四幕 ???戦 その三 再会
「……霧島天晴さん?」
その声は、どこか懐かしい響きを持っていた。
弱く、かすれてはいたが、確かに覚えのある声だった。
天晴が顔を上げる。
視線の先、部屋の隅に身を寄せるようにして座っていた少女。
やせ細り、髪は乱れ、着物はもはや布のように垂れている。
だがその目だけは、あの時と同じだった。怯えながらも、前を見ていた。
「琴……か?」
名を呼ぶと、少女はうなずいた。
「やっぱり……霧島さんだった……芝居小屋で、盗賊団から……助けてくれた」
天晴の指先がぴくりと動いた。
まさか、あの娘が、ここに。
「どうして、こんな場所に……」
琴は微笑んだような顔をしたが、それは笑みというよりも、無理やり形作った表情だった。
「……追い出されたの。私、上手く働けなかったから……だから、私がここに。あのとき助けてもらったのに、今度は……処分、されるんだって」
言葉の一つ一つが、刃のように重く、乾いていた。
「“役に立たない者は処分”……だってさ。もう、前にも後にも進めなくなった人は、消すんだって。そういうのが……この黒曜ってとこなんでしょ……?」
琴は、まっすぐに天晴を見つめていた。
責めるでも、縋るでもない。ただ、事実を確かめるように。
天晴は口を開いた。
「……ああ。黒曜に依頼された」
部屋の空気が、一瞬凍りついた。
「ここの中にいる者……“全てを処理しろ”と」
子どもたちが身を寄せ合い、女たちが顔を伏せた。
琴は、それでも視線を外さなかった。
「……じゃあ、私も……?」
「……ああ」
その返事は、低く、だが確かだった。
沈黙が落ちる。
だが、次の瞬間、琴は静かに笑った。
それは絶望でも、諦めでもなく、どこか乾いた肯定のようだった。
「そっか……じゃあ、仕方ないね。運が悪かったんだ、きっと」
その言葉に、天晴の胸がわずかに軋んだ。
ただの依頼であり、ただの対象であったはずのこの場所に、名前を知る者がいた。
琴。
自分を「霧島さん」と呼び、目を逸らさずに語った少女。
その存在が、天晴の意志を揺るがそうとしている。
そのとき、扉がきいと音を立てて開き、黒い装束の男が無遠慮に足を踏み入れた。
「よう……処分は、進んでいるか?」
無表情な面差し。任務の進捗を確認する、それだけの声音。
天晴はゆっくりとその方へ体を向ける。
その瞳は深く、凪のように静かだった。
「……ああ。すべて、処分できそうだ」
男は一瞬、口の端をわずかに吊り上げた。
だが、次の瞬間……
「……黒曜。お前らを、だ」
風が吹いた。
否。刃が、唸りを上げて空を裂いた。
刀が閃いた瞬間、男の首が滑るように落ちる。
血が一筋、障子に飛び、静寂の部屋がざわめいた。
周囲の者たちが息をのむ中、天晴は一歩、血の上を踏みしめた。
「琴」
呼ばれた少女が、はっとして顔を上げた。
「北へ一里。山道の途中に、小さな小屋がある。……そこまで逃げろ。鋼という名の鍛冶師がいる。俺の名を出せば、助けてくれるはずだ」
琴は何かを言いかけたが、天晴の目を見て、言葉を飲み込んだ。
彼のその顔には、もう迷いはなかった。
かつて命じられるままに斬ってきた男の、そこにはいない。
今、目の前に立っているのは……
“守る”という選択を知った、鬼神の貌をした男だった。
「……わかった。ありがとう、霧島さん」
琴がそう言い、身を翻す。
その足音が遠ざかると、天晴は再び刀を握り直した。
建物の外、すでに黒曜の気配が数名、迫ってきていた。
気づかれたか。あるいは、最初から監視されていたのか。
だが、それでいい。
今この手で、守ると決めた。
「さあ、始めるか……黒曜」
静かに、地を蹴った。
四幕その四に続く
琴の経緯
琴は遊郭で芸者をやっているが、あまり芸者の素質はなかった。そのため、天晴が助けてくれた後に、「それなら後から入ってきた子たちのほうがずっと上手く働ける」と言われ、遊郭を追い出される。追い出された先が黒曜で、これから処分されようとしているところだった。