二十四章 『セントエルモの火』
「だ、」
口から、息の塊が放出される。言葉を発しようと思っても、意味のある音として出てこない。舌が口の中で絡まる。
「だれ、が――?」
やっとのことで、それだけを口にする。
日比野は左右に頭を振る。
「わからない。一年生、らしいということだけは聞いたが」
「……そう、か」
――よかった。
ほとんど、意識しないうちに、そんな科白を口にしてしまいそうになった。
慌てて、口を噤む。
なんだよ、それ。
"よかった"なんて、おかしいだろ。
だって、人が死んでるんだぞ?
それも多分、俺が『ロード』したことによって。
そんなの、俺が殺したようなもんじゃないか。――そりゃ、手を下したのは俺じゃない。でも、原因の一端は、握っている。
にも関わらず、"よかった"、って。
無意識に口にしそうになった言葉。
襲ってくる、激しい自己嫌悪。
逃げたい。だけどそんなわけにはいかない。
だって、俺は少なからず――安堵してしまったのだから。
殺されたのが、氷室でも、猫宮でも、飛騨でも――そして、なにより、来夢ちゃんではなかったことに。
自分の周囲の人間が殺されなかったことを、俺は、嬉しく思ってしまった。たとえ、ほかの誰かが犠牲になったとしても。
『ロード』する直前。ノナさんが俺に投げかけたことばがよみがえる。
――どうして、そんなに良い人間の振りをするのですか。
違う。
俺は否定する。
何を?
わからない。
でも、拒絶する。ノナさんの放った問いに、正面から向き合うことを。
理由はわからない。根拠もない。ただ、漠然とした不安だけがそこにある。
だって、そんなことを知ったら。
思ったら。
俺は――、
「司?」
日比野の声が聞こえる。
「大丈夫か? 顔色が悪いみたいだが」
彼女が、俺を心配そうにのぞきこんでいた。至近距離からの視線。不安そうな色に染まっている。
「いや――」瞳を見つめる。「大丈夫だ、問題ない」
返答を聞いた日比野は俺から離れると、ベッドの横にある椅子に腰かけた。
「無理はするな。頭を打ったんだからな」
「無理なんかしてない」
「どうだか」
「してないったら」
「医者も、気分が悪かったらすぐ言うようにって」
「だーかーらー、無理なんかしてないって。元気だよ、超元気」
力こぶをつくる動作をして、大丈夫アピールをする。それを見た日比野は腕を組み、呆れたようにため息をついた。
「馬鹿。意地をはるポイントを間違えているぞ」
「ぬ……」
たしなめられた俺は、力なく腕を下す。
「本当に」日比野は、俺のほうに身を乗り出す。「本当に、無理だけは、するな」
彼女の、ただひたすらに俺の身を案じるような瞳を見て、思わずたじろぐ。
「ごめん」
だから、正直に言うことにした。
「少し、気分がよくない。――でも怪我が原因ってわけじゃないから」
「そう、か」
それで、日比野はちょっと安心したように、息を吐き出した。
「――そうだ」
と、何かを思い出したように彼女は横手を打つ。
「小鳥遊に、礼を言っておけよ」
どうしてかと訊き返すと、日比野はその理由を説明してくれた。なんでも、昨日誰かに襲われて倒れていた俺を見つけて、救急車を呼んでくれたのが、来夢ちゃんらしいのだ。
「それは確かに、ちゃんとお礼をしておきたいな」
「ああ、そうしておけ。――ところで司、何か忘れ物でもしたのか?」
日比野の質問の意味が分からず、見つめ返す。
「忘れ物? どこに?」
「小鳥遊の家に」
「いや、とくに覚えはないけど……なんで?」
どうしてそんなことを訊くのだろう。
「うむ……その、小鳥遊がお前を見つけたってことはつまり、小鳥遊は送ってもらったお前の後を追っかけたってことになるわけだろう?」
まあ、そういうことだろう。
「だから、てっきり司が小鳥遊の家に忘れ物でもして――それを届けようとしたんじゃないかと思ったんだが」
「ああ――、なるほどね」
言われてみれば確かに。だとしたら、これも来夢ちゃんに確認をとったほうがいいかもしれない。
すると日比野が、ぽつりと漏らした。
「ついさっきまで、小鳥遊もここにいたんだがな」
「帰っちゃった?」
「いや、トイレだ。それに恵理香ちゃんが着いていった」
「へぇ」
「初対面なのに、すっごい仲良くなってる」
「それは――珍しいな」
極度の人見知りである恵理香にしては、ありえないといってもいいぐらいだ。
なにか、感じるものがあったのだろうか。
と、病室のドアがノックされる。がらりと開けられて、件の恵理香と来夢ちゃんが入ってきた。なんといいタイミ
ングだろう。
「 」
恵理香は俺の気が付いているのを見た途端、はじかれるように駆け寄ってきて、ベッドに飛び乗ってきた。「ぐぇ」と蛙の呻くような声が俺の腹から発せられる。そしてそのまま俺の腰に抱き着く。なんというか……感動の再開?
「目を、覚まされたんですね」
来夢ちゃんが微笑む。
「ああ、うん、おかげさまで」
不意打ちの微笑を見てしまった俺は、慌てて目をそらす。
「そういえば、日比野さん」
「なんだ」
「時田くんの叔母様が、彼の目が覚めたら連絡してくれと仰っていましたが」
「おっと、そうだな」
日比野は携帯電話を取り出し、電源を入れる。
「……圏外だ」
「最近の病院は、割合そういった措置をとるところが多いみたいですね」
「しかたない。確か談話スペースでは通じた、はずだな」
日比野はやれやれといった様子で立ち上がると、病室を出て行った。
俺をぎゅうっと抱きしめていた恵理香も、カルガモの雛ように日比野の後をついていった。感動の対面は終了したんですかそうですか。
必然、病室には俺と来夢ちゃんだけが残されることになる。
「えっと」俺は彼女に向き直った。「見つけて救急車を呼んでくれたんだって? ありがとう」
お礼を言ったのだが、彼女は少し、ばつが悪そうな表情を見せ、「……ええ」とつぶやくだけだった。
どうしたのだろう。
来夢ちゃんは口を開きかけて――考え直すように閉じた。
「どうしたの?」
「いえ、その……」
そういえば、来夢ちゃんの家から帰る時もこんなやりとりがあったな。
「何か、俺の顔についてる?」
「そういうわけではなくて……」
「言いたいことがあるなら、ズバッと言っちゃっていいよ」
それでも彼女は逡巡していたが、ややあって、踏ん切りをつけたのか、言葉を紡いでいく。
「あの、昨日のことなんですが――私を送っていただいたときのことです――覚えていらっしゃいますか」
「うん? まあ送ったことは覚えてるけど」
「そのときに、私、訊きましたよね。"どうして私を家まで送ってくれるのか"って」
そういえば、そんな質問をされた気もする。なんて答えたかは正直その後のイベントのインパクトが強すぎて、曖昧だが。
「その質問に時田さんは、こう答えました。"最近は物騒だから。連続殺人犯がいるから"と」
「――ああ、思い出した」
そういえば、そんなことを言った。まあ、おかしな理由でもないだろう。
「どうしてですか?」
「何が――?」彼女の質問の意味を図りかねて、訊き返そうとする。
そこで俺は、仰天し、言葉を失った。
視線の先。ベッドの傍らに立っている来夢ちゃんが、泣いて、いたから。
「ら、来夢ちゃんっ?」
思わず取り乱す俺。あまりにも突然すぎて、わけがわからない。
「しっ、質問に答えてくださいっ」
声を荒げる彼女。
ぽろぽろと涙が零れ落ちて、来夢ちゃんの制服を濡らす。
「だから、どういう意味で」
俺は意識してゆっくりと尋ね返す。俺の疑問に対し、彼女は質問を補足し始めた。
「あ、あなたは――」涙を袖でぬぐう。「あなたは、『連続殺人犯』がいると、言いました」
「う、うん」
どうしよう。どうしよう。
目の前で女の子に泣かれることなんて、ほとんど経験がないから、先ほどから焦りっぱなしだ。
「それは、おかしいんです」
「なんで――?」
と、反射的に訊き返した時点で、俺は自分の犯した重大な失敗に気付いた。
「ぁ――」
思わず声が漏れる。
「気付きましたか?」来夢ちゃんは、はらはらと涙をこぼしながら、それでもはっきりとした口調で、言葉を紡ぐ。「今日、二人目の死体が発見され、『連続殺人』が成り立ちました。ニュースでも警察は一連の事件は同一犯のものとみていると発表しています」
そうだ。なんてうかつなことを口走ってしまったんだ。
「時田君が私の質問に答えた昨日のあの時点では――まだ、『連続』殺人事件ではなかったんです」
そう――。
それが、俺の犯した失敗。
しかし、俺の主観時間でみれば、あの時点で既に連続殺人事件だったのだ。
なぜなら、二人目の被害者――来夢ちゃんが殺されたことを、知っていたから。
でも、俺が【ぼうけんのしょ】で《ロード》をし、時間を巻き戻したことで、彼女は生き返った。いわば、二件目の犯行は"なかったこと”になったのだ。
にも関わらず、俺は昨日彼女の質問に対し『連続殺人』という単語を使ってしまった。
無意識の内に。
それは――言い間違いという場合を除けば――二つの可能性が考えられる。いや、正確に言えば、『一回目』の記憶を引き継いでいない人間の視点からみれば――だが。
一つ目は、俺がまだ公になっていない死体を発見したケース。
二つ目は、他でもない俺自身が犯人であるというケースだ。
ほかにも、俺が犯人を庇いだてしているようなケースもあるかもしれないが、それは二つ目のケースに分類できる。言ってみれば犯人とつながりを持っているということだ。
そして一つ目のケースにしても、善良な一般市民が死体を発見し、警察に届けないというのは考えにくい。
どちらにしても――俺に後ろめたいことがある――という推測が成り立ってしまうのだ。
「あの、さ」俺は、質問をする。「もしかして、昨日――来夢ちゃん、玄関で何か言いたそうにしてたのって、このこと?」
彼女はこくんと頷いた。
そうだったのか。もしかしたら、家に寄っていくように勧めたのも、俺の発言を問いただすのが目的だったのかもしれない。
「ひ、一人目の――被害者の、あ、アヤさん、は――」
少し勢いが弱まったかと思った彼女の涙が、再び溢れ出す。
「わ、私の知り合いで――」
「そう、なんだ」
「優しい人で、すごく、よく、してもらったのに。だから、許せなくて、でも、本当に、いないのが信じられなく、て――」
すとん、と。足の力が抜けるようにして、彼女は椅子に崩れ落ちた。
「だから、どうしても、知りたくて。でも、時田くんは、と、友達だったから、わかんなくなって、――自分でも、何がなんだか――」
普段冷静で、ほとんど感情を表にあらわさない彼女が、ここまで激しく泣きじゃくる――その光景だけで、彼女にとって『アヤさん』が、どれだけ大きな存在だったのかが、容易に想像できた。
そう。俺にも、わかる。ほんの少しだけ。
二年前も、そして『一度目』四月十七日の時も。
昨日まで当たり前のようにそばにいてくれた人が、死んでしまった。
あの感覚。
悲しいとか、寂しいとか――もちろんそれらもあるけれど、それだけでは決して言い表せない喪失感。
その人がいなくなってしまったことを認めたくない自分と――その人がいなくなったのに、何も変わらず進んでいく世界との径庭。
アレを、俺は知っている。
だからといって、彼女の感情を完璧には理解することはできない。
どういうものかはわかっても、どれくらいのものかを知ることができるのは、結局のところ当人だけなのだから。
しかし、それにしても。
まさかそんな迂闊な発言から、こんな結果が導き出されるなんて思ってもみなかった。
失言の内容は、俺にしては、当然のことだった。
だから、本当に意識せず言ってしまったのだ、『連続』という単語を。
――え?
その瞬間、するりと。
頭の中にあった、靄のような――絹の布のような――触れそうでいて、掴めそうでいて――触れることも掴むこともできなかった『違和感』が急に形を帯びた。
もしかしたら、ひょっとして――。
いやでもまて、可能性は低い。
しかし、低いけど――どうだろう。
確かめるための計画が、頭の中で組み立てられていく。
成功する確率はいくらだ? ――自問。
限りなくゼロに近い。――自答。
……でも、今の俺には【ぼうけんのしょ】がある。
これを使えば、失敗した際のリスクはゼロに抑えられる。
だったら、やるべきではないだろうか?
俺一人ではできない。
彼女の――来夢ちゃんの協力が、必要だ。
まず、彼女を説得しなければならない。
どうやって? ――自問。
わからない。だが、これは、彼女にとって復讐になる。だったら、なんとか。――自答。
できるのか? ――自問。
わからない。でも、やる価値のあるギャンブルだ。――自答。
そうじゃない。この計画は、いわば俺のエゴだ。そのために、彼女を巻き込むのか? ――自問。
違う。犯人が捕まれば、多くの人が助かる。――自答。
本当に? ――自問。
心からそう思っているか? ――自問。
体のいい言い訳ではなく? ――自問。
――どうして、そんなに良い人間の振りをするのですか? ――他問。
じわりと。
銀紙を奥歯で噛んだ時のような言いようのない不快感を、押し殺す。
そして、頭の中で計画の詳細を組み立てながら――俺は来夢ちゃんに視線を向ける。
彼女は、泣き腫らした瞳でこちらをじっと見つめていた。
たとえ、犯人を見つけたとしても、証拠がなければ何もできない。そう思っていた。
でも、彼女の協力があれば、証拠を『作れる』かもしれない。
成功する確率は、とても低い。でも、警察の捜査をのんびりと待ってはいられない。そんな間に日比野が牙を向けられるかも知れない。それを防ぐために毎日毎日《セーブ》して殺人犯の影に怯え、知り合いが死ぬたびに《ロード》を繰り返す。そんな生活は真っ平御免だ。そもそも俺が殺されたら《ロード》するも何も無い。そこで終わりだ。
だから、終わりにしよう。
俺の日常を奪い、壊したこの事件に、幕を降ろそう。
俺は来夢ちゃんの目を、真摯に見つめ返す。
彼女の『アヤさん』に対する感情を利用するようで気が引けるが――兎に角。
「説明に、割り箸を使いたいんだけど、用意できるかな――」
そう、切り出した。