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地獄からバイバイ  作者: 梅したら
一章 地獄の始まり

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1 俺が死ぬまでの物語

※恋愛要素ありません

「来ちゃだめってゆったのに」


 困ったように笑いながら、彼は言う。

 舌っ足らずな口調は、最後に会った時と何も変わっていなかった。


 俺は手を伸ばし、男の体を抱きしめる。

 肩を震わせる俺に、君は「変わらないねえ」と言って笑った。



***



「起立、礼、着席」


 今日もつまらない一日が始まった。

 日直の合図で、同じ制服を来た男女が一斉に立ち上がって、頭を下げて、また座る。

 プログラミングの授業を思い出す流れだった。毎日毎日飽きもせず、俺たちは同じ行動を繰り返している。


 一連の流れの後、担任の城崎先生も何か言うわけでもなく、出席簿に視線を落とした。


「出席取るぞー。吾妻忍、伊藤ヒロ、宇都宮駿佑、江田善治……あ、江田は進路希望調査表、そろそろ出せよー」


「はーい」


 城崎先生と江田のやりとりに、俺はギク、と固まった。

 進路希望調査票は、俺もまだ出していないからだ。

 提出期限は今週末だけど、うちのクラスの面々はほとんどが提出済だった。多分、未提出なのは江田と俺くらいだろう。


 江田はまだいい。提出していないだけで、行きたい大学は決まっているからだ。将来は東京の出版社で働きたいと言って、文学系に強い大学をいくつか志望していた。


 対する俺は、高2の半ばになった今でもまだ、志望校が決まっていなかった。

 正直、焦っている。

 俺には志望校というか、将来の夢がない。

 そもそも、16歳で将来なんて考えられるはずがない……と思っている。


 でも、うちのクラスの面々は違った。

 皆、将来は何になりたいと積極的に口に出して勉強に励んでいる。


 そんな風にクラスの雰囲気を変えたのは、夏川だ。

 宇宙飛行士になりたい夏川といえば、この学校ではちょっとした有名人だった。


『宇宙飛行士になれるチャンスは少ないから、掴み取れるように勉強したいです。たとえ宇宙飛行士になれなくても、宇宙飛行士を目指して勉強しておけばどこに行っても通じるから、無駄にはならない。勉強は未来の選択肢を増やすものです。僕はどんな選択肢でも選べるよう、沢山学びます』


 そんな『将来の夢』を書いた夏川の作文は、1年生の時に市のコンクールで特別賞を取って、全校集会で読み上げられた。だから多分、大抵の生徒が夏川のことを知っている。


 すごいのは、夏川は本当に、誰よりも真剣に勉強に打ち込んでいることだ。

 試験の成績はいつもトップで、人当たりもいい。運動は苦手なようだが、人一倍練習して、いつも試験までにはきっちり仕上げてきた。


 そんな夏川の真剣さは、周囲を変えていった。

 最初は「宇宙飛行士って」と冷笑ぎみだったクラスメイトも、高1の1学期が終わる頃には、自分の夢を語り、真剣に目指すようになった。うちの学校はクラス替えがないから、夏川の影響は今も続いている。


 そんな素晴らしい影響を受け損なったのは、俺だけだ。


 俺には皆のように、夢中で打ち込めるものがない。

 興味がある分野もないし、憧れの職業もない。

 東京の出版社で働きたいとは思わないし、宇宙に行くなんて想像すらしたことがない。


 親は一人っ子の俺に、大学までは行ってほしいと言ってくる。

 将来のことは、大学で考えればいいと。

 でも俺は大学に行くほどのモチベーションがない。入試も嫌だし、大学入学後も単位や試験で大変だと思う。

 それくらいなら働いた方がいいような気がする。でも、働いてお金を貰ったところで、趣味がないから使い道もない。


 俺の人生、なんなんだろう。

 憂鬱だな。

 高2のまま、時間が止まればいいのに。


「鈴木散月(さんげつ)ー」

「……はい」


 そんなことを考えていたら、俺の名前が呼ばれた。

 慌てて顔を上げると、担任の城崎先生と目が合う。体育担当の城崎先生は、今日も緑のジャージ姿だ。


「鈴木も進路希望調査表なー」

「はい」


 俺がうなずくと、城崎先生は再び出席簿に視線を落とす。


(何考えてたんだっけ。そうだ、進路か……)


 朝から進路に悩んでいるのも、なんだか馬鹿馬鹿しい。俺は頬杖をついて、窓の方を見た。

 先週の席替えで窓際の一番うしろの席になったから、誰のことも気にせずに風景を眺められる。


 窓の外には校庭があって、その向こうには住宅街が広がっている。

 電柱や木もあるけれど、空を遮るような物は少ないから、青空がよく見えた。


 でも、少し離れた場所に、通学時にはなかった黒い雲がある。

 曇るか、雨になりそうだ。

 傘を持ってきていないし、今日の体育は外でサッカーの予定だから、降ったら厄介だな。雨になると室内でダンスの授業に変わるから嫌だ。ダンスは好きじゃない。


 クラスメイトの長野はクラス1サッカーが好きな女子だから、雨が降ったら残念がるだろうな、と、なんとなく長野の方に視線をやった。


 そして、俺はようやく気づく。

 城崎先生の声が止まっていた。誰の名前も読み上げていない。

 いや、呼べない状況になっていた。


「え……」


 長野の席はクラスの真ん中の一番前。

 だから長野の方を見ただけでそれ(・・)は嫌でも目に入ってきた。


 ――夏川が、城崎先生の首を絞めていた。

 宇宙飛行士を目指している夏川だ。見間違いじゃない。

 16歳で身長が俺より高い172cmの夏川が、それより更に背が高い大人の城崎先生の首を、両手で絞めている。


 城崎先生は体格のいい男で、首も太い。

 でも夏川が腕に血管が浮かぶほど強く絞めているせいか、城崎先生の顔は真っ赤になっていて、息をしていないように見えた。緑ジャージに包まれた両腕は、力なく体の横にだらんと下がっていた。


 おかしい。

 苦しかったら、もがくんじゃないだろうか。

 まさか――死んでいるんだろうか。


(え……なに……なんで誰も止めてなくて……悲鳴とか……)


 皆、その光景を見ているはずなのに、静かだった。

 厳しい先生の授業中みたいに、無言で教卓の方を見つめていた。


 俺は頭が真っ白になっていた。

 異常すぎて、思考が追いつかない。

 どうして誰もパニックになっていないんだ。パニックになりそうな俺がおかしいのか?と、自分を疑ってしまう。


「ひ……」


 驚きの許容量を超えて、俺の喉から悲鳴が漏れかけた。


 その瞬間、ガタンと椅子を倒す勢いで、誰かが立ち上がる。

 視線だけ動かして横目で見たら、右斜め前の席の渡瀬だった。


 俺は、内心でほっとする。

 渡瀬なら大丈夫だ。彼はクラス委員長だし、夏川の親友で、クラスのムードメーカーだからだ。

 俺自身はそれほど交流がないけれど、いつも率先してクラスを引っ張ってくれる渡瀬に信頼感を抱いている。

 今回も、彼ならなんとかしてくれると、俺は根拠もなくそう思った。


 だから俺は、渡瀬が鉛筆を握りしめていることなんて、気にもしなかった。

 渡瀬は、鉛筆の尖った先端が、固く握りしめた拳の小指側から伸びるようにしていた。


 渡瀬は机の間をゆっくり歩き、夏川の左側に立つ。

 夏川は気にもとめない。何も言わず、城崎先生の首を絞め続けている。


 渡瀬はおもむろに、鉛筆を握った手を振り上げると、尖った先端を、夏川の左目に突き刺した。


「は……?」


 さらなる凶行に、俺は呆然と声を上げる。

 それしかできなかった。

 今もしも、考える力が少しでも残っていたら、絶叫していただろう。

 それすらもできないくらい、硬直していた。


 でも、クラスメイト達は違った。

 渡瀬の手でえぐりだされた夏川の左目が、床にぽとんと落ちると同時に、全員が立ち上がった。

 さっき「起立」の号令がかかった時のように、一斉に。


 その手にはそれぞれ、適当な文房具を持っていた。

 ハサミとか、シャーペンとか、カッターとか。裁縫セットのマチ針を持っているやつもいた。


 ――それからの俺は、クラスで起きる出来事を、後ろの席から見ていることしかできなかった。


 皆が思い思いに、手に持ったもので仲のいいやつを突き刺したり、殴ったりし始めた。

 不思議なのは、誰も暴れていないことだ。

 攻撃する側もされる側も、誰も暴れたり、声を上げたりしなかった。


 俺がウッとなるような光景でも、当人たちは平然と、無表情で、無感動だった。

 血が流れているのに、痛がったり、怖がったりすることはなかった。

 機械の作業のように淡々と、手を忙しく動かして、誰かを傷つけていた。


(なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ……!?)


 俺は、見ていられずに、うつむく。

 でもそうすると、ぐちゃとかざしゅとか、そんな冗談みたいな音が余計にハッキリ聞こえてきた。

 震える手で耳を塞いでも、その音は耳の奥にずっと残っている気がする。


 たまに机に赤い点々も飛んできた。

 血だ。


(……映画とかで見たことはあったけど、実際の血って、生臭いんだ)


 呆然と、そんなことを考える。


 本当は、考えている場合じゃない。逃げないといけないんだとわかっている。

 でも、動けなかった。恐怖のあまり、腰が完全に抜けていた。漏らしていないのが不思議なくらい、下半身に力が入らなかった。


 俺は震えながら、耳をふさいで、うつむき続けることしかできなかった。

 クラスメイトの誰かの視線が、その手に持った凶器が、こっちを向かないようにと祈りながら。


 そんな時だった。

 閉まっていた教室のドアが、突然ガラリと開けられたのがわかった。力の入らない震える手では、耳をふさいでも結局、なんの防音にもなっていなかったから。


「ここにいたんだ~」


 続けて聞こえてきたのは、のんきで、少し舌っ足らずな声だった。

 あまりの場違いさに驚いて、固まっていた体が動く。


 顔を上げると、ドアの外に、見慣れない男が立っていた。

 男は茶髪で、右目にガーゼの眼帯をつけている。

 そして手には、サビが浮いた、へこみだらけの、少し曲がった鉄パイプを持っていた。


 男の服装は、ラフな白シャツと黒いズボン。制服ではない。

 年齢は同じくらいに見えるけれど、こんな男は見たことがなかった。

 うちの学校は茶髪禁止だし、生徒ではなさそうだ。

 まあ、茶髪どころか鉄パイプも禁止だろうけど。


 眼帯の男は扉をくぐると、今も傷つけ合うクラスメイトの中に、怖がることなく入っていった。

 そして――ちゅうちょなく、彼らの頭部を鉄パイプで殴りつけた。


 みし、めきょという嫌な音とともに、クラスメイトが吹き飛んで、動かなくなる。


 眼帯の男は細身だけれど、腕にはしっかりと筋肉がついていた。

 そのせいだろう。体格のいいクラスメイトも軽々と、鉄パイプで突き飛ばされた。

 眼帯の男はクラスメイトたちを次々に襲い、動かなくしていった。


 でも、クラスメイト側も一方的にやられてばかりではなかった。

 傷つけ合っていたクラスメイト達は、眼帯の男を共通の敵と認識したのか、バラバラに傷つけ合うのをやめた。そして、武器になってしまった文房具を眼帯の男へと向けた。


 クラスメイトが、再びプログラムみたいに一斉に、眼帯の男へと襲いかかる。


 眼帯の男は軽快に避けながら、容赦なく鉄パイプで生徒の腕や、肩や――頭を、殴りつけた。

 反撃を受けた生徒の中には、また起き上がるやつもいたけれど、ほとんどの生徒は起き上がらず、目を見開いたまま動かなくなった。


 ――死んだ、のかもしれない。

 眼帯の男が殺したのかも。

 恐ろしいことが起きていた教室に現れたのは、もっと恐ろしい男だった。


(早く終われ、夢なら覚めてくれ……!!)


 俺は再びうつむいて、震えることしかできなかった。


 血の気が引いて、全身が寒い。

 悲鳴をあげないようにすることで精一杯だった。あの恐ろしい眼帯男に立ち向かってクラスメイトを守るとか、そんなことは俺にはできっこなかった。


 夢だったらいいのに、血の臭いも人が殴られる音も体の寒気もすごくリアルで、夢とは思えない。


(嫌だ、怖い、怖い、怖い……っ)


 気づけば俺はボロボロと泣いていた。怖すぎると涙がでてくるんだと初めて知った。

 声が漏れないように――眼帯男の注意を引かないように、口を両手で覆って必死に息を殺す。自分の席に座ったまま。


 机の下に隠れるとか、そんな発想はなかった。

 本当の恐怖の前では、避難訓練は意味をなさなかった。


 ――やがて、音が止まった。

 いや、正確には眼帯男以外の音が、止まった。


 おそるおそる目だけ動かして見ると、クラスメイトは全員、動かなくなっていた。

 折り重なった生徒たちの体の向こうに、ぴくりともしない緑ジャージの足が見える。


 息づかいも、衣擦れの音もない。

 シンとした静寂の中で、自分の心臓の音と、鉄パイプの先端が床をカリカリとこする音だけが響いた。


「んしょ」


 眼帯の男が、生徒の体を踏み越える。

 踏み越えて――こちらへと、歩み寄ってくる。


 俺は絶望した。

 窓際の一番うしろの俺の席は、ドアから一番遠いのに。

 鉄パイプ男は、教室から出ていこうとせず、こちらに向かってきている。

 クラスメイトの死体をまたいだり、踏み越えたりしながら。


(嫌だ、嫌だ、嫌だ……!!)


「ねーえ」


 過呼吸を起こしそうなほどパニックになっている俺の頭上から、のんきで舌っ足らずな声が落とされる。


「だいじょうぶ? さむい?」


 カランと甲高い音がした。

 見れば、血まみれであちこち凹んだ鉄パイプが、床をカラカラと転がっていた。


 それを目で追っていると突然、背に何かが触れて、俺は「ヒィ!」と体を震わせる。


「よしよし、だいじょうぶだよー」


「ヒ、や、やめて……やめて……」


「やだ?」


 命乞いのようにつぶやくと、背中に触れていたものが離れた。

 それでようやくわかったけれど、背中に触れていたものは多分、男の手だった。

 男は俺の背を、ゆっくりと撫でていたらしい。


(な、何……?)


 俺は震えながら、男の方を見る。

 男は俺と同じ高校生くらいに見えた。

 でも、年齢にそぐわない、小学生みたいな幼い雰囲気がある。

 クラスメイトたちを鉄パイプで殴りつけたとは思えないくらいの、あどけなさ。


 男は、片方だけの黒い瞳で、なぜか――俺を心配そうに見ていた。


「サンちゃん、なにがやだ? おしえて?」


「え……」


 舌っ足らずに告げられた言葉に、ドキリとする。

 『サンちゃん』は、俺の愛称だからだ。

 両親と、親戚のおばさんたちだけがそう呼ぶ。おじさんやイトコ達からは『サンくん』だった。

 それ以外に俺を愛称で呼ぶ人なんていない。


 もちろん、この眼帯の男は親戚ではない。見覚えは一切なかった。


「サンちゃん?」


 鉄パイプ男は、黙ってしまった俺をきょとんと見つめる。

 その顔はあまりにも純真無垢に見えて、全身がクラスメイトの返り血で染まってさえいなければ、俺はこの男を怖くないと感じていたかもしれない。


「な……なんで……」


 俺は震える声で、呆然と問いかけた。


「な、なんでク、クラスのやつらを、こ、ころしたの」


 恐怖でアゴが震えて、とぎれとぎれになってしまった。

 でも眼帯の男は真剣な顔で、最後まで静聴する。


 そして俺が言い終わると、ニッコリと笑った。


「サンちゃんを守るためだよ!」


 男は明るい声で告げる。


 ガーゼ眼帯が真っ赤に染まるほど返り血まみれのくせに。

 まるで、真っ白な天使のように見えた。



「きみは、ぼくが命にかえても守るからね!」






 この日が、俺にとっては全ての始まりとなった。



 ――これは俺、鈴木散月が死ぬまでの物語だ。

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