十八章 『Burn My Dread』
自室の扉を開けると、そこには意外な人物がいた。
「――ノナ、さん」
「おかえりなさい。司さん、お邪魔しています」
俺に【ぼうけんのしょ】を与えた、その人――いや、天使、か――が、ベットに座り、振り子みたいに両足を揺らす光景が目に入る。
今日は黒い浴衣を着ており、結い上げた髪に簪を挿している。金髪碧眼の彼女には本来似合わない筈のその姿は、なぜか奇妙なマッチングを魅せており、ただ腰掛けているだけなのに、窓から差し込む夕日との相乗効果で、とても、人間とは思えない、幻想的な美しさをまとっていた。
「どうしたんですか」
「――救う気なんでしょう。小鳥遊、来夢を」
俺の質問には答えず、俺の方を見る事すらなく、退屈気に窓の外を眺めながら、断定するような口調で彼女はそう、告げた。
そこで俺は机の上に、【ぼうけんのしょ】が出ている事に気付く。
中を、見たのだろうか。
そんな考えが一瞬頭を過ぎるが、そもそも彼女はこの世界の法則を無視した存在なのだ。もっと超常的な手段で知っていたとしても、別になんら不思議は、ない。
――そう、【ぼうけんのしょ】には、『四月十六日の朝』の時点でのセーブデータが、存在している。
朝食の時、妙な胸騒ぎを覚えたため、学校に行く前に《セーブ》しておいたのだ。
と、いう事は当然、そのデータを《ロード》すれば、彼女は、生き返る。
――生き返る、はずだ。
「はい。四月十六日の朝に戻って、彼女を、小鳥遊さんを、助けます」
俺は、そう、宣言した。
「そうですか」
ノナさんは平然としている。まるで、そうであるのが当然のように。――いや、俺がそう答えるであろうことを予想していたように。
「でも」彼女は今まで窓の外へ向けていた視線で俺を貫き、言った。
「一応、忠告しておきますけど、止めておいた方が、いいですよ」
禁忌。
過去を変える事。
日比野との勝負で、俺が怖気づいた理由。
今度はあの時とは違う。
絶対に戻らなくてはならない。
しかし、よく考えてみれば。
ゲームの勝敗を変えるより、
人間の生死を変えるほうが、より、禁じられるのでは、ないか。
「――やっぱり」俺は、辛うじて声を出す。「やっぱり、禁じられているの、ですか。過去を、変える、事は」
俺のその言葉を聞き、ノナさんは軽く驚いた表情を見せた後、相好を崩した。
「いえ、そのような事はありませんよ。貴方が【ぼうけんのしょ】を使い、何をしようと自由です。株の動きを覚え、巨万の富を得ようとも、第三次世界大戦を止めようと、なんらペナルティはありませんよ」
そう言ってノナさんは、至極もっともな論理を、語る。
「第一、過去を変えられないのなら、そのような《時間逆行》にどのような意味があるのですか」
その通りだった。過去を変えられないのならば、戻る意味などまるで無い。
全く持ってその通りだ。
でも、
だったら、
何故、
「どうして、彼女を――――」
「貴方が小鳥遊さんを助けるのを止める理由は、今はお話出来ません」
言いかけた俺の科白を遮るノナさん。
「今は、まだ」
ゆっくりと、言い聞かせるようにそう呟く。
「ですが、確実に、貴方にとっては、小鳥遊来夢を助けない人生のほうが、幸福です」
「なん――――」
「逆に訊きますが、何故貴方は小鳥遊来夢を助けなければならないのですか」
再び、俺の言葉に被せ、質問をしてくる。
彼女を、助けなければならない、理由。
そんなの、
「友達だからに、決まってるじゃないですか」
そうだ。それ以外に、一体どんな理由が必要だというのだ。
しかし、俺の返答を聞いた彼女は、くつくつと、本当に、可笑しそうに、笑った。
「ぷっはははははははははっ」
暫くすると、耐え切れなくなったのか、声をだして大笑いし始める。
腹を押さえ、本当に苦しそうに。まるで傑作の喜劇を視たかのように――可笑しくてたまらない、といった様子で。
まさか、このような反応が返ってくるとは思わず、俺はその場で立ち尽くした。
「ねぇ、司さん」
やがて彼女は腹を抱えながら、俺に、問いかけた。
「どうして、そんなに良い人間の振りをするのですか」
――――トクン、と。
心臓が一つ、鐘を打つ。
「ねぇ、司さん。何で帰ってくるのが、こんなに遅くなったんですか」
「……」
「いえ、大丈夫です。聞かなくても解かります。大変でしたね。車にぶつかったり、錯乱して日比野さんに窘められたり」
「……」
「でも、何であんなに慌ててしまったんですか」
「……」
「いえ、大丈夫です。聞かなくても判ります。小鳥遊さんが、自分のせいで死んでしまったと、思ったからですよね」
「……」
「でも、【ぼうけんのしょ】があるのに、あんなに慌てるのは、ちょっとおかしい気がするんですよ」
「……」
「慌てても、――いや、本当に慌てていたのだとしたら、まっさきに自分の部屋に来るべきですよね。アナトに行くのではなく」
「……」
「忘れた、何て事はないでしょう。あんなものが手中にあったら、貴方の頭の中の何割かは常にそれを思い浮かべてますし」
「……」
「ましてデータを《セーブ》していたならば、人間、いつ《ロード》しようかと、それだけを考えるようになるんですよ」
「……」
「ねぇ、司さん。どうしてわざわざアナトに行ったんですか」
「……」
「日比野さんを――――、いえ、自分すらも騙して」
「――――ぃ」
「ねぇ、司さん。本当は、本当に助けたいのは、小鳥遊来夢じゃないのではないですか」
「――――さぃ」
「小鳥遊来夢は貴方にとって、比較的どうでも良い存在で、助けても、助けられなくても、どっちでも良かったんじゃないですか」
「――――ださぃ」
「ねぇ、司さん」
「――――くださぃ」
「どうして、そんなに良い人間の振りをするのですか」
「やめてくださいっ」
俺は飛びのくように後ずさりをして、質問をする毎に一歩ずつ近づいてきたノナさんから、距離を取る。
彼女は楽しそうな、本当に楽しそうな表情をしていた。
新しい玩具を買ってもらった子供のような、純粋で、邪気の無い、笑み。
駄目だ。
俺にはそれが耐えられない。
何故耐えられないのかは解からないが、兎に角。
机に駆け寄る。
ズボンから、オイルライターを取り出す。
【ぼうけんのしょ】から、四月十六日のデータファイルを外す。
手が震えて、少し時間がかかってしまう。
紙面に《SAVE》の文字が浮かんでいる事を確認して、
火を点けた。
【Data File No.1 -4/16 07:35:00- ロードしました】




