四幕 ???戦 その二 黒曜
朝霧の残る山道を、霧島天晴は一人、歩いていた。
陽はまだ完全に昇りきらず、東の空がようやく白み始めている。
町を抜け、いつものように掲示板のある通りへ向かうが、目立った依頼はなかった。
ふと、石畳の先に、見慣れない男が立っていた。
男は黒い装束に身を包み、顔の下半分を覆面で隠している。
そのまま、ゆっくりと天晴の方へ近づいた。
「雇われ侍・天晴殿であろうか」
声は静かで抑揚が少ない。
「……誰だ」
「我らは黒曜と申す者ども。名を持たぬ影の組織……とだけ、知っていただければ良い」
天晴の視線が鋭くなる。
その気配、言葉、どこかただの依頼人とは異なるものがあった。
男は懐から、巻物と地図を取り出した。
「これが、今回の依頼の内容」
「標的は?」
「……伏せられている」
「……何?」
「依頼はこうだ。“指定の建物の中にいる者を、すべて処理せよ”。名前も年齢も、性別も不問。反撃してこようとしまいと、一切の例外は認められぬ」
天晴は巻物を受け取り、淡々と視線を通した。
内容は簡潔で、報酬の記載だけが妙に多かった。
「……やけに、高いな」
「相応の理由がある。ただ、知らずともよいことだ」
「……」
天晴はしばし無言で立ち尽くし、空を見上げた。
朝の雲が薄く裂けていく。
「指定の場所は?」
「ここから南へ一里。集落の跡地がある」
かつて盗賊の根城だったが、十年ほど前に潰され、今は無人とされる場所だった。
「……受けよう」
その言葉に、男は深く一礼した。
「感謝する。報酬は完了後、指定の者が持ってゆく」
男は姿を消すように、音もなく去っていった。
天晴は地図を巻き直し、腰に差し込んだ。
……処分対象が伏せられている。
ただの敵ではない、ただの依頼でもない。
それでも、依頼として成されるなら、それに応えるのが己の立場。
袴が風を受けて揺れた。
天晴は、南へと足を向けた。
──────
天晴は集落跡地に到着する。
そこは、かつて野盗たちが根城としていた廃れた村の跡地。
十年ほど前に討伐されたのち、誰も寄りつかぬ荒れ地と化していた。
今は建物の骨組みだけが残り、風に鳴る板壁の音が虚ろに響いている。
天晴が到着したとき、空はすでに高く、陽は斜めに落ち始めていた。
瓦礫の向こう、朽ちた屋敷の前に一人の男が立っていた。黒い装束。黒曜の者だ。
「……依頼を受けて来た」
天晴がそう声をかけると、男は無言でうなずいた。
そして、ゆっくりと建物の引き戸を開ける。
「中だ」
短く、冷たく告げる声。
天晴が足を踏み入れた瞬間、鼻をつく空気の淀みに眉がわずかに寄った。
埃と、汗と、鉄の匂い。だが、それ以上に、沈殿した諦めの気配があった。
室内は広い。天井の梁は朽ちかけ、隙間風が吹き込む。
壁際に身を寄せるようにして、何人もの人々が座っていた。
着物はどれも擦り切れ、布の色さえわからない。
顔には怯えと、疲労と、諦念が浮かんでいた。
……子ども。
やせ細った腕と、空っぽの目。
中には年端もいかぬ幼子もいた。
……女。
かつて、遊郭で働いていたのだろう。
化粧の残滓さえないその顔には、年齢よりも老いたような陰が刻まれていた。
天晴はその場に立ち尽くす。
手に添えていた刀が、風でかすかに鳴った。
「……処分対象、とは……」
口に出した声は、誰に向けたものでもなかった。
だが、部屋の奥にいた一人の女性が、その声に顔を上げた。
「あんた……殺しに来た人……?」
かすれた声だった。
けれど、その声には怒りも悲しみもなかった。ただ、無感情な確認だけ。
他の者たちも、その言葉に反応して、ゆっくりと天晴に目を向けていた。
怯え、抵抗、懇願……それすらない、ただ受け入れるような眼差しだった。
その場に沈黙が落ちる。
天晴は、まだ一歩も動かない。
だが、心の奥に何かが落ちていく音だけは、はっきりと響いた。
四幕その三に続く
登場組織紹介
黒曜
身売りや不要とされた人を扱う裏の組織。身売りされた子ども、遊郭などで不要とされたたくさんの人が集まり、自分の手を汚さずに処分したかったため、天晴に処分を依頼した。構成員のほとんどが、「仲間になるから助けて」と願い、黒曜に入った。裏切りには敏感で、武器は強力なものを持っている。