二十章 『因果律のメルト』
「めっしだっ。めっしだっ。ひーるめーしだーっ」
昼休みになるなり氷室が謎の唄を歌いながらこちらにやって来た。普段俺以外の前ではクールキャラを貫いている癖に、昼休みになるとテンションが上がって馬脚を露すのだ。しかし何故か氷室の人気は落ちない。彼曰く、「時々地を出すのは、いわゆる一つの萌え要素として処理されてるから大丈夫」との事。畜生、イケメンは何をやっても許されるのか。
昼休みは席を自由に変える事が出来るので、俺達はいつも俺、氷室、日比野、猫宮、飛騨の五人でグループを作って食べている。
今日は俺の席の周りに集まる事にしたらしい。氷室が俺の席の前に陣取る。
「いやー。この時間の為だけに学校に来てるといっても過言ではありますまい」
そんな事をほざいている氷室。その隣に座る日比野。その前に座る猫恋に、その横、氷室の前に当たる席に腰掛ける飛田。
新しいクラスが出来て一週間も経てば、大きさは大小様々だが、大抵の生徒が似たようなグループで食事を摂っている。
ただ独りを除いて。
――小鳥遊、来夢。
俺はちらりと横目で彼女を確認する。俺たち五人やその他大勢は、思い思いに机を寄せ合っていたが、このクラスでただ一人、彼女だけはそこに交わっていなかった。
教室の端で、いつも通り文庫本を読みながら、パンを頬張っている。
腰のあたりまで伸ばした、つややかな、烏の濡羽色のロングヘア。
それとは対象的に、雪のように白い肌。
ほんの少し釣り目気味な切れ長の瞳。
すっと通った鼻梁。
その下の朝露に濡れているような唇。
彼女が生きている事に、心から安堵した。何度も時を戻しているので、いまさら【ぼうけんのしょ】の性能を疑っているわけではないが――それでも懸念がなかったわけでは、ない。
「小鳥遊さん」
『一回目』と同じように声を掛ける。
小鳥遊さんが顔をこちらに向ける。
「一緒に、ご飯、食べませんか」
思わず敬語になってしまった。
彼女が、目を見開いた。
そのまま静止する。
俺も思わず、固まる。
氷室や日比野、猫恋に飛田が驚いた様子でこちらを見つめる。
暫くそのままだったが、やがて小鳥遊さんが口を開いた。
「本気、ですか」
「本気です」
即答する俺。
彼女は俺を睨むように見つめる。俺も負けじと見つめ返す。ここで目を逸らしたら、多分、食事に加わってくれなさそうな気がしたから。
そして、ここで食事に加わってくれなかったら、彼女がアナトで俺と出会ったとき、スタバに誘ってくれなくなるかもしれないから。
――まるで恋愛ゲームのフラグじゃ、ないか。
心の中で、そう自嘲する。
もう一度、そのまま場が膠着しそうになったが、彼女が根負けしたのだろう。
机を、寄せてくれた。
食事風景は和気藹々としていた。
日比野や猫恋、飛田はまるで以前からの親友のように、話題を小鳥遊さんに振っていたし、氷室も俺に小声で「グッジョブ」というと、積極的にその会話に参加していたからだ。
ただ、なんだろう。周囲から妙に見られている気がする。
が、それも無理のない話かもしれない。
学年でもトップクラスの美少女四人と、それにひけを取らないイケメン一人だ。まるでギャルゲーの光景ではないか。
あれ、でも待てよ。そうすると俺のポジションは、主人公(氷室)の親友になってしまう。
脇役だ。完全に脇役だ。
と、いう事は。俺は氷室に訊かれたら、彼女たちの好感度とかを報告しないといけないのかよ。
「同じ事何回も繰り返して考えるのは、ちょっと馬鹿らしい、かな」
「どうしたんだ、司」
俺の独り言を聞き取ったのか、話しかけてくる氷室。ちなみに小鳥遊さんが居るからか、今の彼は『爽やかモード』だ。
「別に何でもない。ただの独り言だ」
俺はご飯をかっ込んだ。うん、美味い。
その後は連絡にあった通り、六限目まで授業を行った後、下校する事となった。
部活は中止との事だったので、いつもよりも混雑している通学路を、日比野と共に歩く。
「凄い人の多さだな」
隣を歩く日比野が、感嘆の声を漏らした。
「結構な人数の生徒がいるって事だ。『数クラス毎に帰宅時間帯をずらす』とかにすれば良かったのにな」
学校の前の歩道は生徒たちで溢れていた。ちらほらと生徒以外の人も居るが、まあ、とてもじゃないが前には進めないだろう。これは、明日あたり学校側に苦情が来るのではないだろうか。
「つ、つかさっ」
日比野の叫び声が耳に入る。振り返ると、俺に手を握られている彼女が目に入る。
「ん、ああ。ゴメン。逸れそうだったから、つい」
俺は手を離し、彼女に謝罪する。前回人波に呑まれていたのを思い出し、反射的に彼女の手を握ってしまっていたのだ。
「――――っ」
「ん。どうした日比野」
彼女は少し立ち止まる。すると何を思ったか今度は彼女のほうから俺の手を取り、前を歩き出した。
「おい、日比野っ」
「なんだ。司が迷子になったら探すのが面倒だからな。仕方ないだろう」
俺の抗議も無視して、日比野は前を進む。
彼女に手を引かれる、俺。
今朝、図書室で猫恋に聞いた話を思い出す。
蕪木長門の提供した情報に感じた、違和感。
――例えば、あくまで例えばの話だが、俺の推察がどんぴしゃりと正解だったとして、
彼をどうやって警察に突き出せるのか、証拠をどうやって集めればいいのか、まだ、分からない。
それに、やっぱり俺の考えだって穴だらけで、別に『偶然』の一言で片付けられる話だった。
根底が、弱い。
だけど、戦わなければならない。
小鳥遊さんを今日助けられたとしても、明日や明後日まで護り切れるとは限らないし。
犯人のターゲットが日比野になる可能性だって決して低くは無いのだ。
日比野の、手のぬくもりを感じる。
彼女に手を引かれ、生徒でごった返す歩道を歩きながら、俺は自分の考えを再び整理し始めた。
大型ショッピングモール《アナト》。生鮮食料品売り場を後にした俺は、内部にあるスタバでキャラメルマキアートを啜る。席の向かいでは小鳥遊さんがコーヒーを飲んでいた。彼女に「話がありますので、このあとお茶をしませんか」と誘われてこの状況に至る訳だが、彼女はこの店に入ってから、一切口を開こうとしなかった。
前回と同じようにアナトに行き、同じように卵を三パック確保し、同じタイミングで、同じレジに並び、同じ時間帯にスルーされた結果、小鳥遊さんに出会え、卵を渡す事が出来たのだ。
そして、今に至る。
俺は意識的に前回の行動を極力なぞるように行動してきた。彼女に送迎を断られるタイミング――生と死の運命をつかさどる分岐点まで、極力イレギュラーな事態は、おこしたくないからだ。
……とすると、まず切り出すべきは、確か――、
「小鳥遊さん」
「はい、何でしょう」
「十回クイズって知ってますか」
「十回クイズ、ですか」
「はい、有名な所だと『ピザって十回言って』と相手に『ピザ』という単語を十回繰り返させ、その後『ここは』と自分の膝を指差し、相手に思わず『ピザ』と言わせる、引っ掛けクイズの一種です」
「ああ、その事ですね。もちろん、知っていますよ」
なんと言うか話題の振り方とか、内容とかが、物凄く野暮ったい感じがするが、気にしない。
「では、『舌』と十回言って下さい」
「わかりました。舌、舌、舌、舌、舌。した、した、した、した、した」
「サンタが乗っているのは、なんでしょう」
「引っ掛かりません。トナカイです」
「ソリですよ」
「――――っ」
顔を少し赤くして小鳥遊さんが黙り込む。表情は読みづらいが、多分悔しがってるのだろう。
「ところで、何故、あんな事をしたのですか」
彼女が真剣な表情で俺に尋ねる。
――来た。
「それはですね。『お一人様二パック限り』だったのに、俺は三パックも取っちゃって」
「違います。卵の事は、感謝しています。そうではなく、昼休みの事です」
「……迷惑、でしたか」
「いいえ。正直に言うと、――少し、嬉しかったです。ですが、貴方にとって、私を食事に誘う事に、どのようなメリットがあったのですか」
「小鳥遊さんが、加わる事でしょうか」
「手段と目的が混合してますよ。そのような科白では、誤魔化されません」
同じ会話を、繰り返す。
きっと、この質問に対する答えは、重要だから。
「あのですね。小鳥遊さん」俺は一つ、深呼吸をしてから、彼女に返答する。
「はい」
「俺はね、特に明確な理由があって、声を掛けた訳じゃないんですよ」
こちらを見つめる、彼女。やっぱり表情には、ほとんど変化が無くて。
「本当に、君と、昼ごはんが食べられたらいいなぁ、って。そう、思ったんです」
だけど変化が全く無い訳じゃない。
「信じてもらえるかどうかはわからないけど、本当です」
我ながら陳腐な言葉だが、気持ちを、言葉に乗せる。
「そうですか」
相変わらず、無表情のまま、答える彼女。
彼女はふっと溜息を吐き、それから、言った。
「時田君」
「はい」
「さっきの『少し嬉しかった』って言葉。あれは嘘じゃありませんから。念の為、言っておきますけど」
それからは、友人のように他愛も無い事を話し合った。相変わらず彼女は無表情で、楽しいのかそうで無いのかはさっぱり判らなかったけど。
「もう、こんな時間か」
俺は時計を確認して、言う。もう七時になろうかという時間帯だった。なんだかんだで一時間以上も話していた計算になる。
「すみません。付き合ってもらってしまって」
「いえ、大丈夫ですよ」
お互いに荷物を持ち、帰り支度をする。
と、春になって陽が伸びたとは言え、もう外は暗くなっていた。
「送っていきましょうか」
そう、提案する。
「結構です。ちょっと歩きますし。卵、早く冷蔵庫に入れないと、痛みますよ」
――ここだ。ここが分岐点だ。
ここで、彼女を送り届けなければ、死ぬ。
だから、運命を、変えなければならない。
ノナさんになんと言われようと、彼女を助けたいと思うこの気持ちに、偽りは、無い。
「そうだ、時田君」
「はい」
「『小野小町』って十回言ってください」
「小野小町、小野小町、小野小町、小野小町、小野小町。おののこまち、おののこまち、オノノコマチ、小野小町、オノノコマチっ」
「日本で最初の遣唐使は誰でしょう」
「――犬上御田鍬」
「……え?」
俺の解答に驚いた様子をみせる小鳥遊さん。
呆然としている彼女の荷物を、俺は空いて居る右手で奪う。
「あっ」
「じゃあクイズに勝った事ですし、送っていきますね」
別にクイズと送迎には、なんの因果関係もないのだけれど。
「……分かりました。では、お願いします」
小鳥遊さんは不承不承といった様子で、頷いた。
「……訊いても、いいですか」
商店街通りを抜け、少し人通りが無くなったあたりで、隣にいる小鳥遊さんが、問い掛けてきた。
「はぁ、何でしょう」
「その前に、敬語は止めてください。他人行儀です」
俺の言葉遣いが注意される。彼女自身は敬語なのに、俺に止めろとは――何というか、何だろう。
「私は、良いんです。これがデフォルトですから」
また思考が読まれた。まだあまり時間を過ごしていない彼女にまで筒抜けとなると――どうやら本当に、俺の考えは読み易いという事になるのかもしれない。
「えっと、……おっけー、分かった。それで、訊きたいことって、何かな」
早々とタメ口モードに切り替えて、彼女の質問の続きを促す事にする。
と、彼女はこちらに向き直り、俺の目を真っ直ぐ見て、言う。
「どうして、送って、くれるのですか」
また、だ。
昼食誘った理由を問うた時と同じ、目。
純粋に、本当に、何故か分からない、そんな瞳。
なんとなく、彼女が抱える暗い部分が、見えたような気がした。
しかし、そこは、俺が触れていい場所じゃ無い、と思う。
少なくとも、今は、まだ。
だから、
「そりゃ、最近は物騒だからだよ。連続殺人犯がいるから、ね」
俺は適当に誤魔化す事にした。
そんな俺の返答に対し、少し眉を顰め、彼女は何かを言おうとする。
「――あの、」
「あがぁぁぁぁぁぁぁあっ」