三幕 紫尾金船戦 その三 暴走
日が落ち、宿屋の灯りがともる頃。
霧島天晴と美乃は、町北の小さな酒屋で手に入れた一本の酒瓶を手に、再び紫尾金船の部屋の前へと戻っていた。
「これで……話してくれるでしょうか」
美乃が不安げに囁く。
「それは、あいつ次第だ」
天晴は短く答えると、引き戸をノックもせずに開けた。
部屋の中では、紫尾金船が床に寝転がったまま、うだうだと唸っていた。
片方の手には団扇、もう片方には空の盃。
「……来たか。遅いぞ。もう喉がカラカラじゃ」
「酒だ」
天晴は、瓶をすっと差し出した。
「おお……これは、香りがいいな」
金船は瓶を受け取り、重さを確かめるように軽く振る。
その表情には、明らかな喜色が浮かんでいた。
「さぁ、話を……」
天晴が口を開きかけたその瞬間。
「ま、待て待て。まずは味見じゃ」
金船は天晴の言葉を遮るように、酒を盃に注ぎ、くいっと一口。
「……んんっ、これは…いい……!」
目を細め、鼻から大きく息を吐いたかと思うと、今度は何のためらいもなく、二杯目、三杯目と飲み干していく。
「金船」
天晴が声を低くした。
「話をするという条件で、酒を持ってきた。今のうちに……」
「堅い、堅いぞ。せっかくの良い酒がまずくなるわい!」
金船は、すでに顔が赤くなり始めていた。
目元もゆるみ、言葉の端ににじんでいただらしなさが露骨にあふれ出ている。
「おい、そこにいる娘」
金船が突然、美乃を指差した。
「お主、なかなか可愛い顔しとるな。どうじゃ? わしと今夜、杯でも……」
「……やめてくださいっ!」
美乃は思わず半歩下がり、拳を握りしめた。
天晴の眉がわずかに動く。
「金船」
再び、天晴の冷ややかな声。
「もう一度言う。町の民に迷惑をかけるな。今日限りでやめろ。それが話の本題だ」
「はぁ? なにを堅っ苦しい……それなら、それで……」
金船は立ち上がろうとして、ふらりと身体を傾けた。
盃が倒れ、酒が畳にしみる。
「……気に入らん! 誰がこんな田舎町の言いなりになるかぁ!」
怒鳴り声が響いた。
次の瞬間、金船は近くにあった座卓を蹴り倒し、瓶を投げ捨てる。
「この町の空気は臭い! 民はうるさい! つまらん! わしの邪魔をするなあああッ!」
そして、そのまま部屋を飛び出していく。
「ま、待ってください!」
美乃が追いかけようとするが……
「行くな」
天晴が手で制した。
階段を駆け下りていく足音。
続いて、玄関が荒々しく開く音。
町の夜を割るように、金船の酔った叫び声が通りに響いた。
「酒だ! もっと酒をもってこいぃぃ! 遊郭はどこだ! 女を寄越せぇぇぇ!」
美乃は唇を噛んだ。
「また……また、あんなふうに……!」
「……もう、止めるしかないな」
天晴は静かに、立ち上がった。
部屋に残された酒の匂いが、どこかひどく濁っていた。
宿屋の玄関をくぐると、夜の空気が肌に触れた。
町はすでに闇に包まれ、提灯の灯りがぼんやりと道を照らしている。
だが、その穏やかな夜を打ち破るように、怒号が響いていた。
「どけぇぇぇ! わしが通るんじゃあああッ!」
紫尾 金船は、酔いで足元もおぼつかないまま、通りをふらつき歩いていた。
町人の屋台を蹴散らし、店の看板を殴り、声を上げて笑っている。
「酒だあ! 女だあ! もっと持ってこいッ! ひゃーはははははっ!」
その後ろに、二人の侍が控えていた。
どちらも鎧こそ軽装だが、腰に差した刀は本物だ。
しかし、彼らの顔にも迷いと疲労がにじんでいた。
そして、その場へ天晴が現れた。
「そこまでだ、金船」
静かに、だが確かに届く声。
金船は振り返ったが、もはや相手を見分ける意識は残っていない。
「なぁんじゃぁ……おお、またあの無礼者か……邪魔するなああああッ!」
叫びと共に、彼の護衛の一人が前へ出た。
「……ここを通すわけにはいかん」
男の目は濁っていたが、それでも主を守ろうとする忠義の色はあった。
「なら、構わず抜け」
天晴はそう言って、刀に手をかけた。
「抜くぞ」
相手がそう返すより早く、風が動いた。
天晴の右手が閃くように柄を払い、踏み込みと同時に斜めに一閃。
互いの刀が交錯するその刹那、鈍い音とともに護衛の男の刀が宙を舞い、地面に突き刺さった。
男は驚愕のまま後ずさり、尻もちをつく。
「う、うそだろ……いまの、一瞬で……」
天晴は男の横を無言で通り抜ける。
もう一人の護衛は、それを見て一歩も動けなかった。
ただ、震えた手で刀の柄を握ったまま、目で天晴を追うだけだった。
「うわあああっはっはっはっはっ! 見たか! 町中はわしの庭じゃああっ!」
金船の叫び声が、さらに遠くで響く。
天晴は刀を抜いたまま、提灯の灯りをすり抜け、音もなく駆け出した。
風が袴を揺らし、夜の町に鋭い気配が走る。
三幕その四に続く
天ノ技紹介
日輪
一幕 その二に登場。自身を中心に回転する。移動しながらでも攻撃できる。回転は調節可能で、空中なら360°の回転も可能。
地吹雪
一幕 その三に登場。積もった雪が風によって舞う様子。減速と加速を繰り返しながら移動。敵を混乱させながら攻撃する。敵には、その場で地吹雪が発生しているように、天晴の姿が消えたり揺らいだりしているように見える。