第43話 そうだ、視察(デート)に行こう
昼の陽光を浴びて、海がきらきらと輝いていた。
街道の先に広がる青は、どこまでも澄んでいて、視界いっぱいに風と潮の匂いを運んでくる。白い帆を張った帆船がゆったりと沖を進み、遠くの港からは人々の笑い声や呼び声が、波に混じってかすかに届いていた。
先頭を歩くのはニケ。
その少し後ろで、ノエルと私は並んで歩いている。
──いや。
正確には、“並んで”というより。
ノエルは、ごく自然な仕草で私の腕を組んだまま、離そうとしなかった。
(……あの、ノエル?)
心の中でそっと呼びかけるけれど、彼は涼しい顔で前を見据えたまま。まるでこれが当然だと言わんばかりだ。
そんな様子を振り返ったニケが、ぱっと笑顔を咲かせる。
「ねぇノエル、これから向かうズッパの街って、魚が有名なんだって!」
弾んだ声で振り向きながら、身振り手振りまで加えて続ける。
「焼き魚とか、干物とか、港町ならではの料理がいっぱいあるらしいよ! なにか食べてみようよ!」
「ふふ、楽しそうね」
思わず微笑むと、ニケは満足そうに頷いた。
けれどノエルは、わずかに肩をすくめて小さく息を吐く。
「まったく……どうしてもついていくって聞かなかったしな」
そう言いながらも、その声音はどこか柔らかい。
「まぁ、今まで一緒に外出してやることもできなかった俺に、責任があるのかもしれないが」
仕方ない、とでも言いたげに視線をニケへ向ける。その表情は、ほんの少しだけ楽しそうだった。
「でもね!」
ニケがすぐさま食い下がる。
「ズッパに来たなら、港も市場も見なきゃ意味ないよ!」
「……だが、観光よりも用事を済ませるのが先だ」
ノエルはきっぱりと言い切った。
「それが終わったら、マリーと行ってくるといい」
「えー? なんで? ノエルは行かないの?」
不思議そうに首を傾げるニケに、ノエルは一瞬だけ視線を逸らす。
「……そのズッパの街には、あまりいい思い出がなくてな」
そして、少し自嘲気味に続けた。
「それに俺は……あまり民に好かれていないだろう」
その言葉とともに、ノエルはまた前を向き、歩みを進める。
私は思わず、眉を下げた。
(ノエルは国や民のために戦ってきたのに……避けられてしまうなんて)
胸の奥が、ちくりと痛む。
(そもそも今日だって、この街の長が正式に招待してくれたのに……)
少し間を置いてから、私は話題を変えるように口を開いた。
「それにしても……今日はモルト様、ついてきませんでしたね~」
努めて明るく言うと、ノエルは一瞬だけ言葉を止めた。
「……あいつは今、隣国との会談に出ている」
そして、私の腕を組んだまま、何事もないように付け加える。
「だから今日は、誰にも邪魔されない」
(いや、代わりにすごい人たちがついてきてるんですけど!?)
心の中で叫びつつ、私はおそるおそる後方を振り返った。
そこには、銀狼殿下直属の護衛騎士団が、整然と隊列を組んで歩いている。
陽光を反射する甲冑はまぶしく、その一糸乱れぬ動きは、どう見ても“散策”ではない。
むしろこれは──
(完全に、公務の視察……!)
海風に揺れる白い帆と、騎士たちの重厚な足並み。
その対比がどこかちぐはぐで、私は思わず小さく苦笑した。
少し前を歩いていたニケが、くるりと振り返り、空いている方の私の袖をそっと引いた。
「ねぇお姉ちゃん」
声を潜め、ひそひそと。
「ノエル、どうしちゃったの?」
私は一瞬、言葉に詰まり、小さく首を傾げる。
「それが分からないの……」
同じく小声で返しながら、ちらりとノエルを見る。
彼は相変わらず無表情で前を向いたまま、私の腕をしっかりと抱えて歩いていた。
「この間の一件以降、なぜか様子がおかしくて……」
そう囁いた瞬間、脳裏にひとつの光景が浮かぶ。
夜の王城。
静かな中庭で、灯火が控えめに揺れていた。
ノエルは、私の肩にそっと手を置いて──
『俺は彼女と共に生きる。それが俺の選択だ』
『神獣の力にすがらずとも、人が人として立てる国に──彼女となら、それを目指せる』
その静かな決意に、モルト殿下が言葉を失った、あの夜。
(……あのときから、だ)
ノエルの距離感が、明らかにおかしい。
そう結論づけた瞬間──
「……やはり」
唐突に、低い声が落ちてきた。
「お前の匂いは、落ち着く」
無表情。
至って真面目な声色。
「え、えっと……」
私は一瞬、言葉を失う。
「ひ、人目もありますし……」
そう言いながら、ちらりと周囲を見渡した、そのとき。
「マリー様」
背後から、やけに整った声がかかる。
振り返ると、そこには騎士団の一人が、微動だにせず立っていた。
「私たちのことは、どうか“空気”だと思ってください」
「い、いやそれは……」
思わず否定しかける私をよそに、騎士はさらに続ける。
「我らはノエル様より、『邪魔するな』と命じられておりますゆえ」
胸に手を当て、至極真面目な表情で。
「どうか……我らのためにも」
「は、はぁ……」
言葉を失いながらも、私は小さく息を整え、ノエルを見上げた。
「……それでも、恥ずかしいんですけど」
少しだけ声を低くして。
「ノエル。街に入るまで、ですよ?」
すると──
ノエルは足を止めることなく、真面目な顔のまま、ほんのわずかに俯いた。
そして。
耳の先が、あからさまにしゅん、と折れた。
(……え)
ニケがそれを見逃すはずもなく、ぷるぷると肩を震わせている。
「……分かった」
素直な返事。
けれど腕は、ほんの一瞬名残惜しそうに、きゅっと力を込めてから離された。
胸の奥が、妙にくすぐったい。
(なにこれ……可愛すぎない?)
そう思ってしまった自分に、私は小さく頭を振るのだった。





