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二幕 狸戦 その二 涼川定平

 翌日、霧島天晴(きりしまてんせい)は朝早くに外へ出て、依頼主を探しに行く。


 ひんやりとした空気の中、森を抜け、街道へと歩を進めていた。

 軽装ながら腰の刀は常に手の届く位置にあり、歩調に無駄はない。


 向かう先は、南方の城下町。

 砦と町を繋ぐ幹道沿いには茶屋や行商の声が響いており、平穏とは言えぬまでも、戦火の匂いは遠かった。


 ……だが、天晴が街道に差しかかるや否や、その静けさを破るように、ひとつの影が現れた。


「……もしや、あなた様は、霧島天晴殿に相違ありませんか?」


 声をかけたのは、旅装束に身を包んだ若い侍だった。

 身なりは簡素だが、所作は整い、腰の佩刀は未使用の艶を保っている。


 天晴は足を止め、目だけで相手を捉える。


「……名は」


「私は涼川家の遣い、酒倉大和(さかくらやまと)と申します」


 名乗りと同時に、深々と頭を下げた。

 その姿には、武家の礼儀と共に、本物の相手を前にした時の緊張がにじんでいた。


「我が主、涼川定平(すずかわさだひら)様が……貴殿にぜひ一度、お目通りを願いたいと」


「依頼か?」


「はい。戦の事ではございませんが、放ってはおけぬ事案と……定平様は仰せです。どうか、一度屋敷まで」


 天晴は一瞬だけ思案したが、すぐに頷いた。

 遣いの姿勢が本物だったからだ。

 偽りの依頼は、遣いの態度で分かる。必要以上に丁寧すぎる者、軽薄に近づく者。だが、この男の立ち居振る舞いには、誇りと節度があった。


「案内しろ」


「はっ!」


──────


 しばらく道を進んだ先。

 城下町を越え、丘の上にそれはあった。


 石垣に囲まれた屋敷は、四季の植栽に囲まれ、白壁と黒瓦が調和していた。

 中庭には水路が巡らされ、足元の砂利道までもが手入れされている。

 門の前で侍女たちが出迎え、静かに頭を下げた。


「霧島天晴殿、お待ちしておりました」


 大和が屋敷の奥へと天晴を案内する。

 廊下は広く、床板は一分の軋みもなく磨かれていた。飾られている屏風や掛け軸も一流のものであることが見て取れる。


 だが、天晴の目はそれらを流すように見ただけで、足は止めない。

 刀に手を添えることなく、緩やかな歩調で進み続ける。


 やがて、障子の奥から声がかかる。


「入ってもらえ。……お待ちしていた」


 座敷に迎え入れられた天晴の前にいたのは……

 薄い水色の羽織を纏い、髭を整えた男。温厚そうな面持ちにして、眼差しだけは鋭い。


 男の名前は涼川定平。

 街を治める大名であり、文と武を兼ねた城の主。


「ようこそお越しくださった。霧島天晴殿……いや、"孤高の雇われ侍”とお呼びすべきか」


 静かに茶を差し出しながら、定平は笑った。


 座敷の中は、しんと静まり返っていた。

 障子越しに射し込む陽が、畳の上に細長い影を落としている。


 涼川定平が湯飲みをそっと置く。

 その手つきに、年輪を感じさせる重みがある。だが、口元の笑みは柔らかだった。


「天晴殿。あなたに頼みたいのは……盗賊団『(たぬき)』の退治だ」


 言葉は単刀直入だった。

 だが、その口調に焦りも苛立ちもない。ただ、的確に情報を差し出す声音だった。


「近頃、我が領の南市で夜盗が頻発しておりましてな。被害は物資や倉庫だけに留まらず、商人や女中までもが襲われている。……このままでは、町の民心が揺らぎます」


 天晴は何も言わず、ただ耳を傾けていた。

 依頼に対する判断は、情報を聞き切ってから。それが彼の流儀だった。


 定平は続ける。


「狸と名乗るこの賊たちは、どうもただの山賊ではないようです。装束や襲撃の型からして、どこか武家の素養を感じる。加えて、隠れ里に潜伏しているという噂もある。……そうなると、追うだけでは終わらぬ」


 そこで、定平の視線が天晴に向けられた。

 言葉を選ぶように、一呼吸の間を置いて、告げた。


「……この件、あなたの力を借りたい。だが、今回は貸し借りではない。あくまで協力という形で、あなたに働いていただきたい」


 霧島天晴の眉が、ほんのわずかに動いた。


「協力?」


「そうだ。あなたは報酬で動く侍であると、私も聞いている。だが……今回の件は、我が方も全面的に力を貸す。情報、人手、装備、何でも言ってくれ。必要とあらば、兵を二十名つけることもできる」


 定平の目は真っ直ぐだった。

 その言葉が偽りでないことは、天晴にも分かった。

 ……だが、それがかえって、奇妙だった。


 協力という言葉。

 これまでの依頼は、あくまで『力を貸せ』『力を使わせろ』というものばかりだった。


 刀を振るう腕を金で買い、消耗させる者たち。

 そこに信頼や並列などというものはなかった。

 天晴もそれを求めなかった。ただ必要とされれば斬り、終われば報酬を受け取って去る。それだけだった。


 だから、目の前の男の言葉には……戸惑いがあった。


「……協力というならば、わしにも断る自由があるということだな」


 静かな声だった。


 定平は頷く。


「当然ですとも。私があなたに求めているのは、命令ではない。対等の力としての申し出です」


 天晴はしばし黙し、視線を障子の先に投げた。

 風が揺らす庭の木々。敷き詰められた飛び石。……力を求めていない場所の風景。


 こんな屋敷に招かれたのも、異例だった。

 この椅子も、この茶も、この待たれていたという空気も、馴染まない。


 けれど、嫌悪ではなかった。

ただ、慣れていないだけだった。


「……引き受けよう。報酬はきっちり仕事分、後払いだ」


 定平はふっと目を細め、笑った。


「承知しました」


 その答えを聞いた酒倉大和が、すぐに立ち上がって部屋を出ていく。どうやら、支度はすでに整っていたようだ。


 定平は、膝の前に手を添え、深々と頭を下げた。


「霧島天晴殿。どうか、この城下町の民に力を貸してやってください」


 天晴は何も返さなかった。

 ただ一つ、刀に軽く手を添え、立ち上がった。



二幕その三に続く

登場人物紹介

涼川定平

54歳の男性。このあたり一帯を治める大名。最近、狸と呼ばれる盗賊団が町を荒らして手もつけられないため、天晴に始末を頼む。いい人で、天晴が盗賊団を倒すなら協力は惜しまず、手を尽くしてくれる。位の高い大名で、優秀な家臣や侍女もついている。まるで、彼の優秀さ、人望の高さをそのまま表しているようである。

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