第4話 祝福の鐘が響く中、心はちょっぴり曇り空
朝日が昇るシェラード侯爵邸。
屋敷の前には、豪奢な馬車が用意されていた。私がノエル・クレアルーンの元へ嫁ぐためのものだ。
「うぅ、マリー……!」
ケアラ姉様が涙を浮かべながら、私にしがみつく。
「泣かないで、お姉様。私の図太さは知ってるでしょ? むしろ王子を手懐けて、忠実な番犬にしてみせるわ!」
「うぅ~、でもぉ……!」
ぐずるケアラ姉様を慰めながら、私は小さく微笑んだ。
リアン兄様はそんな私たちの様子を静かに見つめ、ソワソワと落ち着かない。
「あぁ心配だ……やはり今からでも断りの連絡を――」
「ちょっとお兄様? わたくしに縁談が来たときと反応が違いません?」
ケアラ姉様がジト目でツッコミを入れると、リアン兄様は咳払いしながら視線を逸らす。
「そ、それは……お前だって反対してただろ!?」
「もうっ、お兄様は素直に寂しいって言えばいいのに! 付き添いだって、執務がなければ行きたいくせに」
「う、うるさいな! 私が父親代わりなんだなら、当たり前だろ!」
顔を赤く染めながらそっぽを向く兄。しかしすぐに真剣な表情になり、私の肩に手を添える。
「私も社交界で殿下の噂を聞いている。もしお前が元平民だとバレたら……」
「大丈夫。ボロは出さないよう頑張るから!」
満面の笑顔で頷く私。「後から必ず、様子を見に行くからな!」と心配性な兄の表情を見ていると、余計に気合が入る。
最後にもう一度ケアラ姉様を抱きしめると、私は馬車へと乗り込んだ。
◆
馬車が教会の前に滑らかに止まる。扉が開かれ、私は深呼吸を一つ。
外へ降り立つと、荘厳な建物が目の前にそびえ立っていた。白を基調とした美しい大理石の壁に、色鮮やかなステンドグラスが陽光を受けて輝いている。
「……ふう、いよいよね」
侍女たちが私を囲み、手際よく支度を進める。ふわりとしたドレスの裾が広げられ、繊細な刺繍が施されたベールが頭にかけられる。鏡越しに映る自分の姿は、まるで別人のよう。
「こんな格好するの、人生で初めてだわ」
いつもの白衣とはまるで違う優雅な装いに、思わず苦笑する。
「さあ、準備は整いましたわ」
侍女の言葉に、私はゆっくりと頷いた。
煌びやかな花嫁衣裳を身に纏い、教会の長い廊下を進む。
前世でも仕事づくめだったし、孤独には慣れたつもりだった。
だけど――。
胸元で手をギュッと握りしめる。
「一度知った温もりが離れていくのは、けっこう寂しいものね」
侯爵家での温かい日々を思い出し、ふっと息を吐く。
それにしても……転生して結婚するのがまさか「呪いの銀狼王子」なんて――。
ノエル・クレアルーン。
神獣フェンリルの血を継ぎ、「獣化」の呪いにかかった王子。
――いったいどんな姿なのかしら。
漠然とした不安と興味が入り混じる中、私はドアの向こうへと足を踏み出す。
扉がゆっくりと開かれ、荘厳なフロアが視界に広がる。
高い天井には見事なシャンデリアが輝き、陽光が差し込む大きな窓が純白の装飾を優しく照らしていた。バージンロードの先には、これから自分が向かうべき場所がある。
私は一歩を踏み出し、花嫁の歩みを進める。
柔らかな絨毯が足元に心地よい感触を伝え、広い会場に響くのは、自分の靴音と静かに流れる儀式の音楽だけ。
新郎たちが待つフロアへ向かうその途中、ちらりと周囲を見渡せば、参列者たちが興味深そうに私を見つめているのがわかる。その視線に背筋が伸びる。
これが私の新しい人生の始まり――そう思えば、胸の奥にあった寂しさも薄れていく。
(悩んでても仕方ないわよね。やるしかないんだから!)
それに、考えてみれば悪くないかもしれない。モフモフは好きだし、王子の不思議体質を観察できるのも興味深い。
そんなふうに気持ちを奮い立たせながら、私はバージンロードを歩み、チャペルの中央へと向かった。
視線を上げると、そこには神父。
そして――。
ノエル・クレアルーン。
彼の存在感に、思わず息を呑む。
ステンドグラス越しの光が銀の髪に降り注ぎ、淡く煌めいている。その姿はまるで神話に登場する戦士のように荘厳で、どこか非現実的な美しさを湛えていた。
整った顔立ち、鋭く引き締まった輪郭、そして何よりも冷たく研ぎ澄まされた赤い瞳。
目を奪われるほどの整った容姿……だけど、その表情は氷のように冷たく、まるでこちらを拒絶しているかのようだった。
(それになんだか不機嫌そう)
隣に並ぶも、こちらには見向きもせず、あからさまに関心がない態度。
(王家が望んだ縁談よね? なのに、どうしてこんなにも塩対応なの……?)
私は思わず横目で彼をチラリと盗み見る。
神父の言葉も耳に入らないほど、彼の態度が気になってしまう。
そんな中、唐突に儀式の流れが最終段階へと進んでいく。
「ごほん。それでは誓いのキスを」
「え? あっ……」
突然の展開に、頭がついていかない。そんな私をよそに、ノエルの視線が向けられる。
冷たい赤い瞳がこちらを射抜き、彼は一歩、また一歩と間合いを詰めてくる。
まるで獲物を仕留める直前の捕食者のように、感情の読めない表情。
「おい、逃げるな。さっさと済ませるから、顔を向けろ」
低く、静かな声。しかし、それが逆に恐怖を増幅させる。
(こ、こわい……!)
心の中で必死に訴えるが、体は硬直して動けない。こんな愛の無い言葉と共に、まさか初めてのキスを奪われることになるなんて――。
「――っ!」
次の瞬間、私は半ば強引に唇を奪われた。
唇が触れたのはほんの一瞬。しかし、その短い間に、彼の体温の冷たさと、触れることを拒絶するかのような距離感をはっきりと感じる。
温もりのない接触。
これが彼の答えなのか。
感動もなければ、ロマンティックな雰囲気も皆無。ただの儀式の一環として、あまりに無機質な一瞬。
静寂の中、神父が誓いの言葉を締めくくる。
こうして、私とノエル・クレアルーンは夫婦になった――。