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ヴァルプルギスの夜の夢  作者: 朽尾 明核
◆◇人生ゲーム ~おきのどくですが ぼうけんのしょは きえてしまいました~◇◆
35/59

エピローグ 『去人たち』


 ひゅぽぽぽぽ、と。


 小気味いい音を立てて、タピオカがストローに吸い込まれていく。ロイヤルミルクティにたっぷりと投入された粒粒のタピオカたちが、それを啜るものの咥内へと侵入した。

 口の中のタピオカを、もっちもっちと咀嚼しながら、一人の女性――ノナは窓の外の雑踏へと目を向ける。


 喫茶店の二階から見下ろす街中の景色が、彼女の光彩へと映り込んだ。

 彼女はかれこれ二時間も、こうしてぼんやりと過ごしている。

 くすんだベルの音が店内に響く。階段を登る足音。来店したその人物は、すぐに二階の窓際の席に腰かけるノナを探し当てた。


「ああ、いたいた」


 日本人離れした顔立ち。ノナと同じ金髪碧眼。病室で司と来夢に〈バロック〉についての説明をした、うみねこだった。

 気さくに挨拶をし、彼女の対面に座るうみねこ。ノナはそれを見ると、そうするのが当たり前、とでも言いたげに、席をひとつ移動した。


「おいおい、ひどいな」


 うみねこが顔をしかめる。


「そんな格好をしている人と、知り合いに間違えられたら困りますから」


 ノナはにっこりと微笑んで、自分の行為の正当性を訴えた。


「この一張羅が気に入らないと?」

「鏡をご覧になりましたか?」

「うーん、君の格好も、似たり寄ったりだと思うけど」

「これは『着物』といって、古式ゆかしいこの国の伝統着です。一緒にしないで下さい」


 うみねこの反論を、ノナは一蹴する。彼女は美意識が高く、此処数週間で様々な服を試したが、着物が――特に浴衣が気に入っていた。


「でもさ、TPOってものがあるだろう。浴衣は祭りの時だけにしか着る物じゃないのかと思うんだけど」

「貴方にだけは、言われたくない科白ですね」

「スーツは英国(イギリス)の英知の結晶だよ」


 お互いを牽制しあう二人。視線は交わり、火花でも散りそうな気配だ。どうやら両者には、己の服装について並々ならぬ拘りが存在しているようだった。その方向性は兎も角として、だが。


「それで――」いつまでも黙っていても仕方がないと判断したのか、ノナが口を開く。「要件は、なんですか?」

「ん、ああ」それに対しうみねこは、内緒話をする子供のような笑みを浮かべて答える「さっき医師(ドクター)から連絡が入ってさ、遂に『彼』の消息が掴めたらしくて、これから接触するらしいよ」


 しかし、それを聞いてもノナはピンとこないようだった。眉をひそめ、「『彼』って誰ですか」とうみねこに聞き返す。

 彼女が驚くと思ったのだろう、そんな肩透かしの反応を受けて、うみねこは些か拍子抜けしたようだった。


「知らないはずないだろう。あの最有力候補の――」

「ああ、思い出しました。確か〈バロック〉無しで"アニマ"を扱える人間、でしたっけ」


 説明を途中で遮られ、うみねこは露骨に顔を歪める。が、良く考えてみれば彼女は普段からマイペースなので、これくらいの無礼は無礼に入らないな、と気持ちを切り替えた。


「そう、百年に一度の逸材だ――ああ、羨ましいなぁ。僕は『彼』の担当になりたかったよ。本当に医師(ドクター)が羨ましい」


 恍惚とした表情で語るうみねこに向けて、ノナは怪訝そうな視線を向ける。


「そんなに良い物でしょうか。実験が始まれば被験者たちは全員〈バロック〉を手にするわけですし、そうなれば『彼』の特性も大した意味をなさないのではないですか」


 その疑問に対し、うみねこは気障ったらしく人差し指を左右に揺らす。


「解かってないなぁ。ロマンだよ、ロマン。格好いいじゃないか。〈バロック〉無しで操れるなら、そんな人間が〈バロック〉を使ったらどんな現象が起こるか、興味は尽きないよ」


 そんなうみねこの様子に、ノナは頭を降る。


「理解できませんね。その程度のアドバンテージ、この混沌(カオス)を象徴したような実験では、意味がありません」

「だからロマンだってば。僕が漫画家で、この実験を漫画化するなら、そんな隠された能力を持つ『彼』を主人公にするね。それに、『彼』は壊れ方だって決して悪くない。"アニマ"を操る力がなくても充分有力候補だよ」


 そんなことより、とうみねこは続ける。


「僕は君の方が理解できないよ、時田――司だっけ。会って来たけど、どうしようもない、凡夫じゃないか。平凡過ぎて、話になりゃしない。一体どうして君は、因果律を曲げてまで、彼に【ぼうけんのしょ】を渡したんだい」


 と、一人――メイド服を着た従業員が、うみねこの席にやってきた。

 うみねこは、紅茶を注文する。引き返そうとする従業員を、ノナが呼び止める。


「すみません。タピオカ入りミルクティのおかわりをもう一杯。よろしければ、タピオカの量をもう少し増やしていただけると嬉しいのですが」

「……わかりました」


 厨房へと戻っていく従業員。ほどなくして戻ってきた彼女の両手には、紅茶と――異様な飲み物が乗せられていた。


「なんだい、それは」

「タピオカ入りミルクティ。先ほどの注文、聞いていたでしょう?」


 なるほど、確かにそれはタピオカ入りミルクティである。

 しかし、異様なのはその量だ。タピオカの量である。


 尋常ではない。


 なんというか、多すぎるのだ。

 『タピオカ入りミルクティ』というより、『タピオカのミルクティ和え』とでも言った方がいいような飲み物になってしまっている。

 と、いうのもノナはかれこれ十杯目のおかわりをしたのだが――そのたびに「タピオカをもう少し」と注文したのが原因である。


「なんていうか、多すぎるだろう」

「そんなことありません」

「タピオカっていうか、名状しがたい生き物の卵みたいに見えるよ」

「そんなことありません」


 ひゅぽぽぽぽ、とタピオカがノナの口に吸い込まれていく。

 それだけの量があれば、もうストローではなくスプーンで食べた方が効率的なのではないかとうみねこは思った。


「それで――なんの話でしたっけ?」


 むっちむっちとタピオカを咀嚼しながら、ノナが問う。

 異様な光景にあっけにとられながらも、うみねこは口を開いた。


「ああ、そう。時田司だよ。なんで彼に因果律を曲げてまで、〈バロック〉を渡したのかってこと」

「――誰に渡すか、それは一応リストアップされてますが、最終的な決定権は私たちに一任されているでしょう」

「それは理由にはなってないよ。君が『あの時』に声をあげなければ、【ぼうけんのしょ】は予定通りの者に渡った筈なんだ。それを態々大声をだしたから、予定外に時田司がそれを阻止してしまった」


「幾らあらかじめ分かっていても、鞄をひったくられると吃驚するんですよ」

「――――えっ?」

 「そしたら彼が助けてくれた。名前を聞いたら時田司って言うじゃないですか。時を、司る、ですよ。これはもう運命としか言いようがないですよね。因果律なんてものを無視した、超絶的な出会いだった――。だから、私は【ぼうけんのしょ】を彼に託したんです」

「ちょっと」

「決して意図せず曲げてしまった因果律を修復するのが面倒臭かっただとか、そんな理由じゃありませんよ。あらかじめ言っておきますけど」


 ノナのその言い訳になっていない言い訳に、うみねこは頭を抱える。


「君、本当に面倒臭がりだね。ちょっと、時田司に同情するよ」

「面倒だからじゃありませんってば。それに結果オーライでしょう。【ヘルメスのナイフ】だけでは避けられなかった小鳥遊来夢の死を回避したのは、彼の力があったこそじゃないですか」

「そりゃ、人一人の生命に対する因果律を変えたのは、今の所彼ぐらいだけど、それで言わばライバルを助けちゃってちゃ意味が無いじゃないか。所有者の因果律を変えるのなら死から生では無く、生から死にすべきだ」

「一応、止めたのですけどね」


 ノナはその時のことを思い出したのか、くすりと笑った。


「それに、これが一番の理由だけど、時田司は全然『壊れていない』。人として、全くの健常人だ。その証拠に、怖気づいているのかタイムリープ回数が、これまで《時間逆行(リバース)》を扱ってきた所有者に対して、圧倒的に少ない」


 そこで一息入れると、少し間を置き、続ける。


「そんな人間が、生き残れるとは、とても思えない」


 彼の科白に対し、ノナは口許を斜めにして、反論する。


「それは分かりませんよ。異質な、人間として『壊れている』異常な者だらけの戦いなら、彼の『正常さ』は逆に『異質』になる。私だって適当に渡したわけではありません。そのくらいは考えてます」


 そこまで言うと、矛盾してますけど、と前置きをしてから、彼女は次の科白を口にした。



「それに、時田司は決して『健常人』では無い――。少なくとも、私はそう思います」








 満点の星空の下、目の前の死体に目を向ける。

 橋の下で男が死んでいた。当たり前だ。殺したのだから。


 酒のように、煙草のように、惰性で殺人を続けていた。


 居なくなっても誰も気にしないようなホームレスや、出会い系サイトで出会ったフリーターを狙って、殺していた。

 回数を重ねていくうちに、段々と手際が良くなっている。 

 今日も一人殺し、その死体の処理をこれからする所だった。

 最初の一回は街中でバラバラにして遊んでしまったため、処理に手間取ったが、もうそんな不手際は犯さない。

 解体するのは山の中に行ってからだ。


 視線を感じた。

 振り向くと、数メートル離れた場所に、男が、いた。

 三十台だろうか、ぼさぼさで長い髪形に、丸い眼鏡を掛けている。

 医者や学者が来ているような白衣をだらしなく羽織り、煙草を燻らしている。


「ああ、ゴメン、ゴメン。吃驚させちゃったかい」


 男は飄々と、そんな事を喋る。

 明らかに、殺人現場に偶然遭遇した人間の反応じゃ、無い。

 が、顔を見られた。

 それに得体が知れない。

 どうする。

 殺すか。

 男に向けて一歩足を踏み出すと、男は慌てたように両手を上げる。


「待て、待て。警察に通報したりするつもりは無いよ」


 その言葉を無視し、男の顔に目掛けて砂を蹴り上げる。

 反射的に、男は腕で顔を砂から守った。

 その一瞬の隙に間合いを詰め、ナイフを突き出す。


 しかし、ナイフは空を切る。

 避ける暇は無く、確実に刺さった、筈なのに。


 男は、消えていた。


「んー。過激だねぇ。まあ、いいよ。それでこそ君らしい」


 男の声が、上から聞こえる。

 目線を上に持っていく。


 男が、立っていた。

 ただし、『橋の下に』。


 まるで重力が逆に作用しているかのように、男の両足は橋の下の面にぴったりと貼り付いていたのだ。

 逆さに立っている事が、まるで何て事の無いように、そのまま男は話を続ける。



「そうだな、自己紹介をするか。僕の事は――、うん、医師(ドクター)と呼んでくれ。仲間内でも、それで通っている」


 あくまで淡々と、世間話をするように――。


「君に、【道具】を与えようと思う。人智を超えた、神の【道具】だ」


 そんな事を、言った。









 これを皮切りにして、か――。

 あるいはもうすでに始まってしまっていたのかもしれないが。



 少しずつ、少しずつ。



 時田司の日常は、

 非日常へと舞台は様相を変える。



 全体を見れば気が付かないくらいに僅かな変化にすぎない。


 しかし確実に、彼の人生は狂い始めていく。



 ここから始まるのは、そんな彼の物語。



 彼と彼女の、小さな恋の物語である。
















 "Life Game" is closed.

 TO BE CONTINUED...





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