四幕 ???戦 その一 完成した鍛冶場
朝の町は清々しい空気に包まれていた。
昨夜の宿を後にする霧島天晴の背に、美乃の声が追いかける。
「また……いつか、来てくれますか?」
ふと振り返ると、美乃は小さく手を振っていた。
天晴は言葉こそ返さなかったが、わずかに顎を引いて頷く。
それだけで、美乃は嬉しそうに微笑んだ。
美乃に別れを告げ、町を出る。
早朝の道にはまだ人気が少なく、風の通り道には落ち葉が舞っていた。
その途中……
天晴の足が、ふと止まる。
「あのとき……ここで」
視線の先には、舞台小屋から逃げ出した狸を追った先、あの着物の娘と出くわしたあの場所があった。
「琴と言ったか……」
琴と名乗った娘は、確かにあの場で自分を見て、恐れることなく礼を言った。
命を狙われ、恐怖に晒されたはずなのに、彼女は一歩引かずにこちらを見ていた。
「……奴は、わしの姿を見ても……」
ぽつりと、口に出た言葉。
胸の奥に、妙な感触が残っていた。
淡い記憶のような、忘れていた何かに触れたような。
そのまましばらく立ち尽くしていた天晴は、ふいに小さく息を吐いた。
「……らしくない」
顔を振る。
自分に言い聞かせるように。
「報告しなければ」
背を向けるようにして、歩き出す。
袴が風に揺れ、道をまっすぐに進むその姿に、もう迷いはなかった。
目指すは、大名・涼川定平の屋敷。
……鋼にも報酬を渡さねば。
──────
定平の屋敷に入ると、すでにいくつかの靴が並べられていた。
玄関の先には、上質な香木の香りが漂い、静けさが敷かれている。
用人の案内で奥座敷へ通されると、そこには涼川定平と、馴染みの顔……鋼の姿があった。
「おう、遅かったな」
先に気づいたのは鋼だった。肩をすくめるように笑う。
「天晴殿」
定平がゆったりと立ち上がる。
「先ほどの町の件、実に見事であった。紫尾金船の話、すでに届いているぞ」
天晴は軽く頷くだけだった。
戦果を自慢するつもりも、褒められて誇る気もない。
だが、定平はそれをよく理解している様子で、うなずいたまま口元に笑みを浮かべた。
「ちょうどよかった。鋼、新しい鍛冶場を見せてやれ。あれは、そなたの願いを叶えるために建てたものだ」
「……ほう」
天晴の目がわずかに細まった。
鋼はふいに立ち上がり、目を輝かせた。
「よし、行くか。ちょうど道具も届いたところだ。まだ煤けてはいないが、俺の手で真っ黒にしてやる予定さ」
定平に一礼をしてから、天晴と鋼は屋敷を後にする。
庭を抜け、裏門から馬を借りる。
数町先、屋敷から少し離れた場所にある、新築の木造の建物。
そこに鋼の新しい鍛冶場はあった。
見晴らしのいい小高い場所に建てられたその建物は、堂々とした佇まいでありながらも、どこか鋼らしい素朴さと実用性にあふれていた。
扉を開けると、まだ炭の匂いも油のしみもない、まっさらな空間がそこに広がる。
壁には厚い梁が走り、炉は中央に据えられていた。
工具棚はまだ空だが、使い込まれるのを待つように静かに並んでいる。
「……良いものだな」
天晴が、ふと呟いた。
鋼はにやりと笑った。
「これからが本番だからな。ここで、本物の刀を作り上げてみせるさ」
「……で、これはその報酬の残りだ」
天晴は懐から包みを取り出すと、ずしりと音を立てて鋼の前に置いた。
布の中には、昨夜の騒動で町から受け取った感謝金と、定平からの正式な依頼料が混じっている。
鋼はそれをちらりと見ただけで、いつものように肩をすくめた。
「毎度のことながら……受け取っていい額じゃないな」
「必要だろう。道具も、炉も、これからの修繕も」
「はいはい、ありがたく使わせてもらうよ」
鋼は笑いながら、金を手早く棚の引き出しにしまい込んだ。
昼下がりの光が、鍛冶場の広い窓から差し込んでくる。
新しい炉にはまだ火が入っていないが、それでも空間には温もりがあった。
「腹、減ってないか?」
鋼が腰を上げながら言う。
「……少しなら」
ふたりは鍛冶場の裏手にある炊事棟へ向かい、手早く焼いた干物と味噌汁、握り飯を並べた。
卓袱台の前に座り込み、無言で箸を進める時間。
だが、その沈黙は心地よかった。
「そういえば」
箸を置いた鋼がふとつぶやく。
「こうやって、ゆっくり飯食うのも……いつぶりだ?」
天晴は少し考えるようにしてから、答えた。
「……焔牙の砦を潰したとき以来か」
「そっか。あのときも、帰ってきたら飯、炊いてたな」
鋼が懐かしそうに笑う。
外では風が小さく吹き、遠くの森の葉がざわめく音が届いていた。
天晴は空の椀を見つめながら、静かに言った。
「……まだ、日も高い」
「ん? あぁ、もう出るか?」
「いや……今日は、祝いだ」
「祝い?」
「鍛冶場が完成した。……たまには、何もしない時間も悪くない」
その言葉に、鋼は目を丸くしたあと、噴き出すように笑った。
「ははっ、あんたがそんなこと言うとはなぁ……! うん、いいね。じゃあ今日は、仕事も依頼も忘れて、のんびりするか」
天晴は言葉を返さなかったが、どこか満ちた表情で、再び湯を注いだ椀を口に運んだ。
その日の午後、ふたりはただ並んで外を眺めたり、鍛冶場の棚の配置を相談したり、他愛もない話を続けた。
戦でも依頼でもない、穏やかな時間。
そのひとときは、天晴にとって、心に火を灯すような安らぎだった。
四幕その二に続く
天ノ技紹介
雷撃
二幕 その四で登場。強力な雷が落ちる様子。雷の如く速度で敵に突撃する突き技。敵に刀を突き刺し、即座に刀を動かして体を切り裂く。
霜風
三幕 その四で登場。霜の降りそうなほどの冷たい風が吹く様子。縦横無尽に動き回り、通過点にいる敵に斬撃を与える。荒い傷がつき、痛みを感じやすい。