二十六章 『バロック』
二週間が、経った。
世間を震撼させた殺人犯が、実は地元の高校の教師だったという事実は、それなりにセンセーショナルだったようで、連日のワイドショーはほとんどと言っていいほどこの事件の顛末を報道している。
とはいえ、また別の大きな事件が起こったりすれば、いずれこのニュースも忘れ去れるのだろうが。
病院のベットに横たわりながら、俺はテレビのスイッチを消した。
谷嶋原の撃った弾丸は、俺の肩に結構深刻なダメージを与えたらしい。もう少しで右腕が動かなくなったとかならないとか、失った血液の量が多くて生死の境を彷徨ったとか、ふらりと立ち寄った無免許の天才外科医のおかげで完治しそうだ、とか。そんな嘘か真か判らないような説明を看護師さんから受けた。まぁ、流石に三つ目は嘘だと思うけど。
銃ってやっぱり大変な凶器だな、と撃たれてまじまじと思う。銃で撃たれるなんて、人生で初めての経験だったが、出来ればもう二度としたくない。
二週間のうちで、色々な人がお見舞いに来てくれた。
まずは氷室、猫宮、飛田。
氷室は「溜まってんだろっ」とか爽やかな笑顔を浮かべながらエロ本を土産に持ってきやがった。
内容は、うん、物凄い内容のプレイで、氷室は一体俺の事をどう思っているのか、小一時間ほど問い詰めたいレベルの凄まじさだった。しかし貰った物はしょうがないので、見舞いに持ってきた藤河原書店の袋に入れたまま、他のお見舞い品の中にカモフラージュして置いてある。――いや、別に気に入ったとかではなくて、折角だし、勿体無いからであって、決して俺の趣味に合った訳ではない。うん、断じてそう言う訳ではないのだ。
猫宮と飛田は二人で一緒に来た。俺が「日比野は一緒じゃないのか」と尋ねると、「そんな野暮な事はしないよー」と返された。どの辺りが野暮なのだろう、と不思議に思ったが、それは訊かなかった。猫宮の土産物はフルーツの盛り合わせだった。フルーツは俺一人ではとても食べきれない量で、メロンやらマスカットやら、やたら高級そうなものが盛り合わさっていた。ぐぬぬ、流石お嬢様。飛田は老舗の和菓子屋の羊羹。「煎茶は無いのかい」と若干ボケて訊いたら、「甘えるな」と素で返された。ちょっと落ち込んだ。
次に日比野。
彼女は俺の意識が戻るなり「馬鹿っ」と大きな声で叫び、病室を出て行った。まぁその様子から、心配させてしまったんだろうと思い、胸が痛んだ気もしたが、次の日から普通にお見舞いにやって来た。
意識が戻った時に傍にいた、という事は、当然意識が戻る前にずっと居た訳であって、普通、親族以外は面会謝絶だとは思うのだが、きっと峰子さんが気を使って、何か病院側を説得したのかもしれない。
そうなるとやっぱり相当日比野を心配させた事になり、かなり罪悪感らしきものが心に芽生えたのだが、翌日あまりにも普通に現れたから、拍子抜けしてしまった。一応謝ってはみたのだが、「別に何も謝ることは無いだろう」と逆に不思議そうな顔をされてしまった。ちなみに彼女は俺の家から《ガイスター》を持ってきて、毎日俺と猫宮のくれた果物を賭けて勝負をしていく。勿論俺の連戦連敗で、昨日は高級なマスカットを獲られた。俺の目の前でさぞ美味しそうにマスカットを頬張るのだ。ちょっと泣いた。やっぱり怒ってるのかもしれない。
峰子さんと恵理香も毎日来た。
彼女は仕事のシフトを昼の部に移してもらったとのことだ。朝に恵理香を俺に預けて、それから夜に彼女を迎えにくる、といった変則的な生活を続けている。最初は怒られるかとも思ったが、そんな事は無く、極めて普段と同じ様子だった。
最後に、来夢ちゃん。
彼女とは二週間前、谷嶋原との一件の夜から直接会っては居ない。ただ、看護士さんが俺に手紙だと言って、今日の日付――五月二日に見舞いに来るとの旨が書かれたメモを渡してくれた。
ドアをノックする音が病室に響く。
この病室は四人部屋だが、今は俺ひとりしか居ない。元々は二人しか居なかったのだが、もう一人は昨日退院していった。
続いてドアが開き、入ってきたのは来夢ちゃんと――白装束の男だった。
「こんにちは」
「ああ、うん。こんにちは」来夢ちゃんに挨拶を返すも、俺の目は後ろの男に釘付けだった。
金髪碧眼の美青年だ。いや、氷室が順調に成長し、結婚し、ハーフの子供をつくって、その子供が成長したら彼になるんじゃないかってくらいの美青年である。
まあ、それは兎も角。
俺の目が釘付けになったのは、その美貌のせいではない。いや、それも原因の一つなのだが。
……いくらなんでも、病院に白スーツを着てくるのはどうかと思う。
そう、白スーツ。白スーツなのだ。
「やぁ、はじめまして。僕の事は、『うみねこ』、とでも呼んでくれ」
気さくな物言いで自己紹介をする、うみねこと名乗る男。そのあまりにも病院に似つかわしくない――どこかの舞踏会にでも出席するんですかと本気で問いかけたくなるような――そんな衣装に呆然としたが――、
兎も角、名乗られたら名乗り返すのが礼儀だろう。
「えっと、俺は――」
「知ってるよ。時田司君だろう」
自己紹介を遮られて、先回りされた。ならば、
「その、格好は……?」
恐る恐る尋ねる。しかし、その男は当然のように、胸を張って断言した。
「ああ、素敵だろう?」
「……そうですね」
TPOさえわきまえていれば。
「司君はまぁ、薄々感づいているとは思うけど、僕は『天使』だ。君に【ぼうけんのしょ】を与えたノナちゃんの、同業者だと思ってもらって良い」
白いスーツを着た、うみねこと名乗る男。彼は仕切りなおすように、そう切り出した。
「ノナさんの、同業者」
そう言われれば、そう見えない事も無いかもしれない。
「そう。本当は君はノナちゃんから説明を受けるのが道理なんだけど――、彼女、面倒臭がり屋なところがあるから、どうせならって事で君達二人には、いっぺんに僕から説明する事になったんだ。本当はもっと早く来たかったんだけど、何分あまり他人に聞かれたくない話でね。今日まで待ってもらっていた訳だ」
成る程。俺が病室に一人になるタイミングを見計らっていたって事か。
「念には念を入れて、来夢ちゃんも今日までお見舞いは自粛して貰っていたんだ。大変だったんだよ、彼女、早く君のお見舞いに行きた――」
「うみねこ。下らない前置きはいいですから、さっさと説明をしてください」
うみねこの言葉を来夢ちゃんが遮る。彼は「ああ、ごめんごめん」と形だけの謝罪すると、説明を再開した。
「何から話そうか――そうだな、うん。まぁそんなに難しい話じゃないんだ。時田君、君の【ぼうけんのしょ】――あるいは来夢ちゃん、君の【ヘルメスのナイフ】みたいな道具が、この街には沢山ある。ただそれだけの事なんだ」
「人智を超えた神様の道具――僕らは〈歪んだ真珠〉と呼んでいる。それらの存在とその道具が持つ効果はもうそれぞれ君達は体験済みだから、いまさら言う必要は無いよね」
驚いた。彼が自分を天使だと名乗ったあたりで想像はついたとはいえ、まさか来夢ちゃんも俺と同じような【道具】――〈歪んだ真珠〉を持っていたとは思わなかった。
しかし、よく思い出してみれば谷嶋原を捕まえた日、俺は来夢ちゃんの前で【ぼうけんのしょ】をノナさんと同じように『実演』したのだが、その時彼女はさほど抵抗無く事実を受け入れていたように見えた。その時は、ただ単に俺よりもそういう事態に対処する能力が高いのかと思っていたが、既に〈歪んだ真珠〉を持っていたのもその一因になっていたのかもしれない。
「上位存在。まぁ神様みたいなモノが実験的に配布したっていうのも説明したと思うけど、まぁその実験の対象が君たち一人だけではなく、大勢で行われていた、っていう事なんだけどね」
成る程。『実験』ならばサンプルは多い方が良いのだろう。
「大勢って言うのは具体的には何人なんですか」
「六百六十六人」
……どうなのだろう。それが多いのか少ないのかは、ピンと来ない。神様が行った壮大な実験――にしては若干少ない気がするが。
「もっとも、もう一つはなくなったから、今は六百六十五だし、まだ配布していない〈歪んだ真珠〉もあるけど、ね」
うみねこが情報を捕捉する。
「自分の時のケースを思い出してもらうと解かり易いけど、僕達『天使』がそれぞれ一人ずつ、〈歪んだ真珠〉についてのチュートリアルみたいなのを行って、それから譲渡するから、少し時間が掛かるんだよ」
彼はそこで一つ溜息を吐く。
「それぞれの道具は異なった性質を持つから、全部違う効果を持ってる。例えば司君なら《時間逆行》だし、来夢ちゃんなら――ってこれは止めておこうか」
其処で意地悪そうな目線を来夢ちゃんに向ける。それに対して彼女は「構いません」とだけ返した。
「そう、じゃあ言うけど来夢ちゃんなら《概念盗窃》。それにあの教師、谷嶋原、だっけ、は《物品収集》だね」
彼の説明を聞いていると、なんというか、こう、背筋の辺りがむず痒くなってきた。中学校の頃ノートに描いていた、異能バトル漫画を見せ付けられている気分だ。
「あの、なんでいちいち四文字熟語に振り仮名なんですか」
「えっ、だって、なんか格好良いじゃん」
新事実発覚。天使は、厨二病だった。
「それにしても、あいつ何が『少年漫画じゃない』だよ。べらべらべらべら喋っちゃってさ、余裕で来夢ちゃんに不意を討たれて。冷静に迅速に、は戦闘の基本じゃないか。『謙虚にふるまってさっさととどめを刺せ』ってウェカピポも言ってたし。――もっとも今回は君に恐怖を与えるのが目的だったみたいだけど、そういうのは絶対に邪魔が入らない場所でしかやるべきじゃないね」
うみねこは二週間前の戦闘について独自の見解を述べる。全く持ってその通りなのだが、実行されていたら俺は生きてはいなかった。
「ちなみに彼の道具は【道具袋】って言ってね。RPGでよくある『てつのよろい99個とかどうやって持ってんだよっ』っていう突っ込み、アレをモチーフにしているんだ」
随分と庶民的なモチーフだな、とは言わないでおく。
「物体を体積、質量、その他諸々の条件を無視して『保存』できるって代物さ。本物の銃だって簡単に持ち歩けるし、九州のトンコツラーメンだってホカホカのまま保存して、この街で好きな時に食べる事だって出来る」
堂々と声高にパクった科白を吐くなっ――と、言いたい衝動をぐっと堪える。
だが、今の説明で納得する。彼がスーツから金属バットなんて無茶苦茶な物を取り出せたのは、そういう道具を彼が保持していたからだったのだ。
「解かり易くスタンドで例えるならエニグマって所かな」
「…………」
他にも四次元ポケットとか色々例えようがあるだろうに。
「なにか言いたいことがあるなら、はっきり言った方がいいよ」
「…………」
「僕が言うなって顔をしてるね」
「わかってるじゃないですか」
「あの」漫才を続ける俺らに、来夢ちゃんが声を掛ける。「説明を、続けてもらえませんか」
「そうだね、うん、ゴメンゴメン。で、ここからが重要。君達も気になってたみたいだけど、〈歪んだ真珠〉に設定されている『Level』についてだよ」
それは確かに気になっていた。
「あれは単純に、その〈歪んだ真珠〉の持つ性能のレベルだと考えてくれて良い。大きくなればなる程、〈歪んだ真珠〉は便利になる」
つまり、俺の【ぼうけんのしょ】もこれ以上のバージョンアップが出来る、という事なのだろうか。色々と制約の多い道具だとは思っていたが、レベルの上昇を鑑みられて能力を抑制されている部分もあるのかもしれない。
「レベルを上げる方法は、二つ。一つ目は他人の〈歪んだ真珠〉を破壊する事。先日の来夢ちゃんの例がこのケースだね。谷嶋原の【道具袋】を破壊したから、【ヘルメスのナイフ】のレベルが上がったって事」
うみねこは人差し指を立てて、一つ目の条件を説明する。来夢ちゃんの道具――俺はよく知らないけど、恐らくはあのナイフ――が谷嶋原を一閃した時に、壊れたのだろう。多分。
だけど、ちょっと待て。レベルを上げる条件が、他人の〈歪んだ真珠〉を破壊する事だとは、随分物騒だな――。
そして彼は、底意地の悪そうな笑みを浮かべ、中指を立てる。
「二つ目の条件。それは、〈歪んだ真珠〉を所有している人間――『所有者』を、殺す事」
一つ目の条件を物騒だとするなら、
二つ目の条件は凶悪だった。
「どちらのケースも、『所有者』の所有している道具全てのレベルが、1ずつ上昇する。後者のケースではそれに加え、殺した人間の持っていた〈歪んだ真珠〉も、自分の手に入るね」
しん、と。
病室全体の温度が、少し下がった気が、した。
恐らくは、錯覚だろうけど。
――殺す。
レベルを上げる為に、他者を、殺す。
うみねこは「んじゃ、これで」と言って、そのまま立ち上がる。
「ちょ、ちょっと、待ってくれ」
『もう説明は終わった』と言わんばかりのその態度に、俺は慌てる。
「どうしたの。説明は終わったと思ったんだけど」
「えっと、その」俺は当然の疑問を口にする「本当に、それだけなのか」
何を訊きたいのか、良く解からない、そんな質問だった。
にもかかわらず、
「――――ははぁ。解かるよ、言いたい事」
俺のその疑問。突然の事で驚き、全く言葉の足りていない質問を、うみねこは直ぐに理解する。多分、俺がこういった質問をする事を見越していたのだろう。
「疑ってるみたいだけど、これで終わり。他には何も無いよ。えっと、随分前の仮面ライダーであったみたいに、お互いに殺しあって、最後の一人の願い事が叶う、だとかそんな事は無い。あるいは最後の一人が魔界の王様になるとか、最後の一人に空白の才が与えられるとか、そんな事も一切無い。説明すべきシステムは、これで、終わり」
その言葉に俺は、少し安堵する。
レベルアップのための条件は悪意に満ちているが、それ以外にメリットがないのなら、積極的な――、
「でもね」
うみねこは続ける。
「殺し合うよ、君達は、確実に。最後の一人になるまで殺し合う」
俺の安心を奪う、言葉。
「なん――」
「何でも何も、そうした方がいいからさ。唯でさえ人間の範疇を超えた道具。それを高レベルまで鍛え上げ、更には複数個所持出来たら、それこそ大袈裟でも何でもなく、王様にでもなれるかもしれないじゃないか」
「そん――」
「そんな事は考えないってか。そりゃ君はそうだろうね、時田君。そうだろう、『特に君はそんな事を考えはしない』だろう。でもね、他人がそう考えないとは限らないだろう。六百六十六人も居れば、そんな奴等はごまんと出てくるさ。そうでない奴も、そんな状況になった時、『やられる前にやる』って疑心暗鬼の末の自己防衛をする」
「――」
「何もこれは推測で言っている訳じゃない、経験則さ。この『実験』は――実は過去に何度も繰り返されている。<歪んだ真珠>自体は時代と共に変化してきたけど、六百六十六というこの数と、《性質》は変わらずに、何度も、何度も、何度も何度も何度も繰り返されてきた。でもね、唯の一回だって殺し合いが起きなかった事は無い。いつの時代だって、〈歪んだ真珠〉を与えられた人間たちは、欲望と、疑心の末、殺し合って来た」
「――」
「現に君だってそうじゃないかな。君は隣に居る来夢ちゃんが、どんな〈歪んだ真珠〉を持っているかは正確に把握していないよね。彼女は君の【ぼうけんのしょ】をデモンストレーションまで受けて完璧に理解しているにも関わらず。そんな状態で、君は、『彼女が絶対に自分に危害を加えない』って、信用できるかな――」
「――出来る」
と、それまで立て板に水だったうみねこが、俺の返答を聞いて固まる。
固まって、暫くしたら震え出した。
どうやら、笑っているらしい。我慢できなかったのか、暫くすると声を出して、腹を抱えて笑い始めた。
「っははっ。なんだ、なんだ。あのノナちゃんが因果律を捻じ曲げてまで渡して、どんな人間かと思って来てみれば、甘いなんてレベルじゃない、危機管理がまるで出来ていないじゃないかっ」
突然の事態に、俺は何も言えなくなる。
「全く、こんな人間に入れ込むなんて、彼女を結構買い被りすぎていたかな。それとも、面倒臭がりが高じて、選定も適当にやったとか。有り得るな、本当に有り得るところが、笑えないよね」
ひとしきり笑い、収まってからうみねこは立ち上がる。
「まぁ、君がいつ殺されても別に構わないけど、『逃げ隠れてれば大丈夫』なんて甘い考えはやめる事だね。――所有者同士っていうのは、どういう理由か正体を知らなくても知らず知らずのうちに引き合うんだ。結婚する相手の事を『運命の赤い糸で結ばれている』とかいうだろ。そうな風にいつか、どこかで出会うんだよ。敵か、友人か。バスの中で足を踏ん付けるやつか、引っ越してきた隣の住人とか、それはわからないけどね――まぁ、僕のお勧めとしては、今のうちに【ぼうけんのしょ】を来夢ちゃんに渡しておくのが懸命だと思うよ。そうすればもうこの件には関わらずに済むし、来夢ちゃんが君を狙う理由も無くなるからね。――もっとも、〈歪んだ真珠〉の魔力に魅せられた今、素直には渡せないと思うけど」
最後まで饒舌に、堂々と漫画から引用した文を残し、彼は病室を出て行った。
俺はそれに突っ込むことも、声を掛ける事も出来なかった。
ただ、自分が何かとんでもない事に巻き込まれているのだという事を、理解し始めた――。




