幕間 『D4C』
失敗した。
俺は走っている。
人気のない夜の街、必死で足を動かしている。
いつ以来だろうか。こんなに全力疾走をしたのは。
手足が重い。肺が痛い。
息が荒い。人間の出すようなものとは思えない呼吸音が、規則的に喉から溢れ出す。
心臓の鼓動。靴がアスファルトを蹴る音。
目の前がちかちかと光る。
くそ。
これでも中学時代は、サッカー部のエースだったんだが。
三人目。
昨日の創作活動が終わり、俺は満足した。
いや、正確に言えば――吹っ切れた。自分の感情を押し殺すことをやめたのだ。
日本の警察は優秀と聞く。おそらく、数週間もたたないうちに俺はお縄につくことになるだろう。
だから、もう我慢なんてしないことにしたのだ。
自分が警察につかまる、その瞬間まで――一体でも多くの人形を創ろうと――そう心に誓った。
その、初日。
愚かにも近づいてきた少女がいた。
俺は、二人目と同じように油断させ近づき、防犯グッズであるスタンロッドによってそいつの意識を刈り取ろうとしたのだが――。
その寸前、逃げられた。
迂闊。
いったい、どこで気取られたのだろうか。怪しまれるようなそぶりは、一切見せなかったはずだ。
――いや、今はそんなこと、どうでもいい。
兎に角、あいつに追いつくこと。そして、徹底的に■して■して――たっぷりと楽しむこと。それが重要だ。
しかし、速い。
こっちは男。相手は女。基礎体力には結構な差があるはずだ。いくら運動不足だからといって、そこまで落ちぶれてはいないはずなのに、追いつけない。
むしろ、少しずつ離されているような気さえする。
まずい。
事件の影響か、人通りが少なくなり、夜に出歩くような輩が減ったことと、もとからこの道はあまり人通りのないことが幸いし、今のところこの鬼ごっこが第三者に目撃されてしまうような事態にはなっていないが――それも時間の問題だ。
どうすればいい。どうすれば――。
そのとき、目の前の少女が、路地裏へと足を進めた。
――占めた。
この場所は、見覚えがあった。
不自然に空きビル、廃ビルが多いこのエリアは、人形の展示場所候補としてリストアップしてある。
そして、俺の記憶が正しければ、この先は――行き止まりだ。
やっとだ。やっと。
唇が歪む。抑えきれない喜悦が、心を満たした。
まったく、余計な手間をかけさせやがって。
見てろ。
お前は、ただでは殺さない――生きたまま人形に加工してやる――。
俺は走るのをやめ――それでも早足で、路地裏の奥へと向かう。
そして、曲り角にさしかかり――、先ほどの疾走が足に来たのか――がくりと膝の力が抜け――無様に崩れ落ちた。
その拍子にスタンロッドが俺の手を離れ、からからと回転しながら、道路の上を転がっていった。
畜生――こんな何もない場所で転ぶとは――心の中で、そう悪態をつく。
しかし、転んだことは結果的には僥倖といえた。
なぜなら、俺が歩いていくその軌道上に――スタンガン、が存在していたのだから。
金属を連続で打ち鳴らすような音が響き、火花が散る。
もし転ばなかったなら、その一撃をもろに喰らっていてしまっただろう。
スタンガンを突き出したソイツは、驚いたような表情を浮かべていた。
俺に攻撃を躱されたことが、意外だったのかもしれない。
俺も、驚いていた。
いきなり反撃されたことももちろんだが、それ以前に――、
ソイツの顔に、見覚えがあったから。
驚きつつも、距離をとる。
「あー……えっと」
まさか外れるとは思わなかったのだろう。
ソイツは「失敗した」といった感じで、バツが悪そうに頭をかいた。
街灯が姿を照らし出す。
学校指定の白いセーターにスラックス。
細長い痩せぎすの体型。ガラス球を彷彿とさせるよな、感情のない瞳。
俺はソイツに見覚えが、あった。
「時田――司」
そう、今日学校を休んだはずの、生徒の姿だ。
時田はこちらを一瞥すると、ゆっくりと、言った。
「高校生に手を出したら犯罪ですよ、谷嶋原先生」