第7話 呪い? 病気? いいえ、私の研究対象です!
「近寄るな……!」
こんな状態でも彼は意識を保とうとするかのように、奥歯を噛み締めながら視線を動かした。
「……心配、するな」
そして、わずかに体勢を整えると、ふらつく足取りで部屋の隅へ向かう。そこには整然と並べられた薬棚があった。
低くかすれた声で、ノエル様は言う。
「専属の薬師に作らせた、獣化の抑制薬だ」
ノエル様は震える手で薬瓶を掴み、蓋を開けるなり、躊躇うことなく中の液体を一気に呷った。
「……っく」
喉を通る音が微かに響き、ノエル様は肩で息をしながら、ゆっくりと目を閉じる。
そのまましばらく静かに呼吸を整えていたが、肩を上下させながらかすかに息を吐いた。
しかし、その言葉とは裏腹に、彼の表情は依然として苦悶に満ちていた。薬を飲んでもすぐには効果が出ないのか、額に汗を浮かべたまま、荒い息遣いを繰り返している。
私は視線を落とし、彼が飲み干した薬瓶に目を向けた。底にほんの少しだけ液体が残っている。
躊躇いながらも、指でそっと瓶の底をなぞり、そのわずかな薬を舐めてみる。
「……っ」
舌に広がる独特の苦みと、微かに残る薬草の風味。その感覚に、私はハッとした。
(この薬、配合が少し間違ってるかもしれない……)
「もしかしたら……私なら、もう少しだけ和らげられるかも……」
「何も知らないお前が、なにを……」
ノエル様は息を乱しながら私を睨みつける。
だが、その姿は威圧的というよりも、痛みに耐えながらも他人を拒絶しようとする、必死の抵抗に見えた。
「少し、診せてください」
私が手を伸ばそうとすると、ノエル様はグイと腕を引いて身を引いた。
「触るな」
拒絶の意思が込められたその一言。
しかし、先ほど私をベッドに押し倒した時とは違い、そこに余裕や冷酷さはない。ただ、自分の中にある何かを必死に隠そうとする防衛反応のようだった。
「いいから、私に診せてください!」
私は迷うことなく、今度こそ彼の腕を掴んだ。
その瞬間、彼の瞳が驚いたように揺れる。
「……お前、怖くないのか?」
「怖いです! でも、それ以上に放っておけません!」
私は精一杯の気持ちを込めて言った。
一歩も引かず、真っ直ぐノエル様を見つめる。
「私は薬師です。――貴方の体、診せてください」
その言葉は静かだったが、内に秘めた決意は揺るがない。今この瞬間、私の中の薬師魂が燃え上がるのを感じた。
ノエル様の苦しみの原因が何なのか、まだわからない。
だけど――
(この人を、そのままにしておけるわけがない)
「ねぇ、今どんな体調なんですか!? 体温は? 心拍数は!? あっ、尿と血液をくれません?」
「にょっ!? お前は何を言っているんだ!」
ノエル様の表情が一瞬にして引き攣る。その反応を気にも留めず、私は畳み掛けるように続けた。
「ついでに細胞を採取させてくれませんか? 痛くしませんから! ね? ほんの少しでいいんです、爪の先っちょだけでも……!」
「……それ以上、顔を寄らせるな!!」
狼狽しながらも、ノエル様は肩をグイッと掴み、私を押しのけた。まるで必死に身を守るかのような動きだった。
「俺との婚姻を承諾したのは、侯爵家への資金援助が目的だろう?」
突然の言葉に、私は息を呑んだ。
「そ、それは……」
ノエル様は静かに目を伏せると、冷ややかな声で続ける。
「心配せずとも金は払う。――だから、余計なことはするな」
その言葉には、まるで自分のことを諦めきったような響きがあった。
そう言い捨てると、ノエル様は寝室の扉へと向かう。
「あっ、こんな時間にどこへ行くんですか!」
「頭を冷やしてくる! お前はここで大人しく寝てろ!」
バタンッ。
ノエル様は顔を赤くしながら、勢いよく扉を閉めて部屋を出て行った。
私はひとり取り残され、ポツンと俯いた。
「拒否されちゃった……そうよね、当然だわ」
しかし、次の瞬間。
ふっと口元に笑みが浮かぶ。肩が小さく震え、それはやがて止まらぬ笑いへと変わっていった。
「……ふふっ、ふふふ! でも、諦めないわよ、私の旦那様」
そっと手を握りしめる。
「私が必ず貴方の“病気”を治してみせるんだから……ふふふふ!」
誰にも止められない、決意と興味の入り混じった想いが胸の奥で弾けた。