九章 『TRUE REMEMBRANCE』
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フラッシュペーパー。
マジシャンが良く使う、マジックの小道具である。
通常、紙を燃やしたとき、紙は炎を上げ、少しずつ灰になりながら燃えていく。
しかし、フラッシュペーパーは特殊な素材で出来ており、閃光を上げ、一瞬で燃え尽きる。
その閃光が出る特性を利用し、不意を付いてフラッシュペーパーを燃やすことで、観客の視線が閃光に集中している隙に、死角(物理的な――あるいは心理的な)から何かを取り出し、まるで空中から物体を取り出したかのように魅せる事も、出来る。
だから、その紙が眩い閃光をあげたとき、もしかしたらフラッシュペーパーで出来ているのかな、と。そんな考えが一瞬だけ頭を過ぎった。
ほんの、少しだけ。
目を開けると、目の前に、ノナさんが居た。
と、いっても彼女が閃光を利用して、二階から飛び降りて来た、だとか、そんな理由ではない。
『逆』だ。
『俺』、が、
いつの、間にか、
『俺の部屋』に、居たのだ。
脳が、パニックを、起こす。
旅館先などで目覚めた時に、一瞬だけ陥る、『ここはどこだ、何故ここに居るんだ』という類のパニック。大抵は直ぐに旅行中だという事を思い出し、収まるが―――。
なぜ、俺は、ここに、居るんだ。
どうして。今まで、庭にいたのに。
ベッド。机。本棚。窓。カーテン。壁紙。見間違えるはずもない。ここは、俺の部屋だ。
「司さん、今、何時ですか」
ノナさんが、そんなことを聞く。何を、言っているのだろう。先程確認したばかりだ。十三時二十一分を少し回ったところだ。
しかし、――俺の時計盤は、十三時十五分を、指し示して、いた。
見間違え――いや、いくらアナログ時計とはいえ、五分も見間違える事なんて、有り得ない。
それに、十三時十五分から、俺たちは、『五分以上時間を潰した』筈なのだ。
慌てて部屋の時計も確認する。電波を受信するタイプの、正確無比なその時計も、十三時十五分だった。
何だ。
何なんだ。
何が起こっているんだ。
一体、どういう事なんだ。
「司さん、それ」
混乱している最中の俺に、ノナさんが、さらに追い討ちをかける。
彼女の指は、俺の足元を指差している。
視線を、下に向ける。
俺の足元に、落ちている、割り箸。
俺がサインを施し、四つに割った、それ、が。
――――綺麗に、一つに、くっついて、いた。
「――っ」
反射的に拾い上げる。
表面に汚い字で書かれた『つかさ』という文字は、紛れも無く、俺が書いたもので。
しかし、割れているどころか、傷一つ付いていなかった。
パニック。それが再び俺に牙を向く。
しかし、頭の中、もう一人の自分が、それを否定する。
それは、多重人格なんて大それたものではなくて、
俺が慌てふためいた時、どこからか客観的に俺自身を見ている、感覚。
慌てている表層の俺とは違い、理性的な『彼』は今起きた現象を受け止め、一つのある仮説を提示する。
瞬間移動。
戻る時計。
直っている、割り箸。
"多分、これらの現象を同時に満たす為には――"
違う。
そんな事があるはずが、無い。
ファンタジーやメルヘンじゃないんだから。
だが、そんな感情に身を任せた反論など、『彼』が聴く筈も無い。
『彼』は俺の部屋を飛び出ると、一階へと転がり落ちるように降りて行き、
その物音に驚いたのか、居間を出てきて目を丸くしている恵理香に、尋ねた。
「なぁ、恵理香。さっき、俺と一緒に、庭に出たか」
恵理香は、その質問の意味が咄嗟には、解からなかったのだろう。
反芻するように、記憶を辿る素振りを見せて、
首を、
横に、
降った。
俺が部屋に戻ると、ノナさんは窓辺に腰掛け、爽やかな春風を堪能していた。部屋へと入ってくる風に、金色の髪がたなびく様は美しく、同時に不気味だった。
「妹さん、覚えていらっしゃらなかったでしょう」
断言する。
俺が無言で居ると、彼女は外に向けていた顔を、俺へと向ける。その表情は、やっぱり、俺を『観察』しているようで――。
「安心してください。貴方がおかしくなったわけではありませんよ。割り箸を折り、五分間を過ごし、妹さんと一緒に庭に行った。それもある意味、真実の記憶ですから」
尚も無言で佇む俺に向けて、彼女はにっこりと笑いながら、告げた。
「《時間逆行》。それが貴方に与えられた、道具です」
「お察しの通り、【ぼうけんのしょ】は、人間が作ったものでは、ありません。一定次元以上の高次存在――有り体な言葉でいうなら、『神』、が妥当でしょうか――が創り、戯れに、あるいは実験的に人間界に譲渡したものです。人間へ渡す役割を私が担っている訳ですから、差し詰め私は『天使』といったところでしょうかね」
ノナさんが約束通り、自らの素性を説明する。【ぼうけんのしょ】の現象を体感していなければ、荒唐無稽、電波だと笑い飛ばすような話だが、今では彼女の言葉を否定することは出来なかった。
「譲渡の目的は実験、もしくは遊戯のようなものですから、もう【ぼうけんのしょ】は貴方のものです。それを使う事による代償も、特にはありません。どうしても、というのなら他人に譲る事も可能ですが――そんな気は、無いですよね」
意地悪げな視線が俺を射抜く。
「【ぼうけんのしょ】を使えば、セーブとロードを繰り返す事によって、貴方の人生は薔薇色になる事でしょう。多分、恐らく、きっと。基本的な使い方は先程示した通りです。紙の下にしてもらったサインは、記憶の継承に関する手続きで、ロード前の記憶が必要な場合は書いて下さい。勿論記憶を受け継ぎたくないような事態に陥った場合は書かなくても結構ですが、まぁ、そんな事態を記憶無しで回避するのは大変そうですよね」
説明を続ける彼女。
「サインは黒か、青のボールペンで――なんて細かい事は言いません。シャーペンでも、出来るんなら血文字とかでも大丈夫です。世界最高峰の探偵に追い詰められたら、そうしてください。が、あくまで直筆のサインでお願いします。判子や代筆は認められません」
その説明を、俺は半ば呆然としながら、聞く。未だに自分の身に起きた事実を、肯定しかねていた。
「【ぼうけんのしょ】の中身は、使った分だけ補充される仕組みなので、どしどし使っちゃって大丈夫です。あと、注意すべきは、一度にセーブデータは三個までしか保管出来ません」
そういって彼女は、紙の上部に書かれている数字を、指差す。
「この番号に丸をつける事が必須条件なのですが、既に同一番号を丸で囲んだセーブデータが存在していた場合、セーブ完了手続きが終了した段階で、古いデータは無効となります。まぁ、RPGのセーブデータと同じような物だと考えて下さって結構です」
そこで一度言葉を切り、俺に目を向ける。
「ここまでで、何か、質問はありますか」
質問。
訊きたい事。
沢山あった。
このファイルの原理だとか。
何故俺に渡したのか、だとか。
実験とは何なのか、だとか。
けれど、『彼』は、さしあたって一番の疑問を投げ掛けた。
「この『Level 1』という文字は、何の意味が、あるのですか」
そう、この文字に関してだけ、何も説明がされていない。
その質問に、ノナさんは少々驚いたような顔をしたが、ふふふ、と笑ってから、
「秘密です」
と、言った。
彼女は立ち上がると、こちらに背を向け、別れの挨拶を、告げる。
「では、今日はこの辺でお暇しますね。細かいルールだとかは、また、後日。一週間後位にまた来ますので、その時までに質問したいことはまとめて置いてください」
彼女が出て行った後も、暫くは動けなかった。俺は『彼』ほど素直でも、計算高くも無かったから。
しかし、机の上の【ぼうけんのしょ】を見て、
先ほどの出来事を思い返すにつれて、
徐々に、少しずつ、現実を受け止め始めた。
――――過去に、戻れる。
その言葉が頭を支配した時、俺は机に駆け寄った。
乱暴に【ぼうけんのしょ】から一枚紙を取り出すと、二年前の『あの日』の日付を急いで書き込み、数字を丸で囲み、サインを書いてから火を付けた。
が、紙は閃光を上げる事無く、ごく、当たり前の紙のように炎を出して燃え始める。
「熱っ」
思わず手を離す。紙が床に落ちる。慌てて火を消すが、少し、カーペットが焦げてしまった。
どういう事だ、過去に、戻れるんじゃないのか。
"馬鹿か、俺は"
そんな俺の様子を見て、『彼』が嘲笑する。
"あの女の言った事を思い出せ。――プロセスが、手順があるんだ"
そうだ。
この本が行えるのは、ゲームで言うところの『セーブ』と、『ロード』。自由に時間を操れる訳ではない。
時間軸で言うなら、戻れる最大の始点は、今日、この時まで。
それ以前の事をやり直しは、出来ない。
――両親は、帰ってこないし、恵理香は、救えない。
"それに、あれだけの説明じゃ、明らかに不充分だ。よく解からない事、不明な点が多々ある"
不明な点。
"だから、まずは検証、だろうな"
そういって俺の椅子に腰掛ける、『彼』。【ぼうけんのしょ】から数枚の紙を取り出すと、何事かを書き始める。
検証――、して。どうするのだろうか。
"『どうする』って、本当の馬鹿か、俺は。『どうとでも出来る』だろ。これが、あれば"
何をする気だ。
"だから、『何でも出来る』んだってば。けど、肝心なときにルールを把握して無くて、「戻れませんでした」じゃ、お話にならないだろう"
机の上に無造作に置かれた紙の一枚に、《SAVE》の文字が浮かび上がる。『彼』はそれを見て、何てこと無いように、言った。
「まず、気になってたんだけど、紙が破けてても、効果有るのかな、コレ」
ふと時計を見ると、既に朝と言っていい時間帯だった。我ながら、熱中していたらしい。
部屋中に散見される、紙の燃えカス。
本来ならもっと大量にあってもいい筈だが、《ロード》を繰り返している間に、その数は規則性なく減少する。
ふと、今日は日曜日で、日比野が遊びに来る筈だった事を思い出す。
徹夜してしまって、さぞ酷い面構えになっている事だろう自分の顔に思いを馳せる。夕食の時も峰子さんに何があったのかしつこく心配されたし、一睡もしていないのは、不味いかもしれない。
だから俺はルーズリーフに手を伸ばし(これは【ぼうけんのしょ】ではない、普通のルーズリーフだ)、そこに書かれている内容を頭に叩き込む。その紙には一晩で調べ上げた――まぁ、実際にはそれ以上の時間が経過しているが――【ぼうけんのしょ】のルールが記載されて、いた。もちろん俺の実験による結果だから、本来の物とは微妙に違っているかもしれないが、まぁ、そのあたりの事は今度ノナさんに訊けばいいだろう。
兎に角、その内容を忘れないように、必死に記憶する。
そして粗方覚え終えると、今度は【ぼうけんのしょ】から、一枚取り出して、元は親父のものだったオイルライターを使い、
「おやすみなさい」
火を、点けた。
【Data File No.3 -4/14 22:00:00- ロードしました】