第44話 街長邸にて
港町ズッパの街長邸は、豪奢でありながらどこか荒々しさを残していた。
分厚い石壁には潮風で削れた傷が走り、床には異国風の絨毯が無造作に敷かれている。開け放たれた窓からは、海の匂いと香辛料の刺激的な香りが流れ込み、港町らしい喧騒がかすかに聞こえていた。
重厚な扉が開いた瞬間、私たちはその中心に立つ大男と対面する。
眼帯をした精悍な顔立ち。胸元を大きくはだけた服から覗く筋肉は、鍛え上げられていて、まるで海賊そのもの。
「殿下! ようこそいらっしゃいました――!」
豪快な笑みとともに、街長は大きな声で迎えてくれた。
(……すごい迫力)
思わず一歩引きそうになる私を、ノエルがさりげなく庇うように前に出る。
(少し前まで、この港街では狼牙が蔓延していた。そんな場所に、薬師協会経由で私が開発した予防薬が提供された。その功績への感謝と、今後の交流強化のために、街長が正式に招待してくれた――らしい)
「堅苦しい挨拶は不要だ」
ノエルは淡々と告げる。
「……彼女を休ませたい。要件は手短に頼む」
「(一拍)……お、おう?」
街長は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに豪快に笑った。
「なるほど、なるほど! さすが殿下ですな!」
そのまま案内されたのは、長い木製のテーブルが置かれた広間だった。
席に着くと、ノエルは自然な動きで私の椅子の背に手を添える。会話が始まってからも、その位置は変わらない。
「この度の予防薬の働きには、我が街すべてが救われました!」
街長は胸に拳を当て、深々と頭を下げた。
「おかげで民は再び笑顔を取り戻しましたぞ!」
「……薬は彼女が開発した」
ノエルが即座に補足する。
「感謝は彼女に」
「で、では奥様に何かお礼を――」
「いえいえ!」
私は慌てて首を振った。
「お礼なんて。王子の妻として、できることをしたまでです」
「おぉ、なんと慈悲深い……」
街長が感嘆した、その直後。
「さすが俺の妻だな」
ノエルが、食い気味に言い切った。
「分かるか、街長。彼女は普通の貴族令嬢とは違う。見た目だけでなく、中身も素晴らしいのだ」
(……え?)
無口で必要最低限しか話さないはずのノエルが、急に饒舌になり始める。
「薬師としての腕前は言うまでもないが、責任感が強く、民を思う心を持っている。私欲で動くこともない」
淡々と、しかしどこか誇らしげに。
街長はぽかんと口を開け、ニケは必死に笑いを堪えている。
(ちょ、ちょっとノエル……!)
私の内心などお構いなしに、彼は続けた。
「この街が救われたのは、彼女がいたからだ」
――やめて。恥ずかしい。
「と、ところで!」
空気を変えるように、街長が咳払いをした。
「この後のご予定は? 港町ゆえ、あらゆる品が集まっていて実に楽しいですぞ!」
自慢げな笑みに、私たちは思わず顔を見合わせた。
「……どうかされましたか?」
「えっと……」
言い淀んだ私の代わりに、ニケがあっけらかんと言う。
「ノエル、嫌われ者だから街の人に迷惑かけちゃうんじゃないかって、遠慮してるみたい」
「慣れている」
ノエルは短く答えた。
「それに俺の個人的な問題だ」
その一言で察したのだろう。街長は目を瞬かせたあと、大声で笑い出した。
「ガハハハッ! それは杞憂ですぞ、殿下!」
腹を叩きながら、きっぱりと言い切る。
「我が街は、あらゆる民や文化を受け入れてきた歴史がある。そんな小さなことを気にする者なぞ、一人もおりますまい!」
「いや、俺は……」
「まあまあ!」
街長はノエルの肩をどんと叩いた。
「せっかくなので、どうか足を運んでみてください。きっと殿下のお心にも触れるものがあるはずです」
ノエルは言葉を失い、わずかに視線を伏せる。
その横顔を見て、私はそっと口を開いた。
「……行ってみましょう、ノエル」
小さく微笑むと、彼は一瞬だけ目を見開き、やがて静かに頷いた。
会談を終え、玄関前。
「また来てくだされ!」
「世話になった」
ノエルはそう言いながら、私の外套の留め具を整えてくれる。
「本当にありがとうございました」
街長は別れ際、三人と順に握手をした。
私の手を、ぎゅっと強く握り――
次の瞬間。
ノエルが、さりげなくその指を外し、私を自分の側へ引き寄せた。
何事もなかったかのような顔で。
けれど、その距離は確かに近い。
(……ほんと、油断も隙もないんだから)
そう思いながらも、私はその腕の中が不思議と心地よくて。
港町ズッパの潮風が、優しく頬を撫でていくのだった。





