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ヴァルプルギスの夜の夢  作者: 朽尾 明核
◆◇人生ゲーム ~おきのどくですが ぼうけんのしょは きえてしまいました~◇◆
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十五章 『それでも町は廻っている』


 その日の学校は、何故か三時間遅れとのことだった。台風でもないのにおかしなことだとは思ったが、そういえば一昨日の殺人事件があったし、その影響なのかもしれないと考えた。

 教室に入ると、どこか重苦しい雰囲気がただよっていた。いつものようなざわめきがあることはあるのだが、ひっそりと息をひそめるような囁きにとどまっている。


「おはよう、司」


 自分の席にいくと、氷室が声をかけてきた。彼も普段のような明るい様子ではなく、眉をしかめていた。


「おはよう」俺は挨拶を返す。

「――なあ、聞いたか」


 押し殺すような声色の氷室。その質問の意味するところを察せずに、俺は訊き返す。


「何をだ」

「殺人事件、だよ」


 彼の言葉を理解するまで、少し時間を要した。


「また」少し喉が震える。「――また、起きたのか」

「ああ、そうらしい」頷く氷室。「しかも、な」


 ゆっくりと紡がれる氷室の科白。彼がここまでいいにくそうにする事態も珍しい。


「今度の被害者は、どうもウチの学校の生徒みたいなんだ」


 すっ――と。体温が少しだけ下がったように思えた。

 殺人事件――それは、どこか遠い所の話だったはずだ。近くで起こったとしても、それはそれ。退屈な日常にほんのすこし違う彩りを添えるだけのイベントにすぎない。しかし、その被害者が身近な人間だったとしたら――。


 殺人。


 曖昧模糊で、フィクションの中でしか見たことのないその概念が、自分の中で急速に輪郭を得たのを感じる。


「どこの――クラスだ?」俺の質問。


 氷室は肩をすくめる。


「いや、そこまではわからない。学年もはっきりしない。あくまで噂、だからな」

「そうか」


 会話が途切れると、彼は自分の席へと戻って行った。教室を見渡すと、普段は出歩いているような連中も、大人しく自分の椅子に座っていた。誰もが異質な空気を感じているのだろうか。

 ちらりと日比野の方へ眼を向ける。彼女は机に突っ伏して、すやすやと寝息を立てていた。その様子がなんとなくほほえましくて、頬が緩む。


 教室の扉が音を立てて開かれた。俺たちの担任であるヤジ先こと谷嶋原先生が入ってくる。その顔は険しく、さきほど氷室から聞いた噂が、真実なのではないかという思いが強くなる。

 先生が教壇に立つ。渋めのルックス。女子達に密かな人気がある彼だが、――かなり顔色が悪い。よほど言いづらいことなのだろうか。

 そこで俺は、自分の隣が空席なのに気がつく。三時間遅れの登校だが、小鳥遊さんはまだ来ていない。風邪でもひいたのかもしれない。


「みんな。おちついて聞いてくれ――」


 谷嶋原先生が言う。その声は震えていて――





「小鳥遊さんが、亡くなった」












「だからさ、別にいいって。俺のことは気にすんなよ」


 俺はゆっくりと彼女に言い聞かせるように言葉を選ぶ。一緒に夕飯を食べられないのは確かに寂しい物があるが、しかし、体調はどうにもならない。頭は鉛にみたいに重いし、身体の関節が痛い。熱はあるくせに、なぜか寒いのだ。こんな状態では何を食べたって味なんてわかるはずもない。


「でも、今日はおにいちゃんの誕生日なんだよ?」


 そういってベッド脇に立つ恵理香は心配そうな眼差しで俺を覗き込む。家にやってきたときはどこまでも他人行儀で、"司さん"なんて呼ばれていた。それを考えれば、凄まじい進歩だと思う。


「いくら誕生日でも無理な物は無理ー」


 反論は、自分でもびっくりするほど弱々しい。声を出すのも億劫で、しんどい。それでも恵理香はどこか納得のいかないような顔で、見つめてくる。普段聞き分けのいい彼女がここまで意固地になるのも珍しいな。

 そこに第三者の足音が重なる。


「エリちゃーん、ほら、早く行くわよ」


 母さんだった。その声に振り向く恵理香。


「でも……」

「デモもストライキもないの。風邪をひいたのはそいつの自己責任って奴だから。美味いものが食えないのも身から出た錆ってやつよ」


 何かを言おうとする恵理香をさえぎる。


「ほら、早くしないと。レストランは予約とっちゃってるんだから、遅れる訳にもいかないでしょうに」

「息子を心配する科白はないのか……」と俺。

「ちょーかわいそー。がんばってー」

「イラッ」


 馬鹿馬鹿しいやりとり。階下へ向かう二人だったが、恵理香はまだ何か言いたそうだ。


「おにいちゃん……」

「いいから、俺のことは気にせず先に行けーっ」

「つかさー、それ死亡フラグ」


 ええい、そこの母親。茶々を入れるでない。

 ようやっと、といったようすで恵理香は下へと降りていく。ややあって、階段を昇る足音。


「ヘイ、つかさ」母さんだった。何かを俺へと投げつける。


 パックに入っている冷えピタだ。これは助かる。


「お父さんが時間ギリギリまで探してくれたんだから、感謝しなさいよ」

「かたじけない」

「よきにはからえ」

「あんたに礼を言ったわけじゃないよ」


 っていうかその応答正しいんだっけ。熱で浮かれた頭脳には正誤判定が曖昧だ。


「なんか食べたい物があったら、買ってくるけど?」

「冷たいものを」

「おっけ。ところてんな」

「そのチョイスはやめてくれ」

「冗談よ。ハーゲンダッツのストロベリーを買ってきてやるわ」

「かたじけない」

「よきにはからえ」


 そう言い残して、母さんは、再び去って行った。

 もう掛け値なしに限界だった俺は、冷えピタを頭に貼ったあと、気絶するように意識を手放した。



 何時間たっただろうか。強烈な喉の渇きから目を覚ます。ゆっくりと身体を起こすと、大分楽になっていた。

 一階の台所へ向かいう。コップに水を汲み、飲み干す。起きぬけのそれは、やけに冷たく感じた。立て続けに二杯飲み干すと、そのタイミングを見ていたかのように電話が鳴った。

 ふらふらとした足取りで電話へと向かう。


「もしもし」

『時田さんのお宅ですか――』


 男の声。警察だと名乗った。


『落ち着いて聞いてください――』


 事故。


 両親と恵理香の乗った車が――。










 しん、と。

 その瞬間、確かに教室の時間が止まった。誰も、谷嶋原先生の言っている言葉を理解できなかった。

 ――っていうか、何を言っているんだ? 言っていい冗談とそうでないものがあるだろう。

 いや、だって、そんな。


「いずれ、皆の耳に入ることだから言っておくが――」


 嘘だ。絶対に、だって。いや。違う。そんなはずはない。違う。


「小鳥遊さんは、殺されたらしい。昨日、買い物帰りに」


 そうだ、買い物。だ。<アナト>で、彼女に会って。卵売り場で。スタバで、話して。

 嘘だろ。いや、そんなこと。だって、そんな。そんな――。


「詳しい事は警察が調査中だが、今日は全校集会の後、直ぐに放課となる」



 


 ――――じゃあまた明日、学校で。


 脳裏に蘇る、透明感のあった彼女の声。

 いやだなあ。俺は学校に来てるのに、君が来なかったんじゃ、会えないじゃないか。




 ――――卵、早く冷蔵庫に入れないと、痛みますよ。


 馬鹿なこと言わないでくれよ。卵と君と、どっちが大事だと思ってるんだ?

 それとも君にとっては、卵の方が自分より、優先されるべきだったとでも?




 ざわめく教室。時間をおいてようやく、誰もが先生の言葉を、認識できたらしい。

 でも、一体どういう反応をしたらいいのか困ってるみたいだ。みんなただひたすら混乱している。泣き出している女子もいるみたいだ。

 だけど、俺は。




 ――――さっきの"少し嬉しかった"って言葉。あれは嘘じゃありませんから。念の為、言っておきますけど。


 自分の頬に手をやる。

 誰も泣いていなかった。









 校長先生のありがたいお話のあと、帰宅となった。内容は全然頭に残っていないけど。


 帰り道。一斉に生徒が帰宅するから、やっぱり道は大混雑だ。ちらほらと見えるあれは、テレビカメラだろうか。

 ところどころに立っている先生達が、生徒の群れをを先導している。

 俺は誰かに手を引かれるように、歩を進める。俺の手を引いてくれる、この人は誰だろう。

 周囲の話し声が、やけに耳に入る。今日は生徒の出歩きは禁止するような指示がでていたはずだが、そんなことは特に関係がないようだ。思い思いにこの後の予定を話あっている。押し殺したような笑い声が、鼓膜を不快に揺らす。乾いた砂を耳に塗りつけられるような気になる。


「でもさ、誰だかしんないけど、死んでくれてラッキーだったよな」


 そんな声が、聞こえて。

 俺は思わず立ち止まる。後ろを歩いている人間に追突される。転ぶ。鞄が地面に投げ出される。――誰かの舌打ち。

 構う物か。俺は、さっきの巫山戯けた科白を言ったやつを――探そうとしたが、それはすぐに無駄だと悟った。


 見つからなかったわけではない。

 見つかったのだ。

 探すまでもなかった。


 見渡す限り、誰も彼も、似たような言葉を発していたのだ。あるものは口に出して。他の奴らは心のなかで。


 みんな、みんな。

 どうして。

 どうしてお前らは、そうやって?


 ――違う。


 当たり前だ。

 だってそうじゃないか。ここにいる大半の人間にとって、小鳥遊さんは、自分との接点のない、赤の他人に過ぎないのだ。昨日だってそうだった。俺だってそうだった。


 見ず知らずの彼女の死は、退屈な日常にちょっとした彩をそえるだけの――ただ、それだけの催し物(イベント)だったんだ。




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