう。だから、


「まあ、構わない」私は頷いた。

「本当に?」

「そんなことで嘘をついてどうするんだ? ……じゃあ帰ろうか。ちょっと待ってろ。心音と飛鳥を呼んでくる。藤倉も氷室と多賀(たが)を呼んできてくれ」

「えっ」

「えっ」



 結論から言うと、二人とも捕まらなかった。心音は委員会の仕事をしなくてはならず、飛鳥はキャンプ前日にも関わらず部活があるとのことだ。

 間の悪いというか、タイミングがなんというか。


「藤倉の方は?」

「そもそも連絡先も知らないよ……」藤倉はため息を吐く。「多賀君とだってあんまり話したことないし、氷室君なんかはほぼ初対面だもの」


 それは、それは。

 オレンジ色の太陽が、玄関を染め上げる。下駄箱も、傘立ても、橙色の絵の具を塗りたくられていた。


「じゃあ、さ」藤倉が口を開く。「二人で、帰らない?」


 彼の顔もオレンジ色に色づいていた。


「まあ、別に構わ――」


 言いかけて。


「――構うっ」

「……え」


 言い直した。思わず大きな声が出てしまった。

 藤倉は目を丸くしていた。自分でも驚いた。


「駄目、なの?」

「いや、えっと――」


 しどろもどろだ。当たり前だ。私自身、なんで拒絶したのかよく把握できていていない。

 でも兎に角、なんとなく二人で帰るのはまずいと思ったのだ。

 それは駄目。

 裏切りだ。


 ――裏切り?


 誰に対する?


「……っ」


 かあっ、と。顔が熱くなる。

 自分の顔が真っ赤になるのを感じてしまった。

 よかった、今が夕方で。橙色の太陽が、カモフラージュしてくれる、はずだ。


「日比野、さん?」

「ああ、その、明日の準備がまだ済んでなくて。ちょっと寄るところがあったのを、急に思い出した」

「寄るところ?」藤倉が首を傾げる。「買い物なら一緒に――」

「こらっ」私は彼の言葉を遮る。「全部言わせる気か?」


 まだピンときていないような藤倉に、私は畳み掛けることにした。


「いいか、男子が女子の買い物についていこうなんて言うのはな、デリカシーに欠けるぞ」

「デリ、カシー……」


 ようやく合点がいったのか、藤倉は急に慌てた様子を見せた。


「ああっそうか、ご、ゴメンねっ。じゃあ日比野さん、また明日」


 そう言うと、いそいそと靴を履いて去っていった。

 あとには顔を赤くした、私だけが残される。


「……嘘は言っていない。嘘は」


 遠ざかる藤倉の背中に、呟く。

 確かに私は明日の準備をひとつ忘れている。


 旅行には欠かせない必須アイテム――お菓子を。



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