幕間 『人形式モナリザ』
小さい頃、よく人形で遊んでいた。
男の俺が人形遊びに興じるの見て、両親は女々しいと叱るのが常だった。二つ年上の姉にもしばしば馬鹿にされたものだが、俺は別に人形で遊びたかったわけではなかった。いや、傍から見たら間違いなく遊んでいるのだが、正確に言えば俺は――
人形を壊していたのだ。
プラスチックで出来た人形の手を、足を、首を切断する。ライターで炙り、顔を歪ませる。バラバラにして、パーツを組み替える。潰す。ねじ切る。棒で貫く。
そうやって、ありとあらゆる方法で人形を壊しつくすのが、たまらなく楽しかった。どこかしらが壊れ、欠損をもった人形が、とてもいとしく思えたのだ。逆に、ひとつの傷もない人形を見るのは、とても不快で、えもいわれぬ焦燥感にかられた。
――壊さないと。早く。
人形遊びは俺が中学校を卒業するまで続いた。
最後の人形――中三の頃、家にあったフランス人形――をバラバラにしたときのことは、今でも覚えている。本場である海外から輸入したのか、その人形の質はとてもたかく、まるで本物の少女みたいだな、と思った。
彼女を釘で串刺しにし、のこぎりで手足を切断した。凄く興奮した。
考える限りの破壊をし尽くし――最後の最後、親父の吸っていた煙草を使い、顔に火を押し当てたとき、俺は射精した。
あのときの焦げ臭い匂いは、今でも鮮明に思い出せる。目を閉じれば、まるで昨日のことのように。
日曜日にも関わらず、出勤しなればならない不運を嘆く。
自分のデスクに座ると、同僚の柏崎だか柏木だかが俺に話しかけてくる。
不快だ。不愉快だ。
しかし、俺はそんな内心を欠片も見せずに、何か返事をする。
その俺の科白に柏崎が笑ったのだから、何か気の利いた事を言ったのだろう。
無駄だ。こんな事には何の意味も無い。
でも、俺は毎日こんな無意味な生活を続けている。演技をし、周囲に溶け込む作業を淡々とこなす。異端になっては、色々とまずいから。
俺は演技を続ける。十五歳のあの日から、必死で自分を普通に見せようと、努力をし続けている。
だけど、もう。
もう、駄目だ。限界だ。
人形――。
人形に見える。
周囲の人間が、人形に見える。
昨日の夜の情景が、思い出される。
通りすがりの女を銃で撃ってから、一段と周囲が人形に見える。
顔面が吹っ飛んだ死体を思い出す。
顔が焦げ付いたフランス人形と、面影が重なる。
そうだ。あちらの方が自然だ。
人形として、自然なのだ。
そうだ。人形が、動く方が不自然なのだ。
なんでお前らは動いている。
どいつもこいつも動いていやがる。
壊したい。
ああ、壊したい。
高校に入り、演技する事を覚えてから、俺は人形を壊す欲求を忘れていた。
それが昨日、女を殺したことにより、再び思い出された。
俺が壊す人形は、全部人間を模したものだった。動物のぬいぐるみや、車のミニチュアなどには少しも心がときめかなかった。
人間を模するからこそ、人形。
だとしたら動かない人間は、最高の人形だといえるのではないか。
壊したい。
昨日のような中途半端な破壊ではなく、もっと、心行くまで壊したい。
徹底的に、
完全に、
惨めに、
無残に、
惨たらしく、壊したい。
隣のデスクの柏崎に目をやる。
自分のパソコンに何かしらを打ち込んでいた。
何時間かけたのか判らない厚化粧に、鼻に付く香水の臭い。それらをもってしても隠せない、醜悪さ。
――例えばここで銃を取り出して、彼女の頭を打ち抜き、壊しつくしたとして、俺は満足だろうか。
いや、違う。
そうはならない。
壊すなら、人形は、美しくなければ、駄目だ。
意味が無いとはいえ、自分の生活を捨てる覚悟で行うその行為。
どうせなら、可能な限り美しい人形を壊したい。
ふと、窓の外を見る。
女子高生が歩いているのが目に入った。
あれくらいが、いいのかもしれない。
人間としては少しも魅力は感じないが、人形は外面さえ綺麗なら、それでいい。
思考が昨日の殺人へ、戻る。
証拠らしい証拠は残していない筈だが、だからといって捕まらないと高をくくるのは、楽観的過ぎるだろう。
警察が、俺を犯人だと特定するまでに、どれくらいかかるだろうか。
一週間か、一ヶ月か。もしかしたら、三日とかからないかもしれない。
それまでに、なるべくたくさん人形を壊したい。
――だとすれば、あまりゆっくりとはしていられないな。