終章 『陽だまりの詩』
うみねこが病室を去り、しばらくの間、俺と来夢ちゃんは黙ったままだった。何を言えば良いのか、解からない。
「……あの」来夢ちゃんが声を掛けて来る。「傷の具合は、大丈夫ですか」
「ああ、うん。通りすがりの無免許医のおかげで、なんとか」
看護士さんが教えてくれた情報をそのまま伝えてみるが、怪訝そうな顔をされた。それはそうだろう。まぁ、無事だというニュアンスは伝わったようで、「良かった」と言って安心してはくれたが。
彼女が話題を切り出す。「ひとつ、訊きたい事があるのですが」
「なんだい」
「何で谷嶋原先生が犯人だと判ったのですか?」
――それを、訊いてきますか。
来夢ちゃんには【ぼうけんのしょ】の説明と実演をしたから、別に時間が戻る以前の話をする事はやぶさかではないのだが、いかんせん谷嶋原が犯人だと気付く切っ掛けは、来夢ちゃんの死に起因している。
時間を戻した事は言ったが、俺は来夢ちゃんに彼女が殺された事を説明はしていない。誰しも自分が殺された話など、(それが例えifであろうと)聞いて気持ちの良いものではないだろうと思ったからだ。
答えあぐねている俺を見かねたのか、彼女が続ける。
「あの、もう、私が殺された事はうみねこから聞かされて、知っていますので、遠慮はしなくても大丈夫です」
あの野郎。デリカシーという言葉を知らないのか――うん、知らなさそうだったな。
「そっか」
「そうなんです」
まぁ、デリカシー云々は置いておいても、とてもじゃないが推理とはいえない代物だが。
しかし、考えてみれば彼女は何で俺がこの結論を出したのかという理由も聞かずに俺の策に乗ってくれたのだ。それは感謝すべき事だと思うし、同じことが俺にできたかと聞かれれば、多分無理だとすら思える。
そうすると、全部終わった後に説明する義務が、俺にはある。
「最初は、偶然だったんだ。君が殺された翌日、谷嶋原が朝のホームルームでね、『昨日、来夢ちゃんが買い物帰りに殺された』って報告してて」
俺は自分の拙い推論を、訥々と話し出す。
「別にそれだけじゃ何の意味も無いけど、その日の帰りに……偶然、刑事に出会ってね。――彼は、『来夢ちゃんの目撃証言はスタバが最後』みたいな事を漏らしたんだ」
つまり彼女が買い物帰りだという事は、彼女のスタバ以降の行動を見ない限り、知り得ない情報だった、という事になる。
更に現場には、衣類や荷物の類は一切無かったとも言っていた。
殺される前の証言が無く、殺された後には荷物が持ち去られていたのなら、『彼女の買い物袋』も現場には無かった筈だ。
――つまり、彼女を買い物帰りだと知っているのは、俺を除けば、彼女を殺した犯人その人だけ、という事になる。
――こう言うといかにも『犯人の自白』みたいだが、別にコレだけでは谷嶋原が犯人だという決定的な証拠にはならない。別に帰るときに偶然見かけただけかもしれないし、警察側が学校に報告する時に、そんな事を説明しただけかもしれない。(もっとも、アナトの中では俺が荷物を持っていたから、スタバの証言だけで警察が買い物帰りだと判断したかどうかは疑問だが、まあ、兎に角)
更に俺が違和感を感じたのは、来夢ちゃんがいじめられていた男子生徒を救った時。
護身術――いや、古武術だったか、を習っていて、喧嘩慣れしていた様子の彼女が、ああも簡単に(実際に簡単だったのかは不明だが)殺された事だ。
夜道、一人で歩いていれば、自然と警戒するものである。
十メートル後ろを人が歩いているだけでも、かなり緊張は、する。
にも関わらず、来夢ちゃんは殺された。
殺人事件が起きた後、――しかも彼女にしてみれば、自分に近しい人が殺された事件の後に警戒しないなんて有り得ない。
そして人並み外れた戦闘力を持つ彼女を、倒すのはかなり無理があるように思える。少なくとも俺じゃ絶対に倒せない自信がある。
正々堂々と襲っても、多分無理。
そうなると、彼女はおそらく『自分の意思で犯人を近づけてしまった』のでは。俺はそう考えた。
つまり彼女が近づけても安全だと思った人物。
顔見知り――だったのではないかと。
――この仮説も根拠は乏しい。確かに顔見知りなら警戒はしないかもしれないが、近づけるとも限らないし。実際犯人は【道具袋】なんてものを持っていたのだから、遠くから銃で狙撃したのかもしれない。
まあ、この二つの仮説かようら俺は谷嶋原が犯人だと断定したわけだが、無論これらは偶然で片付けられる範囲の出来事だ。
直後に言った通り、否定するのはとても、容易い。
他に答えが思いつかなかったから、唯一解だから俺は正解だと思い込んだ。ただそれだけの話かもしれなかった。犯人は別にいて、彼はなんの関係もなかった。そういう可能性が大部分だ。
しかし、だからと言って谷嶋原が犯人だという可能性も、0ではない。
よって、ほとんど博打に近い推論で、俺は来夢ちゃんに協力を要請した。
学校帰りに谷嶋原を誘き出すように。
勿論彼が上手く誘いに乗るとも限らない。むしろ毎日殺人を行うなんて、とても人間の神経だとは思えない。俺だって一日目で釣れるなんて考えなかった。本来は何日もかけて《セーブ》と《ロード》を使っていこうと思っていたのだ。
ただ、一度来夢ちゃんを殺したのだから、なんとなく彼女は谷嶋原の『理想』のプロトタイプなんじゃないか、そう思っただけの、正に行き当たりばったり、根拠も理論も飛躍した、改めて考えてみると馬鹿馬鹿しい事この上ない、七割以上が運否天賦の策だったのだ。
俺は説明を終えると、来夢ちゃんはは得心が行った、と言う様に頷いた。
「まあ、紙の様に薄い、策とも言えない様な策だったけど、結果的には谷嶋原が犯人で、捕まったわけだから、結果オーライって所かな」
そう言うと、彼女は怒ったように俺を責める。彼女が怒ったところをみるのはこれが初めてだな、と。ぼんやり思った。
「何が結果オーライですか。貴方はこんな大怪我して、あと少しで死んでいたかもしれないんですよ。そうなったら最悪の結果じゃないですか」
「――」
その時は、あらかじめ《セーブ》しておいたデータを《ロード》すれば――と言いかけて、口ごもった。
――どうせ、《ロード》すれば大丈夫?
そんな考え方を、俺はしたくなかったんじゃ、ないのか?
「もしかして、『谷嶋原が捕まれば、後はどうなっても良かった』なんて考えていませんよね。止めてください、そういうの。貴方が怪我をした話を聞いて、皆さん、とても、心配されていたんですから」
何も、言えない。
「とは言え、皆さん『貴方が谷嶋原先生に偶然襲われた』と思っているから、何も言いませんけど、そんな無茶な策の下、司君が怪我をしたなんて知ったら、何て言うでしょうね」
「怒られるね、間違いなく」
ただでさえ病院を抜け出すなんていう馬鹿をやっているのだ。
「そうですね、間違いなく」
うん、間違いない。
「……それはそうと、ゴメンね」俺は来夢ちゃんに謝罪をする。
「何がですか?」
「そんな策に乗せて、囮役なんてさせちゃって」
そう、どちらかといえばこの策は彼女のほうが危険なのだ。下手を打てば殺されていたのは、彼女も一緒だ。
「ああ、いえ、別にいいんですよ。私もアヤさんの仇をとる為に、時田君の策を利用した節がありますから。お礼を言いたいくらいです」
「でも、谷嶋原が犯人だとも不確定だったのに」
そう、どちらかといえば、犯人でなかった可能性の方が、遥かに大きかった。
「そこは、意外でしたけどね。司君、自信たっぷりに見えましたから。もう、犯人は彼しか有り得ない、と言わんばかりでした」
「まあ、それはブラフ(ハッタリ)だね。こう見えても、俺はブラフには自信があるんだ」
最近は日比野でさえたまに欺けるようになってきた。
それはあんまり褒められたものではありませんね。と、彼女は笑った。
やっぱり、彼女の笑顔は、相変わらず、見惚れる程に、魅力的だった。
「【ヘルメスのナイフ】――それが、私に与えられた、〈歪んだ真珠〉です」
来夢ちゃんは唐突に、そう切り出した。
「やっぱり、貴方には、知っておいて欲しいですから」
別に、そんな事を言わなくても、君を信頼している。――そうは言ったが、彼女は意に介さなかった。
「信頼関係を手に入れる為の、取引ではありません。ただ、私が教えたいから教えるだけです」
そういって自分の【ヘルメスのナイフ】について説明を続ける。
「簡単に言うと、『盗む』道具です、ね。《概念盗窃》という名前の通り――このナイフが刺さった場所、このナイフで切りつけた場所から、目に見えない『何か』を盗むことができます」
「目に見えない――何か」
彼女の言葉を繰り返す。
「そう、ですね。たとえば二週間前、私はこのナイフを先生の銃に刺し――『発射』という概念を盗みました」
彼女の手に取られた、ナイフ。銀でできているかのようだ。シンプルだが凝った装飾が彫られていて、実用的――というよりも、鑑賞を目的として作られたように見える。
「そして彼をこのナイフで斬りつけ、彼の『意識』を盗んだんです」
「……なるほど」
なんとなく、理解する。
「いや、二週間前はてっきり先生をやっちゃったのかと思ってたけど、そういう絡繰りだったんだ」
「そう思われたのも無理はありませんけど――」
そう言って、彼女は【ヘルメスのナイフ】を自分の手の甲に突き立てた。
「なっ――」
「このナイフ自体に殺傷力は一切ありません」
驚きの声をあげた俺に対し、来夢ちゃんはナイフの刺さった左手を掲げる。
確かに貫通しているのに、血は一滴も流れていない。痛がっている様子もない。
なんというか、高度なマジックを見せられている気分だ。
「んっ」無造作に、ナイフを抜き取る。
確認してみても、彼女の手には傷一つついていなかった。
すごいな、と感心しつつ――ふと疑問に思ったことを訊いてみた。
「そういえば、【ヘルメスのナイフ】って二本あったりするの? なんか、銃に刺した奴と、先生を斬ったやつと」
「いえ、それは違います」
彼女は自然な動作で、ナイフを投げる。数回転したのち、小気味いい音を立てて病室の壁に突き刺さった。
……傷はつかないとはいえ、すごいことをする。
「こうやって何かを盗むためにナイフが手元から離れていても、私が『リセット』を念じれば」
そう言って、彼女は右手も宙へ伸ばす。
――そこには、壁に刺さっているはずの【ヘルメスのナイフ】が握られていた。
慌てて壁に目をやる。さっきまで刺さっていたはずのナイフは影も形もなく、壁には傷すら残っていなった。
「いつでも手元に戻ってきます」
「……便利だね」
「ええ。ですがその時に盗んだ『概念』も返却されてしまいます」
と、いうことは。
「つまり――ひとつずつしか『盗め』ないってこと?」
彼女は首肯する。
なるほど。心の中でひとりごちる。しいていえば、それが【ヘルメスのナイフ】の『弱点』ってことになるのか。
「あの」
小さな声で来夢ちゃんが言った。
「何?」
「時間――戻さないんですか?」
彼女の質問を、頭の中で繰り返す。
「どういうこと?」
「とぼけないでください」
彼女の声が響く。
「この作戦を実行する前、あなたはデータを《セーブ》したはずです」
そうだ。彼女に説明し、【ぼうけんのしょ】で《セーブ》を行った。ちなみに説明した際――【ぼうけんのしょ】の名前を書く欄に俺と来夢ちゃん、両方の名前を書いてみたのだが――見事にふたりとも記憶を引き継ぐことができた。
だから、二週間前、作戦を実行する前に病室で――俺と来夢ちゃんの名前が書かれたデータを作成した。
作戦が失敗したり、谷嶋原が罠にかからずに、空振りに終わった場合にそなえて。
「それは失敗したときのためだろ? 作戦は成功したじゃないか」
「怪我」
来夢ちゃんが言う
「……」
「退院できるまでに四週間。完全に治るには、もっとかかるそうじゃないですか。そんな――そんな大怪我をしておきながら、なんで《ロード》をしなかったんです?」
彼女の目を見る。本気で心配してくれる気持ちが、伝わってきた。
だから、ごまかさずに、本心を言う事にした。
「俺は、――怖いんだ」
「怖い?」
「ああ。なんていうか、俺はこの【ぼうけんのしょ】が怖い。凄く、怖い。便利で、すごい便利で、でも、だからこそ、俺はこの道具に頼りきりになるのが怖いんだ」
「……」
「こまめにセーブして、ちょっと失敗したらロードしてやり直す。【ぼうけんのしょ】を使い続けたら、きっと、こんな人生になる。そんな風に、人生がゲームみたいな感覚になるのが――とても嫌なんだ。だから――」
「だから、怪我をしても――大怪我ですむぐらいなら、ロードしない、と?」
そう。俺は頷く。
確かに痛いし不便だけど。このぐらいの罰は甘んじて受け入れなければならないだろう。
峰子さんには悪いけど、でも――受け入れさせてほしい。そのぐらいしかできないのだから。
「……そう、ですか」
しばらくの沈黙の後、来夢ちゃんがぽつりと言った。
「でも――」彼女は続ける。
「……」
「……」
ところが、少し待っても続きの言葉が放たれることはなかった。
「……でも?」
「いえ、ごめんなさい」
謝られた。悲しいような、何かに耐えるような、来夢ちゃんの表情。
やめてほしかった。そんな顔をされたら、こちらまで悲しくなる。俺は、君にそういった表情を浮かべて欲しいんじゃ、ない。
そんなことを思う権利も資格もありはしないのに――自分でも驚くような図々しさで、俺は彼女から顔をそらした。
沈黙。
廊下から、誰かが歩く音や、子供が喋る音が聞こえてくる。そんな騒々しさから切り離されたように、病室の中は静かだった。
「時田君」
来夢ちゃんの声が、鼓膜を揺らす。彼女のほうに視線を向ける。黒曜石のような瞳と目があう。
じっと、見つめあう。時間が止まったかのように錯覚する。
「あの――」
彼女の唇が形をつくる。
「ありがとう、ございました」
彼女は、泣いていた。
二週間前――病室で俺を問い詰めたときと同じように。
でも、泣いているのに。
確かに、目から涙がこぼれているのに。
彼女の浮かべている表情は、まぎれもない笑顔だった。
不意に、病室のドアが勢いよく開けられる。
「やっほー司ー。新しい本を持ってきてやったぜー」
「馬鹿っ、病院内で大声を出すなっ」
「あのねー新しい担任は柏崎先生になったんだけどねー、新学期早々入院した時田くんの為にー、宿題を出してくれたよー」
「司、今日はメロンだっ、メロンを賭けて勝負をしよう」
「ちわーす。恵理香ちゃん宅急便でーす」
氷室、飛田、猫宮、日比野に峰子さんに恵理香。六人がわらわらとお見舞いにやってきてくれたのだ。
そして彼らは俺と、その傍らに腰かける来夢ちゃんに気が付いたようだ。
「あっ」
俺は慌てる。なんというか、これは、すごく誤解されるタイミングなんじゃ――。だって、今、来夢ちゃん泣いてるし――。
六人分の冷たい視線が、俺に突き刺さる。
「…………」
穏やかな昼下がり。病室に、形容しがたい静寂が訪れた。
だが、俺は慌てない。決して慌てない。
ここで慌てては墓穴を掘るようなものだ。
俺はゆっくりと、なんて事のないように切り出す。
「かっ、勘違いしないでくろ。来夢ちゃんは――――」
噛んだ。思いっきり噛んだ。
落ちくけ俺。落ちくけってなんだよ。頭の中なのに噛むなよ。
大丈夫だ、まだ大丈夫。リカバリーは充分可能だ。
落ち着け。落ち着くんだ時田司。考えろ、考えろ。この窮地を脱出する為の、最善の説明を考えるんだ。
考えろ。考えろマクガイバーっ……。
そこで、猫宮が何かに気付いたように、ボソッと、呟いた。
「いつの間に『来夢ちゃん』なんて呼ぶような仲に、なったのかな――」
それは普段なら聞き取れないような小さな呟きだったが、今、この病室ではとても良く響いた。