第42話 夜風が運んだ言葉
広間を出たあとの回廊は、嘘のように静かだった。
石畳に落ちる足音が、夜の空気に吸い込まれていく。
ノエルと私は、言葉を交わさないまま並んで歩いていた。
怒りも、緊張も、すべて吐き出されたあとに残るのは──奇妙なほどの静けさ。
やがて、人の気配が完全に途切れた中庭に出る。
控えめに灯されたランタンの光が、低い木々と石の縁を淡く照らしていた。
ノエルが足を止め、空を見上げる。
私もそれに倣い、星の瞬く夜空を仰いだ。
しばらく、沈黙。
風が葉を揺らし、遠くで水音が小さく響いている。
……このまま何も言わずに終わらせることも、できた。
けれど。
「……あの報告書」
声に出した瞬間、胸がきゅっと縮んだ。
「全部、本当です」
ノエルは何も言わず、ただ小さく頷いた。
視線をこちらに向けることもなく、星空を見つめたまま。
──続きを促すように。
「生きるためだけに、必死でした」
言葉を選ぶ余裕なんて、ない。
「名前を呼ばれることもなくて……誰かに覚えられることもなくて。存在していないのと、同じでした」
指先が、無意識に握りしめられる。
「だから、薬草を集めて。混ぜて。あり合わせたものを売って……それで、何とか今日を越えようとして」
小さく息を吸う。
「生き抜こうとしただけなのに……それすら、“罪”だと言われる」
喉が、少し痛んだ。
ノエルは、そこで初めて口を開いた。
「……お前が、その薬で誰かを救ったなら」
低く、穏やかな声。
「それは、誇っていいことだ」
胸の奥で、張りつめていた何かが、ふっと緩む。
私は目を伏せ、知らず息を吐いていた。
「……今でも、あの頃の自分を恥ずかしく思うことがあります」
小さく、正直に。
「生まれも、過去も、全部……綺麗じゃないから」
でも、と言葉を継ぐ。
「あなたといると……それも含めて、“私”なんだって思えるんです」
ノエルが、こちらを見る。
「過去も、今も」
その瞳は、静かで、揺るぎがなかった。
「お前は、お前だ」
一歩近づき、そっと手を取られる。
「そのすべてが──俺にとっては、かけがえのない存在なんだ」
胸が、いっぱいになる。
視界が滲み、星がにじんで揺れた。
泣きたくなかった。
だから私は、笑ったまま、小さく頷く。
言葉は、もう要らなかった。
沈黙の中、夜風が二人の間をやさしく通り抜ける。
空には無数の星が瞬き、まるで未来を静かに照らしているようだった。
過去を語ったからこそ、
私はようやく──前を向ける。
ここから先は、きっと。
独りじゃない。





