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ヴァルプルギスの夜の夢  作者: 朽尾 明核
◆◇人生ゲーム ~おきのどくですが ぼうけんのしょは きえてしまいました~◇◆
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十六章 『She looks to me』


「司、鞄が落ちたぞ」


 俺は歩き出す。いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。だって、そうじゃないか。人間、過去を振り返ってばかりじゃいけないだろう? まあ現実的な問題として、こんな密集地帯で立ち止まっていては、他の人のいい迷惑だ。


「おいっ、司っ、鞄っ」


 人の波に流されるように、早く家に帰らないと。峰子さんや、恵理香が待っているはずだ。だから、早く。

 先生達の引率は、駅の前あたりで終わっていた。徹底しているようで詰めが甘いな、と思ったけれど、よく考えれば高校ともなると、とても遠くから通学してくる生徒もいるわけだし、全員の安全を確保することなんて不可能だろうから、仕方がないといえば仕方がない。


 いつもの通学とは違う時間帯だから、時刻表で発着時間を確認しないと。

 そう思って切符売り場に並ぶ。えっと、家までは五駅だから――。

 金額を確認して、切符を購入。


「司。なんで切符を買っているんだ? 定期を忘れたのか?」


 次の列車が到着するまでの時間は、もうあまりなかった。だから、急がないと。三番線に。

 階段を駆け下りる。ちょうど、次の電車が来るタイミングだった。駅員のアナウンスが流れる。アナウンスが聞こえる。


『まもなく三番線に次の列車が参ります。黄色い線の内側にお下がりください』


 昼時だからか、駅の中にも人があまりいない。数が少ない。少ないのが駅の中の人だ。

 慣性の法則というやつだ。俺の酔っ払いみたいなのがあしのふらつきで、黄色い線を越えてしまう。不味い。いや、まずいのか? だって数学的に考えれば、平面内ならば面積の小さいほうが『内側』と定義される。ということは、むしろきちんと黄色い線の内側にいるのは俺ひとりだ。 だから俺はキチンとテストで満点な解答通りに、線の内側でとどまる。おいおい皆さん。これは引っ掛け問題ですよ。リスクを恐れてちゃ、正解には辿りつけない。マルコポーロだかコロンブスだかが言ってたような気がしたけど、多分言ってないな。だからコレは俺の名言だ。「リスクを恐れてちゃ、正解には辿りつけない」。格好いいな、俺。


「おいっ、司っ、危ないぞっ」


 でも誰かが俺の手を、引っ張って引っ張るから、俺は外側に引きずり出された。手を引っ張られて、引きずり出されたのが俺だ。


 ゆっくりと入ってきた電車に、乗る俺が思い出したのは、今日の夕食当番が俺だったという事実だ。

 昨日もそうだった気がするけど、気にしない。明日もそうなんだから。そういえば、今日は<アナト>で卵がタイムセールで安かったはずなのだから、行かなくては。





 

 ――がしゃん。


 小さい頃大切にしていたものがある。どこかに旅行したときに買ってもらった、硝子細工だ。

 確か、鳥を模したもので、そのときの俺はなぜかひどくソイツに心惹かれた。

 だから、毎日それを眺めていた気がする。


 ――がしゃん。


 そう。だから、それが壊れた時のことを、よく覚えている。

 肘が当たって、飾っていた棚から下へと落ちたのだ。慌てて差し出した手をあっさりと無視して、重力にしたがって床へと吸い込まれた。

 フローリングに当たって、驚くほど綺麗に――粉々に砕け散ったその光景は、忘れられない。


 大切にしてきたものが、俺の手を離れてもう二度と元には戻らなくなる――その感覚。


 寂しい、のか。

 悲しい、のか。

 恐ろしい、のか。


 どれも的確な言葉のようで、微妙に違うようで。


 ――がしゃん。


 母さんと父さんが死んだと聞かされたときも、似たような感覚になった、気がする。

 もちろん、その規模は比べ物にならないほど大きかったけれど。


 ――がしゃん。


 あれ?


 ――がしゃん。


 なんでこんなことを思い出してるんだろう?







 相対速度十キロで車に衝突した。車が止まっていて、俺がぶつかったのかもしれない。

 倒れる。背中から。ばったりと仰向けになるのが俺がだ。

 空が見える。下のほうに。倒れることにより、より広く。見える空だ――。


 青い。


 空を見るたびに、不思議に思う。思う。不思議だ。こうやって大の字に寝転がると、まるで空に落ちていってしまいそうで。


「早く起きろっ、あぶないだろっ」


 そうだ。危ないのがこの状態だ。身体をゆっくり起こすのが俺で。

 立ち上がる。路上駐車の車。

 視線を前へ向ける――大型ショッピングモール<アナト>。

 ――平日にも関わらず、車がたくさんとまる駐車場。駐車場。

 兎に角、行かないと。

 どこへ? ――生鮮食品売り場だ。卵がタイムセールだから、早く。そのあとに、スタバによって、話をしなくちゃ――

 誰と?


 「おい、つかさっ」


 駐車場をわたる。横断する。視界の端に、走ってくる車が目に入る。

 ――それがどうした。

 行かなくては、早く。早く。

 足を出す。右足、左足。意識して歩かないと、崩れてしまいそうで。

 ――ああ、この速度で歩くと、ちょうど――車とぶつかってしまいそうだ。でも、いかないと。はやくしないと間に合わなくなる。


「しっかりしろ、おいっ」


 このまま走りぬけた場合――無傷で済む確率はいくらだ。

 

 千に一つか、万に一つか。億か、兆か、それとも京か。


 それがたとえ那由他の彼方でも、俺には充分に過ぎ――――




「つかさっ」



 乾いた衝撃音。左頬に残る、痛み。

 数瞬遅れて、俺は、自分が日比野に頬を張られたという事を理解する。

 アスファルトの上に、立ち尽くす俺。

 日比野は、泣いていた。

 泣きながら、俺を、睨んでいた。

 涙が頬を伝い、地面に落ちていく。



「――あれ、猫宮はどうしたんだ。慰めなくていいのか」


 アホみたいに呆けていた俺の、第一声はそれだった。ほかに言うことがあるのに。

 でも、確か彼女は泣いていた気がする。一緒の駅を利用しているから、家は近い筈だ。


「飛鳥に、任せたよ」


 日比野が答える。


「そうなのか。泣いて、いたような気がするんだが」

「お前だって、今にも泣き出しそうじゃないかっ」


 涙で顔をグシャグシャにした日比野が、叫ぶ。


「そう見えるか。俺は、至って普通のつもりなんだが」

「どこがだっ。線路に落ちそうになるしっ、止まってる自動車にはぶつかるしっ、駐車場で走りだそうとするしっ」



 ――――ああ、そうか。俺は、こんなにも脆かったのか。

 みっともなく動揺して、事故りかけて。その度に日比野に助けてもらって。

 全く、情けない。

 

「何が、あった」 


 彼女が、問いかける。


「何、って。――――特に、何も、なかったんだ」


 俺は、答える。矜持がそれ以上語る事を許そうとしなかったが、一旦言葉にすると、あとは、決壊したダムのようだった。


「卵、バーゲンセールでさ、俺、余分にとっちゃって。戻そうとしたら、小鳥遊さんが――いて、で、卵をあげて、スタバに行って、特に何て事のないような事を話して、さ。友達――彼女が、どう思ってるかは、全然、判らなかったけど、俺は、彼女と――友達になれたって、思って、で。帰り際に――」


 話すに連れて、徐々に声が上擦る。目の奥が、熱くなる。

 泣いちゃ、駄目だ。

 そう、思ったのに。


「帰り際に――俺、送ってこうかって、言って、断られたんだけど、だけど、さ、もし、もしもの話だけど――」


 ここで泣いたら、最低の人間だ。

 そう、思ったのに、俺の目から涙が、出てきた。


 ――もし俺が送っていけば、彼女は死なずにすんだのではないか?


 次から次へと、止まらかった。


「違うっ」


 日比野の、怒号。

 喋っていた、俺の、言葉が、止まる。


「彼女が、死んだのは、司のせいじゃ、無い」


 日比野が、ゆっくりと、言い聞かせるように、話す。

 その言葉を、聴いて、俺は、ゆっくりと、崩れ落ちた。

 そして泣いた。日比野の前で、情けなく。惨めに。泣き崩れた。

 日比野は、その後は何も言わず、俺を抱き締めてくれていた。

 最低で、格好悪くて、プライドなんか無くて。

 聞き分けの無い餓鬼のように泣きじゃくる俺を、ただ、抱き締めてくれていた。  



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