一章 『君と僕』
二者択一。確率は二分の一。それで俺は今回、勝利を奪うことが出来る。
「ところで――どうしてトランプは、スペードのAだけマークが大きくデザインされているのか知っているか」
俺の向かい側の席に座る女子高生――日比野響はそんなことを言いながら、二枚のカードを差し出してきた。彼女の顔には挑発的な笑みが浮かんでいる。
彼女の持っている二枚のカード。その内訳は、スペードのAと、ジョーカーだ。こちらに裏側を向けられているため、透視能力者でもない限り、どちらがどちらなのかはわからない。しかし俺は単純に、運否天賦でカードを選ぶような事はしない。これまでの八回のゲームで積み重ねてきた経験があるのだ。勝つ確率を少しでも高める何かがあるのならば、それを模索するべきだ。
「さあ」俺は首を横に振る。「見当もつかないな」
そうして日比野の眼を見る。彼女の瞳から自分に有利な情報を探し出すために。
……しかし、これは結構照れるな。
「そうか。じゃあ教えてやろう。その昔、イギリスではトランプの――スペードのAに税金をかけていてな。それにほどこす納税証明用の印として、偽造防止の意味を込めてデザインを複雑化させたんだ」
「へえ」
自慢げに雑学を披露する日比野。俺は彼女の言葉に、あえてそっけなく返す。このお喋りは、ただの雑談などでは、ない。日比野は、まず間違いなく、俺を誘導しようとしている。彼女の持つ二枚のカード。そのどちらかに。
「その名残で、今でもスペードのAはやけにこったデザインになっているそうだ」
「なるほど、な」
そう言いながら、日比野の視線は、先ほどから頻繁に、俺から見て右側のカードへと向けられている。単純に考えればそちらが今話題に挙げているスペードのAなのだろうが、いくらなんでもあからさますぎる。罠だ。
しかし、だからといって左側のカードがAなのかといえば、そうとも思えない。あそこまであからさまだと、逆にAを意図的に見ている可能性だって考えられる。
などと、裏だの、裏の裏だの、そのまた裏だの考えていたら、いつまでたっても堂々巡りで答えなど出ない。そして、それこそが日比野の狙いだろう。本来、このゲームの支配権は、カードを選択できるターンの、俺にあるはずだ。しかし、日比野は会話と視線により俺を縛り、ジョーカーを引かせるよう俺の思考を操作しようとしてきている。
その手には乗るか。――俺だ。俺から仕掛けるんだ。
「なあ日比野。さっきからやけに左側のカードばっかりみてる気がするんだが」
「そうか?」
「もしかして、そっちがババだったりするんじゃないか」
ブラフ。俺はいかにも「読めてます」的な空気をかもすことで、日比野に心理的なプレッシャーを与える。
「そう思うなら、逆を引いてみればいい」
しかし、彼女に動揺は見られない。口元を斜めにしたまま、「ほれ」とカードをこちらに差し出す。正直に言えばまるでわからないが、いったん表に出したハッタリを簡単に撤回するわけにはいかない。俺は特に悩む様子を見せないようにして、右側のカードへと手を伸ばす。
「まあ、親切心から忠告してやれば」俺がカードに触れるか触れないかのところで、日比野が声を発する。「そっちのカードはババだぞ、司」
その言葉を受け、俺の手が止まる。
俺はカードに向けていた視線を日比野に戻し、その瞳を再び覗き込む。そして、
「それは――」声を、ひねり出す「それは、嘘だ」
俺の宣言に、沈黙が場を支配する。相変わらず、日比野は何の反応も見せない。
「だったら、引いてみるがいいさ」
余裕綽々といったその表情。それが、俺の心に疑心を生む。だが、俺はそれを押し殺し、黙らせる。自分の直感を信じ、右側のカードへと指を伸ばす。五センチ、三センチ、と徐々に近づけていく。その間も、俺は日比野の眼を見つめ続ける。そこから少しでも情報を読み取ろうと。そしてはじき出される最終的な結論。直感。身体中に電撃でも走ったかのような直感が、俺に囁く。
――引け。カードを引け、と。
俺はそれに従い、カードに触れる指に力を込め、一気に引き抜――
「『店長一押しデビルズマウンテンパフェ』をお待ちのお客様」
そこに突如響く、場外からの声。慌ててそちらに目をやると、バケツのような容器に大量のアイスやフルーツを盛りつけた、規格外の大きさを誇るパフェ――を持ったウェイトレスのお姉さんが立っていた。日比野が軽く手を挙げると、お姉さんが彼女の目の前にパフェを置く。そして見事なまでの営業スマイルをその顔に貼り付けて「ごゆっくりどうぞ」というと店の奥にひっこんでいった。若干笑顔が引きつっている気がしたのは、ファミレスの片隅でババ抜きに興じている俺たちが原因なのか、あるいは胸焼けがしそうな、ネタとしか思えないデザートが原因なのか。俺としては後者だと思いたい。
「小休止だな」
日比野はそう言ってカードをテーブルに伏せると、"悪魔の山"の二つ名を持つそのパフェにスプーンを通し始めた。どうやらパフェを食べるまで、勝負は中断されるらしい。確かに、先ほどまでの張り詰めていた闘争の空気は、どこかに霧散してしまった。
周囲の喧騒が、集中を切ったことにより入ってくる。放課後のファミレスは、それなりに繁盛していた。部活帰りの集団や、女子大生のグループなどが思い思いにお茶を楽しんでいる。
対面の日比野は、チョコレートソースがふんだんにかけられた『店長一押しデビルズマウンテンパフェ』を、幸せそうな顔をして頬張っていた。まるで世界で一番幸福ですといわんばかりのその顔は、なんというか、とても――
「それにしても大きいな」
思わず俺はそんな感想を漏らした。同時に意識を日比野からパフェへと移す。無理矢理、というか苦し紛れにも近いつもりで言った言葉だが、決してそれが不自然にならないぐらいにパフェは大きかった。ゲームを始める前に注文したのに、大詰めになるまで登場しなかった理由も頷ける。甘いものが苦手な人間なら裸足で逃げ出したくなる。こんなものを一押しする店長の下では、正直言って働きたくは、ない。
「まずかったか」
その日比野の言葉が、値段の事をさしているのだと気づくのに、少々時間がかかった。確かにそれの値段は大きさに比べても遜色の無いほど高く、一高校生の財布にはキツイものだったが、
「リスクはお互い様だろ」
俺はそう答える。
――そう、支払いの可能性はトントンなのだ。ファミレスの会計を賭けたババ抜き勝負。高い商品を頼んだ日比野だが、俺に負けた場合は自分で支払わなくてはならない。事実、五本先取のルールで始まったこのゲームで、日比野は早々に四連敗し、俵に足がかかった状態になった。もっともそこから四連勝し、お互い後が無い状況にまでこぎつけたのだが。
「リスクはお互い様、ね。それは違うな」
日比野は俺の言葉を否定する。
「どう違うんだよ」
そういった俺の至極まっとうな反論に、日比野は口許を斜めにしながら、
「始まる前にも言ったが、このゲームは、私が必ず勝つ勝負だ」
そう、言い切った。
確かに。
俺の幼馴染である日比野響は超人的に賭け事に強い。――というよりも対人ゲームに関して、と言ったほうがいいかもしれない。
トランプやUNOなどのカードゲームはもとより、ボウリングやビリヤード、はたまた麻雀や丁半博打などで無類の強さを誇っている。俺は何度も日比野が戦っている姿を見ているが、負けたことは見たことが無い。超人的な読みが強さの秘訣なのか、あるいは絶対的な集中力が要因なのか、それともそんな事とは全然関係の無い他の何かが絡んでいるのか、素人目の俺には良くわからないが。兎に角、日比野は無茶苦茶に、鬼のように強いのだ。
が、それを無条件で肯定するほど俺も素直じゃない。
「自信たっぷりだが、お互い後が無い状況で、しかも次は俺が引く番だ。どう考えても日比野の方が不利だろ」
「わかっていないな。最初の四連敗は次の五連勝の為の布石だ。あの四連勝で君は自分の思考回路という情報を晒してしまったんだ。次に君は間違いなくババを引くよ――絶対に。そしてその次の私の番で君のハートのAを引く。それで終わりだ」
悠然とそう言葉を重ねた日比野は俺から再び目を切り、パフェに集中しはじめた。金色に染めたショートヘアーがさらさらと揺れる。
「それにしてもこのパフェは美味しい」
擬音をつけるなら"ハムハム"とか"ムクムク"とか、そういったものになるのではないか。木の実を頬袋につめる子リスのような様子でパフェを食べ続けている日比野がぽつりと漏らした。
「そうなのか。大きいから、てっきり大味かと思ったのに」
「いや、なんというかバナナとアイスと生クリームの配分が絶妙というか、砕いたナッツの香りがそれらのハーモニーを引き立てると言うか……ええい、一口食べてみろ」
料理漫画のような解説をしようとして志半ばで諦めた日比野は、スプーンにアイスやバナナ、生クリームにチョコソースを乗せると、こちらに差し出してきた。正直なところ、ほとんど作り方の決まっているパフェに美味い不味いがあるのかなど、懐疑的だった俺だが、その動作に動揺する。
ええっと、それは、いわゆる「あーん」という奴では無いでだろうか。
内心の動揺を必死で押し隠しつつ、俺は対応に慌てる。スプーンはテーブルの中央あたり、やや俺寄りで止まっていた。それは日比野が意図的に止めている訳ではなく、女性の中でも小柄な彼女が自然に腕を伸ばした結果、必然的にそこで停止するが故だった。
俺が少々身体を傾ければ直接口に入れることができる。だがしかし、若干とはいえ距離がある以上、俺も手を出してスプーンを受け取るほうが自然ではないだろうか。「あーん」とかバカップルぐらいしかしないですし、そんな事をしたら「なに勘違いしてんだコイツ」とか思われて引かれはしないだろうか。いや、しかし同一のスプーンを使っていることで間接キスは確定しているわけだし、そもそもそういった観念に日比野は無頓着な気がするし。
などと混乱気味な俺はつい臆病な部分が出て、左手でスプーンを受け取ってしまった。
「あ」
――ほんの少しの後悔の念が鎌首をもたげたが、それをおくびにも出さないようにして俺はパフェを口に運んだ。
「どうだ」
日比野が期待に満ちた目で此方を見上げる。――いや、だから、上目遣いは反則だ。正直俺は甘いものが得意ではないタイプの人間だし、普通のチョコレートパフェとの明確な相違点も挙げることはできないが、そんな顔をされたら、
「確かに、美味い、気がする」
――そう、嘘をつくしかないだろう。
俺からスプーンを受け取った日比野は、そうだろう、そうだろう、と言いながら再び笑顔でパフェを食べ始めた。
うむ、人間関係を円滑にする為の嘘は必要経費なのですよ。
「あれ?」
日比野は手を止める。
「どうした」
「そういえば、君は甘いものが苦手じゃなかったか」
「知っててやったんじゃないのか」
「お前は私をどんな人間だと……いや、それよりも嘘をついたな」
十秒弱でばれた。途中ではさんだ俺の冗句も効かず、日比野は俺を睨みつける。
「もう駄目だ。絶対に、手を抜いてやらない」
日比野はゆっくりと、そう宣言する。
放たれた低い声は、ファミレスの騒音の中でも、いやにはっきりと聞こえた。