☆27かいめ☆ 戦場の仲間たち
月曜日の朝。
週末の余韻を断ち切るように、カーテンの隙間から鋭い日差しが差し込んでいる。
「……よし。行ってくるぞ、ラビリス」
制服の上にパーカーを羽織った大地は、玄関で靴紐をきゅっと結び直し、背後に声をかけた。
これから始まるのは、剣と魔法の冒険ではなく、レジ打ちと品出しの労働だ。
「うむ。……武運を祈る」
見送りに出てきたラビリスは、パジャマ姿のまま腕を組み、どこか神妙な面持ちで深く頷いた。
その表情は、まるで戦場へ赴く将軍を見送る参謀のようだが、頭には寝癖がぴょこんと跳ねている。
そして、その小さな胸元には――。
「……鍵、無くすなよ?」
「愚問じゃ。この『城の鍵』、我が命に代えても死守してみせよう」
彼女の首から下がっているのは、さっき渡したばかりの銀色の鍵。
落とさないようにと大地が即席でつけた紐で、しっかりとぶら下げられていた。
「……いいか、鍵だけじゃなくて『掟』も守れよ?知らない奴にはついて行くな。家の場所は教えるな。あと、火遊びは厳禁だぞ」
「くどいぞ。余を誰じゃと思うておる。この城の守護は完璧じゃ」
「……頼もしいこって」
大地は苦笑し、彼女の頭に手を伸ばした。
ポンと軽く一度だけ撫でる。
以前なら手を払いのけていただろうが、今は「ふん、子供扱いしおって」と口では言いつつも、抵抗せずにその温度を受け入れている。
「じゃあ、行ってきます」
「うむ。……早めに帰還せよ」
ガチャン。
重い鉄の扉が閉まり、鍵がかかる音が響く。
大地は一人、朝の通勤路へと歩き出した。
背中に感じる静寂。
昨日までの賑やかな週末とは違う、いつもの月曜日の空気。
すれ違う人々も、皆どこか急ぎ足で、無機質な日常へと向かっている。
だが、彼の胸の奥には「帰る場所」があるという、じんわりとした温かさが残っていた。
――数分後。
自動ドアが開く軽快なチャイム音を背に、大地はバックヤードの重い扉を開けた。
手には、自店で買ったばかりのブラックコーヒーが握られている。
「おはようございまーす」
「……おはようございます、店長。……いつもより3分、早着ですね」
パソコンのモニターから視線を外さず、冷静な声が返ってきた。
声の主は、背筋を伸ばして座る長身の青年――『二階堂 蓮』。
黒髪をワックスできっちりと撫で付け、銀縁メガネの奥から鋭い光を放つ彼は、現役の法学部生でありながら、この店を陰で支えるバイトリーダーでもある。
その制服には、一点のシワも存在しない。
まるでアイロンをかけたばかりのようなパリッとした着こなしは、彼の性格そのものを表していた。
「おぅ、おはよう蓮。……相変わらず早いな。もう引き継ぎ終わったのか?」
「えぇ。深夜帯の売上データ、廃棄ロスの計上、すべて処理済みです」
蓮はメガネを中指でクイッと押し上げる。
「……それと、おにぎりの発注数に明らかな入力ミスがありましたので、修正しておきました。あのままでは、廃棄の山を築くところでしたよ」
淡々と告げられる報告。
感情を表に出さないその姿は、まさに『完璧』の一言。
だが、大地は知っている。
彼がこれほどまでに有能なのは、単に仕事ができるからだけではない。
彼の中にある「秩序」を乱されることを、生理的に、かつ極端に嫌う潔癖な性格ゆえだということを。
「助かるよ。やっぱりお前がいると安心感が違うな」
「当然です。店長の『うっかり』は計算の範囲内ですから」
蓮はキーボードを叩く手をピタリと止め、くるりと椅子を回転させて大地に向き直った。
そして、メガネの奥の鋭い瞳で、じっと大地の顔をスキャンするように観察し始める。
「……ん?なんだよ、顔になんかついてるか?」
「いえ。……少々『異常』が見られたので」
「異常?」
「……店長の顔色です。先週と比較して、肌の血色が有意に向上しています。それに、目の下のクマも、改善傾向にありますね。……何か、生活習慣を変えましたか?」
(……ギクッ!)
大地の心臓が跳ねた。
まさか「異世界から来た魔王の娘を拾って、一緒に暮らしはじめた」なんて言えるはずもない。
だが、ラビリスに合わせた規則正しい食事や睡眠、そしてドタバタ劇による適度な運動が、図らずも大地の健康改善に効果をもたらしていたらしい。
「あ、あー……。いや、ほら、ちょっと『自炊』を始めたんだよ。最近、野菜とか意識して食うようにしててな」
「ほぅ。自炊ですか。…………弁当の廃棄率に影響が出る懸念がありますが、店長の健康維持は店舗運営のリスク管理上、推奨されるべき案件ですね」
蓮はふむ、と納得したように頷き、再びモニターへと向き直った。
(ふぅ……危ない危ない。こいつの観察眼は侮れん……)
大地が冷や汗を拭い、コーヒーで乾いた喉を潤そうとした、その時だった。
バァン!!
静寂を愛する蓮の眉間がピクリと跳ねた。
バックヤードの扉が勢いよく開かれ、朝の眠気を吹き飛ばすような爆音が飛び込んできたからだ。
「おっはよーございまーす!あ、店長、蓮パイ(蓮センパイの略)、おつかれーっす!」
嵐のように現れたのは、明るい茶髪をサイドテールに結んだ女子高生――『千家 ヒナ』だ。
今日は高校が入試期間で休みのため、制服ではない。
ダボッとした大きめのブルゾンに、ダメージ加工のショートパンツ。
足元は厚底のスニーカーという、いかにも「今どきのJK」なストリートファッションに身を包んでいる。
そして例のごとく、バッグには大量のキャラクターキーホルダーがジャラジャラと騒がしい音を立てて揺れていた。
「……おはようヒナ。今日も元気だな。……入試休みだからって、羽伸ばしすぎじゃないか?」
「えー?無理無理!せっかくの連休だし?テンション上げてかないと損じゃん!……てか店長!なんか今日、雰囲気違くない?」
ヒナは大地にズイズイと詰め寄ると、上目遣いでジロジロと顔を覗き込んだ。
甘い香水の匂いが、ふわりと大地の鼻をかすめる。
「え、またかよ……。さっき蓮にも言われたけど、そんなに違うか?」
「違う違う!全然違う!なんかこう……先週まで漂ってた『枯れたおじさんオーラ』が薄まってるっていうか?なんか……『生気』がある!」
「……枯れたおじさんって……」
「あ!わかった!」
ヒナはポンと手を叩き、イタズラっぽくニヤリと笑った。
「もしかして店長……カノジョできた?」
「ブフォッ!?」
大地は盛大にむせ返り、飲みかけのコーヒーを床にぶちまけそうになった。
「な、ないない!そんなわけあるか!39歳独身、もはや彼女を作る望みなんてほとんどないんだぞ!」
「えー?マジでー?……でもなぁ、なんか怪しいんだよなぁ……」
ヒナは名探偵のように顎に手を当て、ニヤニヤと大地を見つめる。
その視線は、獲物を狙う小悪魔そのものだ。
「蓮パイはどう思う?」
「……統計データと店長のスペックから算出するに、現時点で店長に恋人ができる確率は0.02%未満です」
「おい蓮、それ地味に傷つくぞ。せめて1%くらい残してくれ」
「ですが……」
蓮はメガネの位置を指先で直しながら、冷静に続けた。
「確かに、精神的な『充足感』があるように見えますね。孤独な中年男性特有の悲壮感が消えています。……例えば、そうですね。『ペット』でも飼い始めたとか」
(……っ!?)
「あー!それだ!猫?犬? ……店長、絶対なんか新しいの飼ったっしょ!」
ヒナが目を輝かせて食いつく。
(鋭い……鋭すぎるぞ、お前ら……!)
確かに、猫は以前から飼っている。
だが、二人が感じ取っている変化の源泉は、間違いなく最近住み着いた「もう一匹」の方だ。
手のかかる、しかし賑やかな同居人。
ある意味では「ペット」と言えなくもないが、そんなことを口走れば即座に社会的に抹殺される。
「い、いや、新しいのは飼ってないぞ?ほら、前から言ってる黒猫のリキがいるだけで……」
「えー?リキちゃんだけー?」
ヒナは納得がいかない様子で、さらにジリジリと距離を詰めてくる。
このままでは、ボロが出るのも時間の問題か――。
大地は必死に話題を逸らそうと試みた。
この勘の鋭い若者二人にラビリスが見つかったら、質問攻めにあうどころか、別の意味で危険な予感がする。
「と、とにかく、無駄話はここまでだ。ほら、そろそろ朝のピークが来るぞ!品出しとレジ、頼んだぞ!」
「はーい!りょーかいっす!行ってきまーす!」
ヒナはビシッと敬礼し、元気よく売り場へと飛び出していく。
「承知しました。……店長、名札が3度ほど右に傾いていますよ」
「……うっさいわ。早くいけ」
蓮は最後にチクリと指摘を残し、涼しい顔でレジへと向かった。
嵐が去り、ようやくバックヤードに静寂が戻る。
「……ふぅ」
大地は大きく息を吐き、ロッカーの扉についている鏡を覗き込んだ。
(……そんなに顔に出てるのか、俺)
鏡の中の自分は、確かに以前のような「無色透明」で疲れ切った顔ではなく、どこか生き生きとした表情をしているようにも見える。
目の下のクマは消え、肌には血色が戻っている。
家に帰れば、あの小さな同居人が待っている。
「おかえり」ではなく「遅いぞ」と文句を言われるかもしれないが、それでも待っている誰かがいる。
たったそれだけのことで、この退屈な日常が、急に鮮やかに色づいて見えるのだから……人間とは、なんとも現金なものだ。
「……よし、稼ぐか!」
大地はパン!と両頬を叩いて気合を入れると、自身も売り場へと向かった。
「いらっしゃいませー!」
自動ドアのチャイムが鳴り止まない。
通勤ラッシュに入り、コンビニは「戦場」と化した。
近隣の工事現場の作業員やサラリーマンたちが雪崩のように押し寄せる。
レジ打ち、ホットスナックの補充、宅急便の受付。
大地は店長として、そして二人の若手のフォロー役として、店内を駆け回っていた。
「店長、レジお願いします!タバコの検品入ります!」
「おう、今行く!」
「あ、店長!コピー機の紙が切れたってー!ヘルプ!」
「わかった、すぐ行く!」
忙しい。だが、不思議と苦ではない。
以前なら舌打ちしていたはずのこの忙しさが、今は時間を忘れさせてくれる心地よい喧騒に感じられた。
ふと時計を見ると、もう昼を回っている。
(……あいつ、今頃どうしてるかな)
思考は自然と、家で待つ小さな同居人へと飛ぶ。
作り置きしておいたおにぎり(ツナマヨ)は食べただろうか。
テレビのリモコンの使い方は覚えただろうか。
まさか、ニュースキャスターに向かって喧嘩を売ったりしていないだろうか。
(……寂しがってないか?雷とか鳴ったらどうする?いや、魔王の娘だし大丈夫か……?)
そんな親馬鹿じみた心配をしながら、レジ横のホットドリンクを整理していると。
隣で品出しをしていたヒナが、親子連れの客を見送りながら、ポツリと漏らした。
「……てかさー、店長。あの噂、マジなのかな?」
ヒナは品出しの手を休めず、声をひそめて言った。
「ん?なんかあったのか?」
大地はリストと棚を交互に見ながら、手短に返す。
「なんかねー、最近この辺で『不審者』が出てるらしいよ?公園とかでさ、小さい子に『お菓子あげる』とか言って声かける、超怪しいヤツがいるんだって」
「……マジか」
「だからケーサツもパトロール強化してるみたい。さっきも店の前、お巡りさんがチャリで通ってたし」
その言葉を聞いた瞬間に脳裏に蘇ったのは、今朝、玄関先でラビリスと交わした会話だ。
『知らない人にはついて行くな』
『不審者には気をつけろ』
(……まさかな)
大地は嫌な予感を振り払うように首を振った。
ラビリスは賢い。それに、あの尊大な態度だ。
知らない人間にホイホイついて行くようなタマではないはずだ。
「ま、警察が巡回してくれてるなら安心だろ」
「そだねー。変なヤツいたら、アタシがボコボコにしてやるし!JK舐めんなよー?」
ヒナは「シュッ!シュッ!」と空手チョップの真似をして笑った。
――その頃。
大地の心配をよそに、魔王の娘は首から下げた「城の鍵」と、ポケットに忍ばせた「護衛(玉子侍)」を携え、まさにその『危険地帯』へと、堂々たる足取りで侵入しようとしていた。
「ふむ……。ここが人間どもの『修練場』か。……悪くない」
彼女の瞳には、遊具たちが未知の兵器に見えているのか、それとも征服すべき領土に見えているのか。
その背中は、これから起こる騒動など微塵も知らず、無駄に自信に満ち溢れている。
運命の(?)邂逅まで、あと数分。
大地の平穏な職場とは対照的に、外の世界では今まさに――「魔王軍 vs 国家権力」のゴングが高らかに鳴ろうとしていた。




