終幕 名刀・天晴 その一 最終戦
霧島天晴は静かに息を吐き、腰を落とした。
柄を握る手に、無駄な力はない。刀身がわずかに揺れ、光を反射して森の薄明かりを散らす。
対する黒曜幹部は、背丈を越す漆黒の長槍を肩から降ろすと、柄を撫でるように一度握り直し、穂先をこちらへと向けた。
鬼面の奥から聞こえる声は、低く湿り気を帯びていた。
「来い……槍が肉を裂く瞬間を、その目に焼き付けろ」
風が二人の間を吹き抜け、地面に落ちた枯葉が舞い上がる。
互いに一歩も動かぬまま、緊張だけが膨れ上がっていく。
最初に空気を裂いたのは、天晴だった。
「天ノ技・雷撃」
その姿が雷の速度で飛び出し、瞬きの間に幹部の間合いへ踏み込む。
踏み込みの鋭さは、並の人間では追いつけない速さ。
しかし、穂先はすでにそこにあった。
ギィン、と金属の甲高い衝突音が響き、火花が散る。
幹部は、長槍を横薙ぎに振り抜き、天晴の体を遠ざけた。
「悪くねぇ……だが軽ぇな」
挑発の声と同時に、森の奥から黒曜の兵たちが雪崩れ込む。
十、二十……その数は一瞬で三十を超える。
天晴は息を飲み、すぐに体勢を立て直す。
正面から斬りかかってくる刀、横合いから伸びる槍、背後から迫る鎖。
全方向から殺意が押し寄せた。
「邪魔だ……!」
「天ノ技・辻風!」
刀が風ごと巻き込み、五人の兵がまとめて地面へと崩れ落ちる。
だが、切り払ったその隙間を縫うように、幹部の槍が喉元を狙った。
(……こいつ、雑兵を盾にしてくるか)
天晴は体を捻って穂先を避け、即座に一歩下がる。
だが退けばまた雑兵の壁が立ち塞がり、その影から再び槍が突き込まれる。
まるで獲物を仕留めるまでの流れを、何百回も繰り返してきた狩人の動きだった。
……雑兵と幹部の連携による挟撃。
それが、この場を生き延びる上で最も厄介な要素だった。
「チッ……」
短く舌打ちしながらも、天晴の眼は敵の動きを観察していた。
穂先の揺れ、足の踏み込み、体重移動……一つ一つが攻撃の前触れに見える。
(突くときは……肩が一瞬沈む)
(横薙ぎのときは、必ず左足が軸……)
情報が少しずつ脳裏で繋がり、線となっていく。
だが、その間にも刃は容赦なく迫る。
「天ノ技・霜風!」
足元から冷気を纏った刃が舞い上がり、幹部の右腕を裂く。
血飛沫が鬼面の頬を染め、巨体がわずかによろめいた。
「ほぉ……やるじゃねぇか」
しかし、低い声には焦りがない。
天晴の呼吸は既に荒く、刃先の切れ味も鈍り始めている。
(……まだ足りない。今のでは、致命傷にはならない)
幹部の猛攻はなおも止まらず、雑兵たちはその背を守るように次々と立ち塞がる。
天晴の刃は確かに幹部を捉えている。だが、その硬さと間合いの長さが、決定打を許さない。
(このままでは……押し切られる)
額から滴る汗を拭うこともなく、天晴は再び刀を構えた。
その瞬間……風を裂く音が、戦場の喧騒を切り裂いた。
銀光が走り、幹部の頬をわずかにかすめる。薄く裂けた傷口から、血が一筋、頬の面を伝った。
「……?」
天晴も幹部も、反射的にその飛来方向へ視線を向ける。
そこに立っていたのは、息を切らせながらも両手で刀を構える琴だった。
幹部の頬をかすめた一撃の主は、彼女にほかならない。
「てめぇ……!」
幹部の声に、初めて苛立ちが混じる。
「あの時、斬っておきゃ良かったな……!」
低く吐き捨て、琴に向かって地を蹴る。
「来ないで!」
琴は怯まなかった。
鋼の失敗作らしい刀を、次々と幹部に向かって投げつける。
回転する刀身が空気を裂き、幹部の足元、腕、肩へと飛び込む。
避けざるを得ない幹部の動きが、わずかに鈍った。
「……今!」
天晴はその一瞬を見逃さなかった。
地面を蹴り、低い姿勢のまま幹部の死角へと滑り込む。
「天ノ技・日輪」
弧を描いた斬撃が、幹部の脇腹を深く抉った。
「ぐぅ……っ!」
幹部が低く唸る。
だが琴は手を止めない。投げられる刀の軌跡が、幹部の視界を乱し、天晴の攻撃を遮る盾となっていく。
幹部が琴へ向かおうとすれば、その背へ天晴の刃が届く。
幹部が天晴に集中すれば、琴の刀が頬や腕を裂く。
完全ではない。だが、二人は確実に幹部を追い詰めていた。
(……琴、危ないが……いい働きだな)
天晴の口元に、わずかに笑みが浮かんだ。
その笑みの奥には、守る者がいる戦いの重みが宿っていた。
終幕その二に続く
後日談 黒布
天晴が撤退した後、黒布は焔牙を全滅させた。隠密行動や暗殺は忍びの領域であるため、焔牙を倒すのにそこまで時間は掛からなかった。
焔牙を倒した後は、仕えている大名からの指示があるまで待機、屋敷を守っていたらしい。