表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/23

三幕 紫尾金船戦 その一 約束の鍛冶場

 山の麓、目立たない小道の先。

 風に揺れるさざんかが咲き乱れるその先に、小さな木造の小屋があった。


 夕闇が深まり、灯りがともる頃。

 霧島天晴(きりしまてんせい)はいつものように、音も立てずその戸を叩いた。


 「おう、戻ったか」


 中から聞こえる低い声。

 親友、(はがね)の声だ。


 戸を開けると、火の落ちた炉の前に、鋼が座っていた。

 手に油を含ませた布で、まだ温もりの残る鉄槌を磨いている。


「おかえり、天晴。遅かったな」


「少し、長引いた」


 天晴は小屋に入り、いつものように囲炉裏のそばに腰を下ろした。

 そして、横に置いた風呂敷包み……報酬の入った桐箱を差し出す。


 「受け取れ。今回の分だ」


 鋼は布を置き、片眉を上げながら包みを開く。

 中身を見て、目を見開いた。


 「……おい、これは……」


 「八割はお前の分だ。取っておけ」


 「そんなに要らん。あんたが命張ったんだろうが」


 「言ったろ。お前の鉄がなきゃ、わしは戦えん。だから半分……いや、八割は持っていけ」


 鋼は言葉に詰まりながらも、桐箱を受け取り、静かに蓋を開けた。

 中には丁寧に詰められた金貨。火の揺らぎに照らされて、穏やかに輝いていた。


 だが天晴は、火を見つめながら、変わらぬ調子で続けた。


 「鍛冶場を建てる。最高のものを。場所も道具も、燃料も……全部整えてやる。定平が了承した。すぐに話が通るはずだ」


 鋼の手が止まる。


 「……定平って、あの大名の涼川定平(すずかわさだひら)か?」


 「ああ」


 鋼は火の灯る囲炉裏の奥に目をやり、しばし黙した。

 そして、ふと肩を揺らし、笑った。


 「……やれやれ。あんたが大名に頼みごとをする日が来るとはな」


 天晴は返さない。

 だが、火の揺らめきが映った横顔には、かすかに柔らかさが滲んでいた。


 鋼は、槌を横に置いて天晴の方に向き直る。


 「何かあったな?」


 「何がだ」


 「目つきが違う。前より、なんていうか……人をちゃんと見てる顔になってる。定平の器に、感心でもしたか? それとも、町でいい女にでも出会ったか?」


 鋼の笑い混じりの言葉に、天晴は口元をぴくりと動かした。


 「……どれも、たいしたことはない」


 「へぇ。じゃあ何があったってんだ?」


 天晴はしばらく黙っていた。

 囲炉裏の火が、薪の割れる音を立てる。

 そして、ぽつりと。


 「……誰かのために動くってのは、慣れないものだな」


 鋼は、火にくべた炭をつつきながら、ふっと目を細めた。


 「でも、嫌じゃなかったんだろ?」


 「……まあな」


 その短い返事に、鋼は何も言わず、笑った。

 天晴の言葉は少ない。だが、その一つひとつが重いのを知っていた。


 ふたりの間に、山の夜風が吹き抜ける。


 「……なら、しっかり鍛えさせてもらうよ。あんたの刀も、あんたの背中も、な」


 「……頼む」


 天晴は、囲炉裏に両手をかざした。


──────


 翌朝、日の光が小屋の中に差し込み始めた頃。


 霧島天晴は、静かに目を覚まし、身支度を整えていた。

 黒い衣服を着て、鞘に収めた刀を背負う。

 朝食を軽く済ませると、出発の準備が整った。


 「今日はまた長い道を歩くことになるな」


 天晴が道具を確認していると……


 「ちょっと待ってくれ」


 鋼が、煙が立ち上る釜の前から振り返った。


 「どこに行くんだ?」


 「街だ。依頼を探しに行く」


 「……なら、俺も行きたいとこがある」


 「……なんだ?」


 鋼が言う。


 「新しい鍛冶場、見に行きたいんだよ」


 天晴はしばらく考えてから、うなずく。


 「いいだろう。途中まで行こう」


 鋼は満足げに頷き、工具を整えるための包みを持って立ち上がった。

 二人は肩を並べて、小屋を出発した。


 街までの道のりは、歩きやすく、長くもない。

 昼下がり、太陽が高くなったころ、二人は街の入口に到着した。


 街の門をくぐったとき、昼下がりの太陽がちょうど背中を照らしていた。

 人通りは多く、行商人の声や子どもたちの笑い声が道に満ちている。


 天晴と鋼は並んで歩いていた。

 建設予定の鍛冶場を見に行くところだ。


 「やっぱり、こっちの街は活気があるな」

 鋼が周囲を見回して言う。


 「人が多い。あまり落ち着かない」

 天晴はやや不機嫌そうに眉をひそめていた。


 そんなときだった。

 群衆の中から、一人の少女がこちらに向かって猛然と駆けてきた。


 「きゃっ! そこの人っ! 止まってくださいっ!」


 唐突な叫びに、周囲の人々が振り返る。

 少女は転びそうな勢いで天晴に向かって一直線に飛び込んできた。


 反射的に身体を半歩だけ引いて、腕を受け止める天晴。

 鋼が目を丸くした。


 「なんだあんた……」


 「ちょっと! お願いがあるんです! 助けてください!」


 少女は目を潤ませ、必死に叫んでいた。


 背丈は天晴の胸にも届かぬほど。

 年の頃は十五、十六といったところだろうか。

 着物の裾は泥で汚れ、草履の片方は手に持ったまま。

 ひと目で、どこか遠くから来たと分かった。


 「……何があった」


 天晴が淡々と問うと、少女は息を整えながら答えた。


 「紫尾金船(し び かなふね)っていう大名が、うちの町でまた酒飲んで暴れてて……!お侍さんたちも止められなくて……誰か、強い人を呼べって……!」


 天晴はその名に微かに反応した。

 紫尾金船……噂に聞く、だらしなく、酔えば暴れると評判の小大名。

 地方に領地を持ち、支配も雑、政も投げやり。民の評判はお世辞にも良くない。


 「ここじゃないのか、その町は」


 「はい。ここから東に二里ほど……小さな町です。でも、町の人たちは真面目に働いてて、それなのにあの人が来ると全部めちゃくちゃに……!」


 少女は、怒りと涙を混ぜたような目で訴える。


 「お願いです……お金は、ちゃんと払います。だから、あの人を止めてください……!」


 周囲の通行人たちも、天晴たちをちらちらと見ていた。

 突然の場面に何があったかも分からぬまま、通り過ぎていく。


 鋼がぽつりと呟いた。


 「その顔……本気だな。……天晴、どうする」


 天晴は黙って少女の手をそっとほどき、数歩だけ歩いてから振り返った。


 「……案内しろ」


 「えっ……?」


 「俺が行く。話はその酔っ払いに直接つける」


 少女の目がぱっと見開かれた。

 そして……ぱあっと明るくなった表情で、深々と頭を下げる。


 「……ありがとうございます!」


 天晴はその声に応えず、ただ一歩踏み出した。

 鋼が肩をすくめて言う。


 「お前、結構こういうのに弱いよな」


 「……子の叫びを黙って聞くほど、情がないわけでもない」


 そう言って、天晴は振り返らずに歩き出し、鋼と別れる。



三幕その二に続く

登場人物紹介

美乃

天晴にぶつかってきた女の子で、地方の小さな街に住む娘。性格は控えめかと思いきや、意外と肝は座っている。小さな町には善良な民ばかりで争いも少ないが、夜に酒を飲んで町を荒らす大名がいる。大名の暴走を止めてもらうよう、天晴に頼む。この依頼は美乃の独断で、街の人は知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ