☆33かいめ☆ 黄金の錬金術、黄色い閃光
ガチャリと鍵を開けてアパートのドアを押し開ける。
「ただいまー……っと、おい、走るな」
大地の言葉も待たず、ラビリスは我先にと陣地へと進入した。
彼女はドレスに合わせていた編み上げの黒ブーツを、ポイッ、ポイッと玄関に無造作に脱ぎ捨てると、一直線にベッドの上のウサギウスの元へと駆け寄っていった。
「ふむ。怠惰な奴とは違い、しっかりと両目を見開いて見張りをしていたようじゃな!留守の間、大儀であったぞ、ウサギウスよ!」
定位置から1ミリも動いていないウサギウスを両手で高く掲げ、満足げに褒め称える魔王の娘。
ちなみに比較対象にされた『リキ』は、キャットタワーの最上段で「にゃあ」と欠伸を一つして、再び丸くなっていた。
「そりゃそうだろ……。ほら、脱いだ靴はちゃんと揃える!すぐ飯にするから、とりあえずその無駄に目立つ服から部屋着に着替えろよ」
「むっ、無駄とはなんじゃ!余の正装を……」
「はいはい。おでん冷めるから早く着替える」
「おでん……?むむ、わかった!すぐに着替えるとしよう!」
未知の料理名に気を引かれたのか、ラビリスはウサギウスをベッドにそっと置くと、ハンガーラックの下に備え付けられた棚を開いた。
大地は小さくため息をつきながら、脱ぎ散らかされた小さなブーツを揃え、おでんの入った袋をキッチンへと運んでいく。
ドタバタとした長い長い一日が終わり、ようやく平穏な(?)夕食の時間が始まろうとしていた。
キッチンに立ち、買ってきたプラスチック容器のフタを開ける。
ブワッと立ち上った湯気と共に、カツオと昆布の出汁の香りが狭い部屋に広がった。
大地が飴色に染まった大根や、出汁を吸ったちくわをどんぶりに移し替えていると、ガチャリとドアが開き、ラビリスが顔を出した。
「着替えたぞ。これでよいのか?」
言いながら部屋から出てきた彼女は、先ほどまでの仰々しい漆黒のゴシックドレスから一転、薄手のグレーのパーカーと、動きやすそうなストレッチの利いた黒いハーフパンツという、極めてラフな出で立ちに身を包んでいた。
「あ、あぁ。いいんじゃないか?」
大地はトングを持ったまま、思わずまじまじと彼女の姿を見つめてしまった。
(……こいつ、なんでも着こなしやがるな)
パーカーの袖が少しだけ余って萌え袖のようになっており、ハーフパンツからは白くて細い足がすらりと伸びている。
ただの安い部屋着のはずなのに、彼女の透き通るような銀髪と整った顔立ちのせいで、まるで子供服ブランドのカタログ写真のように見えた。
(……ヒナが『着せ替えたい』って騒ぐ気持ちも、少しわかるな。ていうか……)
ふと、数時間前にコンビニのレジ前で、蓮が放った言葉が脳裏をよぎる。
『店長のスペックと遺伝子情報から、あのような奇跡的に可憐な生命体が誕生する確率は天文学的に――』
「…………」
大地は洗面所の鏡をちらりと盗み見し、再び目の前の圧倒的な美少女を見た。
(なんか、俺の『隠し子設定』が無性に悲しくなってきたぞ……。誰がどう見たって、絶対に血繋がってないじゃん……)
自分でついた嘘のダメージが、時間差で胃のあたりをチクチクと攻撃してくる。
理不尽な精神的ダメージに一人でうなだれるパパ(仮)をよそに、ラビリスはクンクンと鼻を鳴らした。
「む?なのじゃ、この匂いは。なんとも鼻をくすぐる、奥深い香りがするぞ!」
「あ、あぁ。今日の晩飯の匂いだよ。テーブル拭いて、座って待ってろ」
「うむ!」
大地の悲哀など露知らず、魔王の娘は未知の兵糧の匂いに目を輝かせ、パタパタとテーブルへ向かっていくのだった。
テーブルに置かれたどんぶりを覗き込み、ラビリスの真紅の瞳が怪訝そうに細められた。
「……パパよ」
「家の中では大地でいい」
「……大地よ。匂いは素晴らしいが、見事に茶色一色じゃな。魔界の沼地でも、もう少し彩りがあるぞ。泥水で煮込んだのか?」
「全国のコンビニおでん開発者に謝れ。これはめちゃくちゃ美味い出汁を極限まで吸い込んでる証拠だよ。ほら、冷めないうちにまずはこの丸いやつから食べてみろ」
文句を言うラビリスの小皿に、大地は一番の自信作である『大根』を取り分けた。
箸を入れるだけでスッと切れるほど、中まで飴色に染まりきったトロトロの大根だ。
ラビリスは疑り深い目でそれを見つめ、フォークで小さく切り取ると、恐る恐る口へと運んだ。
ハフッと熱々の大根を頬張った瞬間――。
カッ!と彼女の瞳が見開かれた。
「……ッ!!?」
「熱かったか?ふーふーして食えよ」
「な、なんじゃこれはーーーっ!!」
ラビリスはバッとその場から立ち上がり、小皿の大根をビシッと指差してワナワナと震えた。
「か、噛んだ途端に、中から熱い旨味の奔流が弾け飛んだぞ!?固形物を食べておるはずなのに、口の中が一瞬にして極上のスープで満たされた……!どうなっておるのじゃ!?」
「だから言ったろ、出汁を吸ってるんだよ」
「誤魔化せると思うな!さてはこやつ、ただの食い物ではないな!?『スープそのものを固形化する』という、極めて高度な錬金術が施された代物じゃな!?」
「ただの大根を長時間煮込んだだけだ。コンビニの企業努力を魔法にするな」
大地の冷静なツッコミも耳に入らないのか、ラビリスは「スープの結晶体……恐るべし」とブツブツ呟きながら、夢中で残りの大根を平らげてしまった。
「ふぅ……。見かけによらず、とんでもない破壊力を持っておったな。泥水ではなく、黄金の錬金術であったか」
「いや、普通の家庭料理だ。……ほら、次はこれだ。こっちも面白い食感だぞ」
すっかりおでんの虜になった魔王の娘の皿に、大地は次なる刺客として『ちくわ』と『白滝』を取り分けた。
「む?なんじゃこの、真ん中に穴の空いた奇妙な筒は。それに、この半透明の糸の束は……?」
未知の造形をした食べ物たちを前に、ラビリスの探求心は完全に火がついたようだった。
ラビリスはフォークでちくわを突き刺し、まじまじと観察した。
そして一口かじると、再び目を丸くする。
「むむっ!?弾力があるのに、噛めば海の味がするぞ!……なんという反発力じゃ!」
「それは魚のすり身を焼いたやつだ。……で、こっちの糸みたいなのも食ってみろよ」
ラビリスはコクリと頷き、出汁をたっぷり吸って茶色く染まった白滝の束をツルンと啜り込んだ。
「……ッ!!なんじゃこれは!?スライムの触手か何かか!?スープの旨味を見事に絡め取っておる!ぐぬぬ……ぷりぷりとしおって!けしからん!」
「スライム食わせるわけないだろ……。ていうかなんで怒ってんだよ」
ちくわの弾力と白滝の喉越しに、ラビリスはすっかりご満悦だ。
「この世界の食、やはり侮れん……」と呟きながら、パクパクとおでんを平らげていく。
その時だった。
ふと大地の皿に目をやったラビリスが、ピタリと動きを止めた。
「む?大地よ。そなた、先ほどから何やら『黄色い泥』のようなものを塗りつけておるな?」
彼女の真紅の瞳が、大地の小皿の端に添えられた『からし』を鋭く捉えていた。
「さてはそやつ、昼間の『白い練り物』の仲間じゃな!?魅惑のソースを自分だけ独り占めするとは卑怯な!余にもその黄色い練り物を寄越せ!」
「あー……いや、これは昼間のとは全然違うぞ。子供にはまだ早いって」
「子供扱いするでない!余は魔王の娘ぞ!」
フォークを突きつけて要求してくるラビリスに、大地は困ったように頭を掻いた。
ここで無理に隠すと、余計に舐めようとするのが目に見えている。
「はぁ……。んじゃ、ちょっとだけな。……言っとくけどこれ、『からし』っていって……昨日、お前が泣きながら悶絶した『わさび』の親戚みたいなもんだからな」
「なにっ……!?」
『わさび』という単語を聞いた瞬間。
ラビリスの動きが、石化魔法を受けたように硬直した。
「あ、あの……鼻の奥を強烈に貫いてくる、『緑の香草』の血縁者じゃと……!?」
「……表現が大げさなんだよ。まぁ親戚っつーか、属性が同じっつーか。ツーンとくるから、つけすぎると痛い目見るぞ」
大地が大根の上にほんの少しだけからしを塗り、ラビリスの皿に置いた。
魔王の娘はゴクリと喉を鳴らし、その『黄色いトラップ』が乗った大根を、親の仇でも見るような目で睨みつけるのだった。
(あの緑の香草の血縁……!しかし、ここで引いては魔王の娘として示しがつかぬ!)
ラビリスは意を決し、フォークに刺した大根をパクリと口に放り込んだ。
目をギュッとつむり、強烈な一撃に備える。
……が。
「……む?」
恐れていた、鼻を貫くような痛みは来ない。
それどころか、口いっぱいに広がる大根の甘みと熱い出汁に、ほんの微かなからしの『刺激』が絶妙なアクセントとして絡み合っているではないか。
味がピリッと引き締まり、先ほどまでの大根とは全く違う、一段階上の奥深い味へと進化している。
パァァッとラビリスの顔が輝いた。
「な、なんじゃこれは!想像しておった痛みはないぞ!むしろスープの旨味を引き立てる、見事な後方支援ではないか!!」
「だろ?そのちょっとした刺激が、優しい味のおでんには必須なんだよ。大人の味ってやつだな」
「くくく……脅かしておいてこの程度とはな!」
完全に調子に乗った魔王の娘は、テーブルに置かれた『からし』のチューブをひったくった。
「おい、やめとけって!それ以上はマジで――」
「えぇい、黙れ!この程度の調味料、余の強靭な肉体には全く効かぬわ!見よ、この黄色き魔力をたっぷり纏わせた最強のスライムを!」
ブチュゥゥゥッと。
彼女はフォークに巻きつけた白滝に、親指ほどの山盛りからしを投下し、そのまま豪快に口へと放り込んだ。
「ふはははっ、ムグムグ……む?」
その瞬間。
ピタッとラビリスの咀嚼が止まった。
時を同じくして、彼女の真紅の瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ち始める。
「はっ……ふっ……ふぐぐぐぐぐ……っ!?」
鼻から脳天へと突き抜ける、容赦のない黄色い閃光。
わさびをも凌駕するかもしれない、からし特有の揮発性の激痛が、彼女の鼻の奥を無慈悲に蹂躙した。
「あばばばばばっ!?痛い!痛いぞ!?鼻の奥で爆発魔法が起きた!!脳が焼かれるぅぅぅぅっ!!」
「あっはっはっは!!やっぱお前馬鹿だろ!!?あっはっはっは!!!」
「水!水を持てぇぇぇっ!!」
バタバタと悶絶しながら椅子から転げ落ちそうになるラビリスに、大地は呆れ顔で氷水の入ったコップを差し出す。
涙目になりながら水をがぶ飲みする魔王の娘の姿に、平和なアパートの食卓は笑いと悲鳴に包まれるのだった。




