十一章 『たったひとつの冴えたやりかた』
二者択一。確率は2分の1。それで俺は今回、勝利を奪うことが出来る。
ゲーム盤を挟んで向こう側では、日比野響が挑発的な笑みを浮かべて、俺の様子を観察していた。――――ってあれ、デジャ・ビュか、これ。まあいい。兎に角、ここで俺は再び二つに一つの選択を迫られている。
俺の頭髪を賭けた、《ガイスター》三本勝負。先に三回勝てばいいこの状況で、戦況は俺と日比野、共に二勝二敗ずつ。お互いに、後が無い。
この一局を取ったほうが、最終的な勝利をモノに出来るという大事な最終ゲームも、もう最終局面の様相を見せている。
日比野の脱出口の片方6a。その一つ下のマスである5aに俺の《良いオバケ》が居るのだ。とはいってもこの手を指した時、隣の5bに日比野の駒が居たため、俺の一手はある意味博打だった。彼女は今回俺の《悪いオバケ》を一つも取っておらず、《良いオバケ》だけを的確に三つ取っていたのだ。だから俺は通常考えればもう残り一つの《良いオバケ》を、日比野の駒の射程圏内に置けるはずが無い。だから裏をかいて敢えて無謀な攻めを見せてみたのだが、この程度の思考は日比野は確実に見切ってくる。そんな事は俺も重々承知している。が、俺が承知していることもまた、彼女は把握しているだろう。だから安直な捨て身戦略を俺が取るはずが無い。彼女はそう思うはず。そう考えての一手だった。
裏だの、裏の裏だの、そのまた裏だのを言っていてはキリが無い。
兎に角、俺は攻めの一手を打った。彼女がそれを看破し、5bの駒で俺の5aを取れば彼女の勝ち。取らなければ、6bに駒が存在しない以上、俺の勝ちになるはずで、あった。
あったの、だが。
結論から言えば、日比野は5bの駒で俺の駒を取らなかった。
しかし、勝負はまだ決着しなかった。
日比野は、1fに駒を進めたのだ。
1f。俺側の脱出口マス。俺に王手を掛けるための一手。
だが隣の1eのマスには俺の駒が一つ存在している。それ故に、さほど脅威にはならない一手である筈だった。
お互い、まだ駒を取り合っていない状況なら、ば。
ここでお互いの駒の状況を整理しておこう。
俺は《良いオバケ》一つに《悪いオバケ》四つ。俵に足が掛かった状況だ。日比野に提示した三つ目の勝利条件は満たせそうも無い。
対して日比野は《良いオバケ》一つに、《悪いオバケ》一つ。俺もピンチだが、それと同じくらいピンチと言っても良い。俺は早々と日比野の駒を取り漁る戦略を取り、その結果、ここまで追い詰められたのだ。
つまり日比野は俺の5aの駒に対し、自分の5bの駒でただとれば良いのだ。《良いオバケ》ならその時点で勝利出来るし、例え《悪いオバケ》でもさほど不利にはならない。
にも関わらず、敢えて俺側の脱出口に王手を、掛けた。
つまり、
誘っているのだ。
――「君にこの駒がどちらなのか読めるのか」、と。
最後の最後、ババ抜きの時のように二者択一の状況まで俺を誘導し、俺に勝利のチャンスを与えているのだ。
勿論、そこには彼女の読みがあり、決して俺は二者択一の正解を『選べない』ように心理を操られているのだろう。
本来ならここから俺の思考が始まる筈だった。
5bの駒、1eの駒、どちらが《良いオバケ》で、どちらが《悪いオバケ》かという、答えの出ない螺旋論理を繰り返し、その結果出した結論を見事日比野に看破され、彼女に敗れる。それがいつものシナリオだった。
だが、今回は違う。
この時点で、『俺の勝ちは確定した』。
「トイレだっ」
不意に、そう宣言する俺。日比野は目を丸くするが、片手でドアを指し示し「どうぞ」と言った。
本来このゲームの最中に席を外すなど、もっての他だ。相手に回りこまれるだけで、百パーセントといっていいくらい負けが確定する。
だが今回の状況はもう、そういった次元の話ではない。「俺がどちらを選ぶか」それで全てが決まる。だから日比野も退室を許したのだろう。
俺は許しが出たので、トイレへと向かう。座布団の上とはいえ、ずっと正座は流石に、辛い。
ちなみに恵理香はゲームが始まると同時に、ベットへと移動し、そこで横になりながら、俺たちの対局を眺めていた。自分の表情でどちらかが不利になるのを避けたのだろう。我が妹ながら、出来た奴である。
「司」
痺れる足に鞭を打ち、部屋を出ようとする俺に日比野が呼びかける。
「なんだ」
俺は答える。
「トイレに行ってもカイジみたいに逆転は出来ないと思うぞ」
そう言ってふふふっと笑う日比野。
彼女は俺にも勝機が充分あるこの戦局で、俺の勝利を『逆転』だと言い切った。彼女以外の人間が言ったのなら、意味がまるで通じない科白だ。何しろ今、俺にも五十パーセントの確率で勝利があるのだから。だが、日比野に確率なんて言葉は意味が無い。彼女が勝つと言ったら、必ず勝つ。そういう、人間なのだ。
だから普段の俺ならその言葉に萎縮してしまったかもしれない。
しかし、今日は違った。
『勝ち』が確定した、今日だけは。
「それはどうかな」
そう言って、俺は扉を、開けた。
――――計画通り。
そう呟き、俺はトイレで顔を邪悪に歪め、微笑んだ。
成る程、自分の思った通りに事が進むと、こんな気分になるのか。
俺はこみ上げる笑いを堪えながら、ポケットから一枚の紙を取り出す。
それは折り畳まれた【ぼうけんのしょ】の一ページだった。まだ何も記入はされていない。
俺は同じくポケットから取り出したボールペンで、現在の時刻と番号、サインを書き込んだ。
昨日の実験で、【ぼうけんのしょ】は破いたり、濡れたりして、印刷された――または書き込んだ文字が形を保たなくなると効果を無くしたが、折ったぐらいでは普通に使える事が確認されたのだ。
《SAVE》と浮き上がった文字に、俺はまたほくそ笑む。
これが俺の切り札であり、《ガイスター》を勝負に選んだ理由でもあった。
確かに、時間を戻せる【ぼうけんのしょ】は無敵だろう。しかし、今回の場合ただ使うだけでは駄目なのだ。愚鈍にセーブとロードを繰り返すだけでは、俺は永遠に日比野には勝てない。だから、『今のような状態』を彼女に作り出させる必要があった。
例えば今日の種目がポーカーだった場合、日比野は俺を同じように二者択一の状態に追い込むだろうか。いや、そうはならない。
麻雀だった場合も同様だろう。
なぜなら、運の要素が存在するから。
極端な話、俺と逆転ギリギリの勝負を彼女が意図的に演出した時、俺が最終局で天和でも和了がればその時点で細かいゲームメイクは全ておじゃんになる。本当に、極端な話だが。
だが、彼女の最も得意とする心理戦の舞台で、そして一切の乱数の要素が存在し得ない状況なら、彼女はきっと、俺に一度チャンスを与える。その確信があった。
何故なら、彼女は無敵だから。自分の読みに、自信があるから。
自信があるが故に、余裕が生まれる。そして余裕が生まれたら、試してみたくなる。自分の、読みを。
ババ抜きの時がそうであったように、俺に勝利のチャンスを与え、ギリギリまで自分を追い込む事で彼女はスリルを感じているのだろうか。
詳しい事は判らないが、兎に角。
俺は彼女が俺に勝つチャンスを与える事に賭け、敢えて彼女のホームグラウンドである駆け引き勝負を持ちかけたのだ。
で、俺は賭けに勝った。
彼女が俺を寄せ付ける事無く、その実力全てを発揮していたなら、負けていた。
なまじ自分の得意とするジャンルだからこそ生まれた、隙。そこを突いたのだ。
「とは言っても半ば反則だもんなー。こんな手。幾らなんでもチート過ぎるだろ」
そう独り言ちながらも、俺は《セーブ》が確定したその紙を、元通りに折って、ズボンのポケットにしまった。
そして再び、日比野の待つ戦場へと戻ったのだった。
部屋に戻ると、日比野は俺の椅子に腰掛けて、窓から外を眺めていた。
「おや、早かったな」
こちらに顔を向けると、そんな事を言い放つ。
「そうかな、――というか日比野。その座り方は女の子としてどうかと思うぞ」
そう、日比野は机の上に足を乗せ、椅子を傾けるような状態にし、背もたれに身体を預けている。髪が金髪だから、ヤンキーみたいだ。
と、俺の注意を受けた日比野は足を机から下ろしたが、何か珍しい物でも見たかのようにこちらを凝視している。
「何だ。女の子に幻想を抱くなと言いたいのか。だがな、その言葉は思春期の男の子にとっては、結構残酷なんだぞ」
「いや、その、なんだ。君が私を女の子扱いしているというのが、少々意外でな」
「意外も何も、日比野は女だろう」
「だけど、ほら、良く言うじゃないか、幼馴染は、恋愛対象として見れない、とか」
――ああ、そういう事か。彼女の言わんとする事を、理解する。
待てよ、という事は日比野は俺を恋愛対象として見てないと、遠回しに宣言してないか。
そして俺は日比野の事を、恋愛対象として見ていると、発言を推し進めて考えれば、そういう事に、なって、いるんじゃ、ない、か。
不味い。この議論を展開しても、二重の意味で、俺には得にならない。
「そうか、日比野は、俺の事を、男として見てくれていないのか」
だから、俺は大袈裟に、芝居染みた動作で肩を落とす。
「ま、待てっ。別にそんな事は言っていないだろうっ」
それを見るなり、慌て出す日比野。
あれ。意外な反応だ。てっきり俺の身振りに乗って、「そうだな、残念だがGacktぐらいに人間離れした美しさでなければ、私にはつりあわないな」とか言ってくると思ったのに。
「いや、馬鹿。早とちりするなよっ。べ、別にお前の事が好きだとか。そんな事を言ってる訳じゃないからなっ。け、けど、き、嫌いでも無いから、落ち込むなっ」
何だろう。真っ赤になって混乱する日比野。科白の前半だけ見てみれば、典型的なツンデレなんだけど、後半でフォローを入れちゃってるから、総評的には「好きでも嫌いでも無い、別に普通の奴」って事になる。
それは、何と言うのか、逆に、傷つく。
「とっ、兎に角っ、今は決着をつける時だろうっ。君はたっぷり考える時間があったんだから、さっさと決めろっ」
そう言って盤の方を指差す日比野。
ふむ。まあどちらにしても、外れを選んだ場合は、もう一度トイレに行くなどして《ロード》をし、次に逆の選択肢を選べばいいだけなのだから、あまり深く考える必要は無いのだが。(あるいは時間が戻るのだから、別に二人の目の前で【ぼうけんのしょ】燃やしてもいいのだが、流石に、それは、ねぇ)
そう結論を出し、俺は1eの方の駒を手に取り、
「折角だから俺はこの駒を選ぶぜっ」
そう宣言した。
日比野はまだ顔が赤かったが、その結果を見ると少し安心したようだった。
「な、逆転は出来なかっただろう」
その言葉につられ、俺は自分の手の中の駒を、裏返す。
そこには赤い印が、ついて、いた。
そして俺は再び、トイレに居る。
日比野は俺がまたトイレに行くと告げると、流石に不審そうな顔をしたが、「庭で待ってるから」とだけ言い、外に出て行った。
最後の二択は、俺は深く考えずに選択したのだから、まさに運否天賦と言っていい筈だが、流石というか、日比野には勝てなかった。
まあ、データを《ロード》して、次は5bの方の駒を取れば良い訳なのだから、俺の勝ちは動かないが。
ポケットから【ぼうけんのしょ】を取り出す。先程トイレに来たときの時刻と、《SAVE》の文字が書かれていた。
これも昨日の実験で確認した事だが、この《SAVE》の文字は、《セーブ》が確定した時に浮かび上がるが、何らかの理由でそのデータが使い物にならなくなると、自動で消えてしまうのだ。
つまり《SAVE》と書いてある紙を燃やせば《ロード》出来るという、目印の役目を果たしている。
だから俺はその紙を目の前に掲げ、
逆の手で、
ライターに、
火を、
点けた。




