☆31かいめ☆ 無邪気な絶対包囲網
「あー、やっぱり発注端末の調子がおかしいな。……ん?どうしたお前ら。急に静かになっ――」
バックヤードから出てきた大地の瞳が、レジ前でふんぞり返る漆黒のゴスロリ少女を捉えた。
一瞬、状況が理解できず彼の思考が完全に停止する。
(…………は?)
直後、とてつもない焦燥と冷や汗が、大地の頭と背中を埋め尽くした。
(な、なんでここにラビリスがっ!!?しかもなんでよりによって、一番目立つそのドレス着てんだよ!!)
彼が言葉を失い、魚のように口をパクパクさせていると、今度はラビリスが大地の存在に気づいた。
「む。なんじゃ、大地ではないか。ここがそなたの働く場所であったか」
「え?あ……いや、えーっと。……な、なんでお前、ここにいるの?」
「なに。少々この世界を視察しておったまでよ。しかしここは、随分と光り輝く立派な城じゃな」
(……いや、まぁ確かに家からそんなに離れてはないが……よりによって俺の職場をピンポイントで引き当てるか普通!?)
大地が内心で頭を抱えていると、そのやりとりを見ていたヒナが、獲物を見つけた獣のようなスピードで彼に食らいついてきた。
「ちょ!店長!この天使様と知り合いなの!!?一体どーゆーカンケー!!!?」
「いやいや、どういう関係って……き、近所の子供だよ!たまに遊んでやってるっていうか……」
「はぁー?ゼッタイ嘘!こんな天使様が近所のおじさんの職場にわざわざ来る!?しかも『大地』とか呼び捨てにしてるし、なんか謎の信頼関係みたいなの滲み出てるんですけど!?」
ヒナは身を乗り出し、ジリジリと大地を問い詰める。
「い、いや。話聞いてたろ?わざわざ来たんじゃなくて、たまたま来たんだよ」
だが、さらに悪いことに、尊死してフリーズしていたもう一人のアルバイトが、眼鏡を指で押し上げながら静かに復活した。
「……店長」
「ひっ、蓮……?」
二階堂 蓮は、いつもの冷徹な表情に戻っていた。
だが、その目の奥には尋常ではないほどの熱い光が宿っていた。
「『近所の子供』という主張には、大いに疑義があります。彼女の年齢、服装、そして平日の昼間に一人で出歩いているという状況……。これは児童福祉法および……いや、今はそんな些末な法律はどうでもいい」
「どうでもいいのかよ!?」
蓮はずいっと大地に詰め寄り、低く、しかし熱を帯びた声で言った。
「彼女の名前は?年齢は?好きな食べ物は?なぜ店長のような男に懐いているのですか?事と次第によっては、店長を告発し、私が保護する準備があります。さぁ洗いざらい吐いていただきましょうか」
「お前、そんな趣味あったのかよ!?てか絶対ただの私欲だろそれ!!」
アルバイト二人からの苛烈な尋問と狂気を一身に浴び、大地の胃はキリキリと音を立てて悲鳴を上げていた。
――一方その頃。
大人たちがレジ前で修羅場を繰り広げていることなど全く意に介さず、騒動の中心である魔王の娘は、店内の探索を存分にエンジョイしていた。
「ほぅ……!この透明な包みに入った茶色い紐、妙に食欲をそそるな。……む?こっちの冷たい箱の中には、色とりどりの水が売られておる。なんという毒々しい……兵士の士気を高めるための魔法薬か?」
ラビリスはとことこと陳列棚の間を歩き回り、パッケージを指差しては一人で感嘆の声を上げている。
大地の職場での平穏が、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
――その時。
店内を我が物顔で探索していたラビリスの足が、ある陳列棚の前でピタリと止まった。
(こ、これは……!)
彼女の真紅の瞳が、驚愕と歓喜に見開かれる。
そう。それはかつて、彼女を絶望の淵からすくい上げた至高の兵糧――。
(『じゃがりこ』!……しかも、こんなにも大量に積まれておるじゃと……!?)
ラビリスは、サラダ味やチーズ味がズラリと並んだ棚を、まるで救世主の神像でも仰ぎ見るかのような目で見上げた。
そして、一番手前にあったサラダ味をガシッと力強く掴み取ると、一直線に大地の元へと駆け出した。
一方、レジ前では大地の社会的な死を賭けた攻防が続いていた。
「で?ホントはどうなの?まさか『隠し子』とかじゃないよね?」
「あ、あほか!俺はずっと独身だって言ってんだろ!?ここ何年も彼女すらいないのに、隠し子なんて作れるか!」
「……千家さん。流石にそれは論理的飛躍が過ぎます。店長のスペックと遺伝子情報から、あのような奇跡的に可憐な生命体が誕生する確率は天文学的に――」
「お前は俺をフォローしてるのかトドメを刺しにきてるのかどっちだ!?」
その阿鼻叫喚のやりとりに割り込むように、トテテテッと軽い足音を立ててラビリスが駆け寄ってきた。
言い争っていた三人が、ピタリと沈黙して彼女を見下ろす。
蓮とヒナは尊いものを見る目で、大地は嫌な予感に顔を引きつらせて。
ラビリスは、大地の焦燥しきった顔を見て、得意げにフッと微笑んだ。
(……わかっておるぞ大地よ。ここは外。他の人間どもが大勢おる場所じゃ。ならば、身分を偽るために『こう』呼ぶのが正解なのであろう?)
彼女は、以前大地から教えられた「外での設定」を完璧にこなすべく、胸を張った。
「コホン」
ラビリスは一つ、わざとらしく咳払いをして、高らかに言葉を紡いだ。
「……『パパ』よ。余はこの『じゃがりこ』を所望する」
「…………」
「…………」
「…………」
コンビニの店内に、真空のような沈黙が落ちた。
陽気な店内放送だけが、空気を読まずに流れ続けている。
「……え、あ」
大地は、全身から血の気が引いていくのを感じた。
終わった。俺の39年の人生が、たった二文字……いや、一文字の連続で、今、完全に終わった。
「パ、パパ……」
ヒナが、限界まで目を見開いてわなわなと震えている。
「店長……。貴方という人は……」
蓮が、スッとレジの下から防犯用のカラーボールを取り出した。
「な、ちがっ!違う!!これはそういうんじゃなくてだな!!誤解だぁぁぁぁっ!!」
防犯用カラーボールを構える蓮と、スマホの通報画面を開きかけるヒナを前に、大地の39年間の人生で最大の弁明タイムが始まった。
「よ、よく聞けお前ら!この子はご近所さんの子で!ちょっと懐かれてて、おままごとの延長っていうか……そう!『パパ』って呼ぶ遊びにハマってるだけなんだよ!」
大粒の冷や汗を流しながら、身振り手振りを交えて苦しすぎる言い訳を必死にまくし立てる。
しかし、アルバイト二人の視線は、極地を吹く吹雪のように冷たい。
「……ほぅ。ご近所の子供が、平日の昼間にわざわざ店長の職場まで『じゃがりこ』をねだりに来る、と。随分とアクロバティックなご近所付き合いですね」
「てか店長、目が泳ぎまくってんですけどー。ガチでヤバいやつじゃん……」
「本当だ!本当なんだってば!な、ラビリス!お前、俺の子供じゃないよな!?」
大地はすがるような目でラビリスを見た。
彼女は、大人が三人揃って何やら慌ただしくしているのを不思議そうに見上げながら、じゃがりこ(サラダ味)を胸に抱きしめた。
「む?何をそんなに慌てておるのじゃ、パパよ。……あ、そうじゃ。報告しておくことがあった」
(よ、よし!ここで『家は隣だ』とか適当なことを言ってくれれば……!)
大地が祈るように見守る中、ラビリスはコホンと咳払いをして、高らかに言い放った。
「留守番中、ずっと観察しておったが……あの黒き魔獣の『リキ』、いくらなんでも眠りすぎではないか?余がツンツンと小突いても起きんかったぞ。我が城の防衛を任せるには、少々たるんでおる」
「「…………リキ?」」
ヒナと蓮の声が、見事にハモった。
『リキ』。それは、大地が休憩時間などにデレデレしながら写真を見せてくる、彼が溺愛している飼い猫の名前である。
「な、なぁんで近所の子供が、店長の家の猫ちゃんとそんな濃厚接触してんの……?」
「お、おいラビリス、馬鹿!お前なに言って――」
「おぉそれと、もう一つじゃ」
大地の制止を華麗にスルーし、ラビリスはじゃがりこでビシッと大地を指差した。
「今日、余のために置いていった『おにぎり』なる玉じゃが。中に入っておった、あの白い練り物……あれはなかなか美味であったぞ!褒めてつかわす!」
「「…………今日、置いていった、おにぎり?」」
再び、二人の声がハモる。
そして、レジの奥に広がる空気は、絶対零度を下回った。
「……証言が完全に出揃いましたね」
蓮が、クイッと中指で眼鏡を押し上げた。レンズが白く光る。
「『飼い猫との接触』。そして『昼食の作り置き』。……千家さん、これは疑いようのない『同棲、あるいは監禁』の決定的な証拠です」
「ちょ、店長……マジでシャレになんないんだけど……。アタシ、どこに電話すればいいの?警察?それとも児童相談所……?」
「ちがぁぁぁぁぁっ!!!頼むから話を聞いてくれえぇぇぇっ!!!」
大地の悲痛な叫びが、コンビニの店内に虚しく響き渡る。
『パパ』という一撃で開いた穴に、『リキ』と『おにぎり』という名の土砂が流れ込み、大地の退路は完全に、そして完璧に埋め立てられたのであった。
「で?このじゃがりこ、開けてよいか?」
騒動の中心である魔王の娘だけが、全く空気を読まずに目を輝かせていた。
(どどどうする!?ここで『実は帰り道で拾った魔王の娘なんだ。あはは』なんて言ったら、速攻で警察送りだぞ!かと言って、この状況証拠……完全に事案だ!)
絶体絶命の窮地に立たされた大地の脳内は、かつてない速度でフル回転していた。
しかし、彼に突きつけられた選択肢は、もはや「犯罪者」か「父親」の二択しかなかった。
覚悟を決め、大地はラビリスの手にあった『じゃがりこ(サラダ味)』を取った。
「わかった、じゃがりこだな。買ってやるから、ちょっと奥の部屋に入ってろ」
自腹で小銭をレジに置き、バーコードをピッと通す。
そして、ポカンとしている魔王の娘の背中をグイグイと押し、有無を言わさずバックヤードへと追いやった。
「む?なにをするパパよ。余はまだこの城の視察を……」
「いいから!その中で大人しくじゃがりこ食ってろ」
バタン!
扉を閉め、物理的に『爆弾』を隔離する。
扉の向こうからは「おぉ……!ここにも菓子が山のように積まれておる……!」という歓喜の声が微かに聞こえてきたが、今は放置だ。
大地がゲッソリとした顔で売り場に振り返ると、アルバイト二人が腕を組んで待ち構えていた。
「……さぁ、店長。言い逃れはできませんよ」
「……あー、くそっ!わかった、わかったよ!!」
彼はヤケクソ気味に天を仰ぎ叫ぶ。
「……あぁそうだよ!俺の子供だよ!!色々あって最近引き取ったんだよ!!悪かったな隠してて!!」
その言葉が響いた瞬間。
「やっぱりーっ!!」
「……やはり。しかし、店長の遺伝子からあの奇跡の造形が……?ブツブツ」
ヒナが納得の声を上げ、蓮が未だに生物学的な矛盾に頭を抱える。
「……店長。アタシに『一生独身かも』とか『休日は猫としか喋ってない』とか言ってたくせに、大嘘つきじゃん!」
ヒナが頬を膨らませて抗議する。
「うっ、す、すまん……」
「でも!」
彼女は一転して、推し活中の乙女のようなキラキラした目を向けた。
「あんな激カワな天使ちゃんを隠してたなんて許せないけど……これからも拝めるなら、まぁ許してあげる!てか、次は絶対アタシにお洋服のコーディネートさせてよね!店長のセンスじゃあの子のポテンシャル活かしきれないし!」
(……着せ替え人形にされる未来が確定した)
大地が内心で頭を抱えていると、今度は蓮が眼鏡をスッと押し上げて一歩前に出た。
「私としては、店長のスペックからあのような完璧な造形が生まれるという事実に、全くもって納得がいっていません。DNA鑑定を要求して、世界の真理を正したい衝動に駆られています」
「お前は相変わらず容赦ないな……」
「しかし」
蓮の無表情な顔に、ほんのわずかな、しかし確かな『信仰』が混じる。
「もし、あの方……いや、ラビリスちゃんが定期的にこの店を『視察』に訪れ、私がその御姿を拝謁し、ささやかながら貢物を捧げることが許されるのであれば……この件に関する法的な追及は、無期限で保留といたしましょう」
「……お前、ただ拝み倒したいだけだろ」
アルバイト二人のあまりにも現金な、そして私欲にまみれた妥協案を突きつけられ、大地は深く、深くため息をついた。
どうやら、俺の平穏で無色透明だったコンビニ生活は――魔王の娘と厄介な部下たちによって、完全に終わりを告げたらしい。
バックヤードからは、じゃがりこをカリカリと貪る平和な咀嚼音が、かすかに漏れ聞こえていた。




