一章 『その一秒スローモーション』
「交流キャンプ?」
五月中旬。
司の入院生活も、二週間目をむかえたところだ。
病院のベッドで、いつものようにゲームで対局中、ふと思い出したことをつぶやいた私に、司が訊き返してきた。
「そういえば、司にはまだ話してなかったよな」
「ああ、うん」司は曖昧に頷く。「でも、そういえばそんな説明を、年度初めに受けたような、受けてないような?」
『交流キャンプ』。
私たちの通う神原高校の伝統行事のひとつだ。
クラス替えの行われる二年次、新しいクラスメイト同士の友情を高めあうために、二泊三日で行われるお泊り会である。
県内の山へと出向き、ゴミ拾いのボランティアやオリエンテーリングを通じて、クラス内の親睦を深めようという狙いらしい。
「『事件』で少し延期にはなったがな、明後日から三日間、開催される」
司は少し顔をしかめた。
「なんっつーか、よく中止にならなかったよな」
「……それは、私もそう思う」
事件。
平穏なこの街を襲った、猟奇的な連続殺人事件だ。
件数自体は三件で、そのうち、最後の一件は未遂に終わったにもかかわらず、今や全国的な知名度を誇っているといえよう。
銃、というあまり日本では見られない凶器が使われたこと。
二件目の犯行の凶悪さが際立っていたこと。
そしてなにより――現役の高校教師が犯人だったことが、この事件のセンセーショナルさを高めているのだろう。事件から二週間たった今も、ワイドショーでは頻繁に扱われている。
なんというか、お祭り騒ぎに近いものがある。
私は、なんとなくそういった雰囲気が好きになれない。
コメンテイタ―が訳知り顔で銃の危険性を訴えていたり、教師のモラルがどうのこうのと語っていたりするのを見ると、もやもやとした嫌悪感が湧き上がる。
理由ははっきりとしないが、兎に角、好きになれないのだ。
犯人の教師、谷嶋原丈一郎は、私達のクラスの担任だった。
当然、その後は別の担任になったのだが、事件の波紋は大きく、転校していくクラスメイトが何人も出た。私たちのクラスで六人。学校全体では、二十人近い生徒たちが転校したらしい。
親の視点から見れば、その気持ちは理解できる。人殺しの教師のいた学校に子供を預けることが、不安にならないわけがない。教室も空席が目立つようになった。
二件目の事件の被害者は、この学校の生徒だった。
その生徒の葬式に出ようとした校長らが、被害者生徒の両親に泣きながら怒鳴られ、参列を断られたという話も聞いた。
それに、学校の雰囲気もどこか、暗くなってしまったように感じる。
そういった――どちらかといえば“当事者側”の私から見ると、テレビの中で騒ぎ立てられている内容が、酷く的外れで、どうでもいいことのように感じられる、のかもしれない。
被害者面をするわけではないのだが、それでも複雑な気分になってしまう。
「でもあれだ。俺は行けないんでしょ?」
「当たり前だ。また病院を抜け出すような真似は許さないからな」
目の前のベッドで横になっている――時田司も当事者のひとりだ。というか、直接の被害者である。
三件目。失敗に終わった最後の事件の被害者だ。
銃弾の当たり所が悪く、死にかけたにも関わらず、こいつはどこか飄々と、他人事のような口ぶりである。
「まあ、だから、ちょっとの間お見舞いに来れなくなるが、泣くなよ?」
私の言葉に、司がすねたような声を出す。
「いくらなんでも泣かねーよ。そこまで俺は寂しんボーイじゃないですし」
「死ぬなよ?」
「知ってるか日比野。兎が寂しいと死ぬって話。あれ、ガセらしいぞ」
病院で知り合いも増えたし、恵理香もいるしな。と、司は続けた。
「……恵理香ちゃんと言えば」私は司の顔を覗き込む。「小鳥遊には、話したのか?」
彼は目をそらす。
「まだ、だけど」
私はため息を吐いた。
「――別に絶対に話をしなければならないという訳ではないのだろうし、家族じゃない私が口を出していい問題じゃないけどな」
「違うよ」
意外にも、司は強く否定した。
「話をしなくちゃ駄目だ」
力強く、言い切る。
……まあ、心音も、明日香も、氷室もみんな知っていることだ。
小鳥遊だけが知らない状況というのは、まるで隠し事をしてるみたいで、あまり気持ちのいいことではない。私も、できることならば彼女にも知っていてほしかった。
もっとも、デリケートな話であるから、司の許可なくべらべらと喋ったりなんてしないが。
「そう、か。確かに、恵理香ちゃんは小鳥遊によく懐いているしな」
恵理香ちゃんは人見知りがとても激しい。『事故』の以前から知り合いだった私たちですら、一時期はまともに話ができなかったほどだ。
にも関わらず、なぜか小鳥遊には初対面からとてもよく絡んでいった。
どことなく似た雰囲気を持つ二人は、傍から見ると仲のいい姉妹にしか見えない。
いや別に嫉妬とかしてるわけではないのだが。
「なんか、傍から見てると姉妹みたいだよな、あの二人」
「…………」
「日比野さん、なんでそんな怖い顔してるんですか?」
「してない」
お前は何を言っているんだ。
「でも」私は司の目を見る。「そこまで決心してるんなら、早めに打ち明ければよかったじゃないか」
言うか言わないか迷っているならば、今まで話せなかったのも頷ける。
しかし、司は話す決心を固めていた。
だったら、変に引き延ばしたりせず、打ち明けてしまった方がいい。
小鳥遊とふたりきりになる時間が、なかったわけでもないのだろうし。
「うん、それはそうなんだけどさ」
煮え切らない口調。続きを促す。
「なんていうか、ほら、不幸自慢みたいになりそうで」
「不幸自慢?」
「うん。自分の身の上話だから、なんかさ、こう、構ってちゃんじゃないけど、"同情してください"って言ってるみたいにならないかなーって」
「馬鹿」
「馬鹿ですか」
そうだ、馬鹿だ。
司はいつも変なところで格好をつけたがる。
「そりゃ多分、同情はされるだろうな。ふたりの話を聞いて、可哀想だと思わないやつなんて、そうはいない。そして、司から距離を置いたり、腫物にさわるような扱いをしたり、あるいはお前のことを『不幸自慢人間』だと思ったりするやつもいるだろうな」
私は言葉をいったん区切る。
「でも、小鳥遊は――」そして、言い切る。「小鳥遊は、そんなやつじゃないだろう?」
その言葉に対し、司は虚を突かれたように目を丸くしたが、すぐにゆっくりと頷いた。
「さて――」私は大きく伸びをする。「もうひと勝負しようじゃないか」
司は私の言葉に、肩をすくめた。
「でも、猫宮が持ってきてくれた果物は、もう残ってないんだけど」
「ああ、そうか」
私が奪い尽くしてしまったんだっけ。八つ当たりをするにしても、いくらなんでも少し大人気がなかったかもしれない。
しかし、なんだ、その。
別に私にそういう趣味があるわけでは決してないのだが……。
確かに心音のお土産が美味しかったというのはあるのだが、――こう、司が悲しそうな顔をしていのを見ると……。
「日比野?」
「ん? ああ、なんでもない」
私は自分のなかの、物騒な考えを追い払う。
「じゃあ少し時間も早いが、今日はもう帰らせてもらうよ」
明後日からのキャンプの準備もしなければならない。
そう言ってから振り向いた私の視界が、ベッドのわきに置かれた紙袋を捕らえた。
「なあ司、それはなんだ?」
ちょっとした好奇心からの質問だった。
「ああ、氷室からのお見舞い」司は答える。「退屈だろうからってさ」
なるほど。よく見ればそれは藤河原書店の紙袋である。
しかし、氷室から、か。
なんというか、こう言っては失礼だが氷室にしては気がきいている。
退屈な入院性生活に、読書はうってつけだろう。しかも紀伊国屋などの大手のチェーン書店でなく、あえて駅前の古本屋である藤河原書店をチョイスするというのも、渋い。
普段の司との絡みや、氷室の幼馴染である飛鳥との漫才を見ていると、なんとなく違和感を覚える。
……ちょっと気がききすぎやしないか?
「司――」
「ん?」
「……」
「……」
いや、考えすぎ、か。
「それじゃ、また」
「ああ、またな。日比野」
私が小さく手を振ると、彼も微笑みながらゆったりと手を振り返してくれた。