一幕 焔牙戦 その二 「天ノ技」
霧島天晴と赤城烈火の戦いが始まった。
烈火の剣が、雷鳴のような音を立てて振り下ろされる。
踏み込みは迷いなく、太刀筋は正確無比……だが、荒い。重い攻撃に全てを込めた一撃。
天晴は半歩、身体を傾けただけだった。
抜かず、斬らず、避ける。回避に専念する。袴の裾を掠めた刀の風圧だけが、土を舞い上げた。
「……ふっ!」
烈火はすぐさま次の攻撃に移る。薙ぎ払い、逆袈裟、そして前蹴り。
攻める。ひたすらに攻める。
圧倒することに特化した動き。どの一撃も鍛え上げられた肉体に支えられ、威力は重い。もし一撃でも入れば、ただでは済まない。
だが、天晴は動かない。
最小限しか動かない。烈火の剣筋を紙一枚分だけ外し、蹴りの間合いには自然と立ち位置をずらす。
まるで見えているかのような回避。
一歩、また一歩と、烈火の刃が空を切る。天晴は、まだ刀に触れすらしていなかった。
周囲で見守る焔牙の武士たちが、思わず息を呑む。
(…かわしている? あれだけの速さと重さを……)
(まるで、攻撃を予測しているみたいだ…!)
烈火は、それを理解していた。自分の剣を、敵が読んでいることを。
それでも止まらない。それが、赤城烈火という武士だった。
「喰らえぇっ!!」
怒声とともに、渾身の突きが放たれる。地をえぐるほどの力を込めて放たれた直進の刃。突進する牛のごとく一直線。
天晴は、その刃の線を一度見ただけで、次を予測していた。
(…踏み込みが深い。腕の引きが甘い。次は横薙ぎか)
彼の思考は冷静だった。感情では動かない。視線と筋肉の動き、足元の重心、肩の開き具合……それらから、次の動きを計算する。
そして、右足を軸に回転する。
刀に手をかけた。ほんのわずかだけ。まだ抜かない。まだ斬らない。
相手の奥底を見抜いてから、それに合わせて打つ。それが、霧島天晴という雇われ侍の戦い方だった。
烈火は強い。
だがそれは、攻め手に偏った力。一撃の破壊力に優れる分、守りにはほとんど構えがなかった。
天晴の眼が、さらに鋭くなる。
その視線は、ただの敵を見るものではない。“攻略対象”を見る眼だった。
(……動きが前のめりだ。すでに腰が浮いている。次の斬撃の軸も見えた。あの踏み込みに、もう一度合わせてくる)
その瞬間、天晴の目が細くなった。
……見えた。
次の瞬間、天晴は音もなく踏み込んだ。足元の草がわずかに揺れ、空気が震える。
そして、静かに刀を抜いた。
その動作には、何の躊躇もなかった。まるで決められた手順をなぞるような、機械的な動き。だがその刹那、辺りの空気が変わった。
「……天ノ技・日輪」
呼吸にも似た低い声。
それは詠唱ではなく、合図だった。刀を振るう者としての、自らへの指令。敵にとっては、死の宣告。
天晴の身体が、円を描くように回転する。
軸足を固定し、全身の重心を一点に集め、そこから外周へと力を解き放つように刀を振るう。彼を中心に、鋭い弧が走った。
烈火が動いたのは、その一瞬後だった。攻撃に転じた天晴を迎え撃つべく、刃を振るう。
「はああっ!!」
咆哮とともに放たれた烈火の太刀は、圧倒的な質量を持った力の塊だった。
だが……その攻撃は、読まれていた。
天晴はわずかに軸をずらし、烈火の太刀をすれすれでかわす。
その直後、回転運動に乗った天晴の刃が、烈火の脇腹へ斜めに走る。
「……っぐ!」
烈火の動きが一瞬、止まった。
切っ先は深くは入らない。だが、確かに肉を裂いた鋭い一撃だった。
刹那、烈火は後退する。血が滲む。
息が荒い。目が見開かれている。読み切られたことへの驚きと、己の慢心への怒りが交錯していた。
見守る焔牙の武士たちは息を呑んだ。
まるで陽が差し込んだかのような一撃。鮮やかで、何の無駄もない。確実に急所を狙い、最も効率的に敵を削ぐ術。
(…あの烈火様が、後退した……?)
(あんな斬り方…見たことがねぇ……)
静かだった。風がまた、砦前を通り過ぎる。
その音だけが、ふたりの間に吹いていた。
天晴は、刀を下げたまま微動だにしない。だが、目線は烈火を捉え続けていた。
次にどこを攻めればいいか、どの動きがまた来るか……すでに組み立てが始まっている。
烈火は、自らの胸の鼓動を聞いていた。荒れている。熱い。
だが、それは怯えではない。むしろ、湧き上がるものがあった。
「…見事な斬りだった。まさしく陽の技……だが!」
烈火が再び太刀を構える。
血が流れようとも、動きを止める気配はない。
「だからこそ、おれは退かぬ! 武士の矜持、貴様にぶつける!」
叫ぶと同時に、烈火の足が地を蹴った。
再び、正面からの斬撃。攻めの構え。天晴を正面から押し切ろうとする猛攻。
だが、その攻め気こそが天晴の狙いでもあった。
烈火は全身を駆使し、怒涛の如く斬撃を浴びせかける。横薙ぎ、袈裟斬り、振り下ろし……そのすべてに力が込められている。
まさに焔牙の名にふさわしい荒々しさ。刃の軌道は太く、風を巻くごとき勢いで天晴を圧倒しようとする。
だが……
天晴は、そのすべてに対応してみせた。
斬撃の初動を読み、寸前で身を捻る。次の刃に備え、半歩だけ軸をずらす。
回避の合間に一太刀、また一太刀。ほんの数寸の切り傷を、確実に烈火の肉体に刻んでいく。
脇腹、肩、腿、手の甲……いずれも致命には遠いが、確実に蓄積する痛み。
(……無駄がない。すべての動きが、最小で最速だ)
烈火の脳裏に、その言葉が浮かぶ。
斬っても、斬れない。押しても、崩せない。
まるで、自身の荒ぶる炎が、静かに流れる水にいなされているようだった。
視界の端に、落ちた自らの血が見える。踏み込むたび、身体が悲鳴を上げている。
それでも、烈火は止まらなかった。止まるわけにはいかなかった。
「はああっ!!」
さらに重い一撃を振るう。
しかし、天晴はそれすらも見切っていた。足元に滑り込むように回避し、烈火の背へと回る。
そして、もう一度……斬る。
「ぐっ……!」
肩口から背中にかけて、深い裂傷。烈火が息を呑み、よろめく。
その様子を見た焔牙の武士たちは、口をつぐんだ。
誰一人、声を上げる者はいなかった。
烈火が、押されている。
その事実が、空気の重さとなって砦を包んでいた。
烈火は、ゆっくりと息を吐いた。呼吸は荒く、眉間に皺が寄っている。
……癪だ。
だが、誤魔化せる相手ではない。
彼は肩越しに、後方を見やった。そして、静かに命じた。
「癪だが、やむを得ん……あれを持ってこい」
一人の武士がハッと息を呑み、すぐさま砦の奥へと駆け出す。
その背中を見送った天晴は、目を細めた。
だが、構えは崩さなかった。敵が何を繰り出そうと、ただ観察し、対応し、斬る。
それが彼の流儀。驚きも、期待も、ない。
砦の門が再び揺れる。
あれが来る。その空気が、確かに広がり始めていた。
そして、砦から武士の姿が現れる。
一幕その三に続く
登場人物紹介
霧島 天晴
28歳の男性。一族に伝わる力「天ノ技」を使える。組織に仕えることはなく、報酬でのみ雇われる。冷静で合理的な性格。たとえ、敵が前の雇い主だったとしても今の雇い主に従う。父も母も、組織の裏切りでやられ、それが原因で今の性格に。唯一、親友の刀鍛冶がいて、彼とは長い付き合い。親友の刀鍛冶の前でのみ、笑顔を見せるという。