一幕 焔牙戦 その四 冷徹
赤城烈火が薙刀の柄をつかみ、大きく振るう。
霧島天晴が身を翻し、再び懐へ入り込もうとした、その瞬間だった。
……轟音。
砦の奥から、破裂するような爆発音が響いた。
大地が揺れ、砦の壁が一部崩れ落ち、木片と瓦礫が宙を舞う。
「……っ!?」
「な、何事だ!」
焔牙の武士たちが一斉に騒ぎ始める。
爆煙と灰塵が辺りを包み、空気が熱を帯びた。
烈火が思わず薙刀を引いた。
天晴もまた一歩後退し、視線を砦のほうへ向ける。
直後……砦の屋根の上に、影がひらりと現れた。
黒衣に包まれ、顔を覆面で隠した者たち。動きに一切の無駄がない。忍びだ。
そのうちの一人が、すっと天晴の背後に降り立つ。
身構えることなく、ただ平然と告げる。
「……任務は完了した。戻っていいぞ、天晴」
周囲には、既に薄い煙幕が張られている。視界が白く霞み、砦の武士たちは動揺を隠せない。
烈火が目を見開いた。
「…黒布、か……!」
煙の中で声を絞り出す。
「…貴様、最初から……時間稼ぎだったのか……」
天晴は何も答えなかった。
ただ、背後の忍びが一歩前に出て言葉を重ねる。
「赤城烈火は戦闘で注意を引きつけられた。砦の図面通り、爆薬の仕込みは完了。……あとは撤収するだけだ」
淡々と報告するその声には、戦の熱も誇りも、何一つ宿っていない。
烈火が、歯を食いしばった。
「貴様……それが、任務というやつか……!」
天晴は、ようやく一言だけ返した。
「……そうだ」
薙刀を構える烈火の手に、震えが走る。
刀では勝てず、薙刀でも届かず、最後には戦場そのものを奪われた。
そして……決着すら、つけさせてもらえなかった。
白煙が、戦場を包み込んでいた。
視界が霞む。地面も空もわからない。足元すら曖昧な霧の中、焔牙の武士たちは動きを封じられていた。
「くそっ…前が見えん……!」
「味方の位置も……わからねぇ!」
耳に届くのは、爆発の余韻と、瓦礫が崩れる音。
その中に、妙な音が混ざる。
……スッ。
……ザシュ。
空気を裂く音、何かが地に崩れ落ちる音。
「っ……うあっ!」
叫びがあがる。続けざまに、複数の呻き声。
煙幕の向こうから聞こえてくるその音に、武士たちは戦慄した。
「ど、どこだ!? 敵はどこに……」
返事はなかった。
代わりに現れるのは、漆黒の影……忍び。
黒布の者たちは、声を上げず、音を立てず、ただ静かに、確実に、獲物を刈っていく。
武士の構えも、薙ぎ払いも、煙の中では意味をなさなかった。
位置が読めない。姿が見えない。
そして……斬られる。
まるで一方的な虐殺だった。
その光景を、天晴は振り返らなかった。
黒衣の影のひとつとして、黙々とその場を後にする。
地を踏む音すら最小限に、忍びたちの流れに乗って、ただ任務通りに撤収するだけ。
刀は既に鞘に収まっていた。
もはや振るう必要はない。今ここにある殺しは、己の手によるものではない。
そして……その静寂を破る声が、砦の奥から響いた。
「……ちくしょおォッ!!」
烈火の声だった。
砕けた石壁の向こう、炎の残る瓦礫の中に立ち尽くした男の叫びは、煙幕の中でさえはっきりと響いた。
そうして……反乱武士軍は、赤城烈火は終わった。
天晴は背を向けたまま歩き続ける。
雇われた者としての責務は果たした。報酬も、戦いも、すべては終わった。
……煙の向こうには、次の依頼が待っているだけだ。
影が霧の中に溶けていく。
烈火の声が、なおもこだまする中、砦の煙はなお、空に広がっていた。
──────
砦を離れてしばらく。
山の斜面を越えた先に、黒布の拠点がある。樹々に紛れた隠し扉の奥、土と石で組まれた簡素な構造。明かりは少なく、声もない。
ここは影の棲家。
その一角に、黒ずくめの男が一人、佇んでいた。
鋭い眼差しと締まった顎。腰には二本の短刀を携え、静かに佇む姿は、ただの使いではない。
黒布幹部、迅。
天晴が姿を現すと、迅は目だけを向け、口を開いた。
「任務、ご苦労だった。……焔牙は壊滅し、烈火も討ち取れた。砦の構造の無力化にも成功。計画通りだ」
迅の声は、感情の起伏に乏しい。だが、淡々とした中にも、天晴への敬意がわずかに含まれていた。
天晴は立ち止まり、表情を変えずに返す。
「混乱の起点として利用された。それだけの話だ」
迅はわずかに口角を上げた。
「やはり合理的だな、噂通りだ」
彼は傍らの木箱から、一つの袋を取り出した。小さな金属音が中で響く。
「……これが報酬だ。金貨五十枚。例の通り、成功報酬で計算してある」
天晴はそれを無言で受け取った。袋の重みを確認するでもなく、ただ腰袋に入れる。
「では、これで縁は切れた」
「今のところはな。だが、いずれまた必要になる。……黒布は、お前のような外の刀を好む」
その言葉にも、天晴は何も返さない。ただ踵を返し、奥の通路へと歩き出す。
暗がりに吸い込まれる背中。
そこには、戦いに勝った者の余韻も、誇りも、虚無もなかった。ただ一つ、終わったという静寂だけがあった。
迅がその背に、呟くように言葉を投げる。
「……また近いうち、依頼することがあるかもな」
足を止めることなく、天晴はただ、ひとつ言葉を返した。
「依頼するならば、行く。依頼されなければ、行かない」
それだけだった。
孤高の男、霧島天晴。
報酬でしか動かず、信念も情も持たない侍。
そして、次の場所へと向かう……
二幕その一に続く
登場組織紹介
黒布
情報収集と暗殺を専門とする影の組織。藩や大名に仕え、その指示に従う。反乱武士軍「焔牙」を壊滅する指示を受けたが、予想以上に厄介な相手だったため、天晴に助力を頼む。